第五章 11
ふぅ――と息を吐く。
細く長く。身体から余分な力を抜いていく。
眼は閉じた。闇の中に蜘蛛の巣のように意識を広げていく。
――力は必要ない。自分の力はな。
どうやって自分を倒したのか。問うと、ソウシュウはそう答えた。
――相手の力の向きを見極め、ずらしてやればよい。
――その理屈でいったら、動かない相手には何もできないのでは。
――動かない相手に何かする必要があるのかな。
――……
――こだわらなくてよい。止まる必要は無い。次に流れればよい。
『草舟』の如く――
屋上の床に左手をついたまま、ドウマは、す、と後ろに下がった。
クジは動かない。
さらに下がる。指の先に生温かいものが触れた。肉の感触から、斬り落とされた右腕だと知った。眼を閉じたまま、左手で右腕を掴んだ。このままクジが来ないのなら、逃げてしまえばいいと考える。さらに距離を取りながら、肘の切断面に右腕の切断面を近づけた。
クジが動いた。
逃がす気は無いらしい。あるいは。
せっかく斬り落としたものを繋げるな――とでも思ったか。
闇に伸ばした意識の糸にクジの動きが伝わる。距離を詰め、間合いに入る直前で右に跳んだ。まだ右腕は繋げていない。
眼を開き、ドウマは左腕を振った。
顔面に飛来した右腕を、クジが右手で薙ぎ払う。
その動きが、ぎくり、と乱れた。
薙ぎ払ったはずのドウマの右腕が、指をいっぱいに開いてクジの貌に掴みかかったからだ。左手に握ったナイフが、ドウマの右手を縦に裂く。
クジの意識が右手に逸れた瞬間、ドウマは動いた。
ソウシュウは動体視力を超えた動きをしたわけではない。アケビに気を取らせ、その隙を突いたのだ。
クジの背後を取る。直後、クジの身体がスピンした。ドウマの姿を見失った瞬間、すかさず背後と判断したのはさすがだが、ドウマの身体はクジの背後でも、その上空にあった。
足を天に頭を下に倒立した状態で、左手でクジの頭に触れた。クジのスピンをさらに加速し、スピン軸をずらした。クジがバランスを崩した瞬間、ドウマは身体をくの字に折った。膝を曲げ、両膝をクジの肩口に炸裂させる。
クジの眼が驚愕に開いた。
ず、と音をたてて、ドウマの右腕が肘の先から生えたからだ。
クジの背中が地に落ちた瞬間、ドウマは右の貫手をクジの首に叩き込んだ。
強化人間の肉と骨がブチ切れていく感触。
跳ねるようにクジから離れた。
頭部を失ったクジの身体が、巨大な虫のように手足を動かし、ほどなく動きを止めた。
《……ソウシュウの技か》
クジの頭から声が響いた。
左手に掴んでいたクジの頭に眼を向けた。クジの身体からちぎり取ったものだ。貌を覆っていたフェイスマスクが外れている。
オールバックの長髪。口の回りに生えた不精ひげ。強化人間の体毛は本人の好みで植毛すると聞く。
クジの口は動いていなかった。声は思考を直接マイクに乗せているのだろう。首から下が無いのだから、発声はできない。
「ソウシュウ……を……知って……いる……の、か」
身体からナイフを抜きながら、ドウマは口を開いた。脳のナイフも抜いたが、言語中枢はすぐには回復しない。言葉をかろうじて紡ぎ出す。
《昔、どこかの武道大会でな。子供のようにあしらわれた》
まだ強化人間になる前だ――クジの方が流暢に喋る。
く、く、と笑い声まで出したが、合成ヴォイスに感情はこもらない。
《――水に流るる『草舟』の如く、とはその時に聞いた。相手の動きに逆らわず、流れに身を任すように利用するのだとか》
「……」
ドウマは無言でクジの頭を置いた。
貌を上げる。星が見えた。
《殺さないのか》
「――動かない相手に何かする必要があるのかな。ソウシュウならそう言うだろう」
舌の動きが戻った。
クジに背を向けた。
《どこへ行く》
「シアが呼んでいる」
星から光の粒が降って来るような気がした。




