第四章 5
「あ――」
シアの小さな声が上がり、ドウマは振り返った。反射的に椅子から腰を浮かす。
テーブル席のひとつにシアは坐っていた。向かい側には伯爵が坐っている。
「どうした」
近づいてすぐに事情が知れた。
シアの手には薔薇の花が握られており、棘が指に刺さっていた。
ターニャの店に来る前に、シアの食糧として花を買った。
花束をかかえたシアに、伯爵が興味を抱いたらしく、どのくらい食べるのか、花は何でもいいのか、と質問を投げた。シアがそれに応じ始めたので、ドウマはカウンターに向かった。十本くらい、花は何でもいいよ、伯爵さんは? 薔薇を食べるの? じゃあ薔薇をあげる――という声は背中で聞いていた。
テーブルにはリボンを解かれた花が広げられている。その中から薔薇だけを拾い上げていたらしく、シアは左手に数本、右手に棘付きの一本を握っていた。普通、棘は花屋で処理するが、一本だけ処理の甘いのが混ざっていたらしい。
「手を離せ」
シアの右手首を掴んで、指を開かせようとしたが、シアは逆に指に力を入れた。
「痛い。痛い――」
「痛いなら指を開け。子供か」
「子供じゃない――」
半分泣きながらシアが指を開いた。
すぐに離せば掠り傷で済んだものが、鋭い棘はシアの右手の中指にかなり深く突き刺さっていた。抜くと、やけに色の薄い血が傷口から溢れてくる。血が止まらないのを見て、シアの指を口に含んだ。
血の味はしなかった。人間のような血の味は。
「……血まで甘いんだな」
口を離してからドウマは言った。ほのかな甘さは花の蜜を連想した。
シアの手を引いてテーブル席から立たせ、カウンターに連れていく。
ターニャに酒を要求すると、心得たように度数の強い酒を出してきた。
「他はどこが甘かったのかしら」
ちろり、と笑うターニャを無視して、酒のボトルを手に取った。
すでにキャップを外してくれてある。親指でボトルの口を半ば以上塞ぎ、沁みるぞ、と言ってからシアの指に酒をかけた。消毒の代わりだ。
「みぃ――」
猫のような悲鳴をシアがあげる。
可愛い声だが、それを愉しむのは後にして傷口を検分する。傷口にはまだ血が滲んでいる。治癒力はほとんど無し。不死身ではない。それは護る側からすればハードルが高くなることを意味する。
「悪かったね。私のせいだ」
伯爵がテーブル席から立ち上がって言った。
「伯爵のせいじゃない」
「伯爵さんは悪くないよ」
胸に抱きついて、みぃ、みぃ、泣いていたシアが同時に言う。ケガは明らかにシアの不注意だが、我儘な子供なら誰かのせいにするかもしれない。
いい子だ――シアの頭を撫でると、シアが猫のように眼を細くした。涙が止まったのを確認してから、行くぞ、と宣言する。
薔薇以外の花を包み直してシアに渡す。
ターニャが、みやげだ、と消毒に使った酒のボトルを差し出してきた。
「薬剤は不用意に使わない方がいいかもしれないわ」
生態がよくわからないうちは、何が致命的になるかわからない。
ターニャの忠告に頷き、ドウマは礼を言った。
「また来る。――またな。伯爵」
「ばいばい。伯爵さん。ターニャさん」
シアが手を振った。




