第五章 12
腕の中の少女は子猫のように華奢だった。
ほのかに甘い匂いのする身体は、ゲルトの胸に抱かれながら身体のどこにも力が入っていない。男に抱かれる意味を理解していないのかもしれない。
あの男も苦労するだろうな。
こんな場合だが、苦笑が浮く。
犬にも嫉妬していたくらいだ。あの男の執着は主人に対するそれではない。惚れた女が子供のままでは男としてせつなかろう。
さらに言うなら、この少女は幼いだけではない。感情の一部が欠落している。首に鎖を巻いた時の反応でわかった。
――近づけば縊り殺す。
意味は理解できなくても、首に鎖を巻かれれば本能的に恐怖を覚えるものだ。
しかし、少女は、きょとん、としただけだった。人形のように恐怖の感情を持たない。今も無邪気な表情を浮かべている。
「殺す気ならとっくに殺してると思うけどね」
愉しそうにそいつは言った。
子供の姿だった。無邪気な笑みを浮かべているが、少女とは違う。どこか、ぞくり、とする。十歳くらいか。少年と呼んでもいい年齢だ。
「何者だ」
ゲルトは牙を見せた。鼻先が尖り、口が大きく開いていく。
全身が危険だと叫んでいる。ただの少年ではない。
「御子だよ」
くすくす、と笑いながら、少年が言う。
「御子? おまえが?」
「会うのは初めてかな。ランベルト・ゲルト」
――君の子供達は全員廃棄処分にされたよ。
名前を呼ばれた瞬間、記憶が蘇った。
なんだ。この記憶は――
ゲルトは瞬きを繰り返した。
――残念だったね。でもまあ元々人形のような子供達だったからね。兵器として生まれて、兵器として育てられて。意思も無く。感情も無く。死の意味も知らず。死の恐怖も感じない。
――だから殺していいとは限らない。
記憶の中で、ゲルトは唸り声をあげた。
――恨むならサカキを恨むといい。
――サカキ……
口の中でゲルトは反芻した。両肩の犬の首が、ぐるる、と喉を鳴らした。
――総務省の最高幹部。四十二歳。十六年前に入教。当初から頭角を現し、三十歳にして幹部の一員になる。創世神来教は魔物を殺すために、魔物の弱点を探っていた。そういう研究施設が幾つかあった。そこに利潤追求のシステムを組み込み、魔物の兵器利用、魔物の細胞や遺伝子を使った薬物の開発販売を始めたのがサカキだ。薬物の研究はその後御魂省の管轄になるが、兵器利用の方はサカキの直轄に置かれた。金と兵器。その気になれば、クーデタを起こして教団を手中に収めることも可能なようにね。兵器の脳に爆薬を仕込むように命じたのもサカキだよ。
まあ。世界中どこでもやられていたことだけどね――頭に指先を向け、少年は愉しそうに笑った。
ゲルトは歯を軋らせた。『脳の爆薬』と聞いて、脊髄反射のように怒りが湧く。
――恨みを晴らしたくなった?
きゃはは、と少年が笑う。
――ならばチャンスをあげるよ。
――チャンス?
――サカキは今ちょっと立場的に苦しい状態でね。ある男の力を欲しがっている。
――男?
――女子供に甘い男でね。少女の下僕になるような馬鹿な男だよ。
――……
――しかし魔物としては規格外だ。人間を支配することができる。そういう力がある。サカキが欲しがるのも無理は無い。しかもね。この男が自由なら誰も手出しはできなかっただろうけど、今は少女というコントローラがあるからね。少女を手に入れれば、この男の力は思いのままだ。
サカキじゃなくても欲しがるだろうね――くふふ、と少年が笑う。
――チャンスと言うのは?
――ああ。
にたり、と音がしそうな笑み。両眼を細めて少年がゲルトを見つめる。
――サカキは焦っているから近日中に少女を手に入れようとする。その手駒に君を使うようにしてあげるよ。クジと共闘すればいい。
――クジ?
――創世神来教と契約している強化人間だけど、仕事を離れてあの男と闘うことを目的にしている。クジにあの男の足止めをさせ、君が少女を奪って来れば、サカキと二人だけになれるよ。大事な少女を受け取るのに、第三者を介在させやしないだろうからね。何でも自分でやろうとするサカキの性格がここで仇となる。
喉を鳴らして笑う少年。
ゲルトは鼻の頭に皺を寄せた。
――気に入らないかな?
――おまえの目的は何だ。
――僕?
――おれに恨みを晴らさせる。サカキを殺させるとして、おまえは何を狙っている。
――気になるの? サカキよりも?
くすくす、と少年が笑う。無邪気な貌の中で、黒い眼が歪んだ光を放っている。
――余計なことを考えていると仕留め損なうよ。サカキが少女を手に入れたら、間違いなく『脳に爆薬』を埋め込むだろうね。
かっ、と全身が熱くなった。
る~~~~~~
る~~~~~~
両肩の犬が呼応するように声を放った。




