第四章 2
「こちらに来られるとはお珍しい」
執務室のドアを開け、サカキは慇懃に笑った。
左手を差し出すと、レイエンは女王のように右手を乗せた。
右のレイエン――
巫女と言うより、艶やかな女優のようであった。
妖艶な美貌。少し吊り上った感じの眼は濡れたような光を放ち、肉厚な唇がねっとりとした笑みを浮かべている。布の多いローブの上からでもはっきりとわかる豊かな胸。
五年前から教祖の寵愛を一身に受け、実質教団のナンバー2の地位にある。
教団の儀式を掌握する御魂省――
そのトップに教祖がレイエンを据えた。
教祖は創世神の御言葉を聞き、それを巫女であるレイエンに伝え、レイエンが信者に伝える。そういう仕組みが出来上がった。最初の頃は教祖も同席していたが、三年前、教祖の身体に癌が見つかってから、教祖は信者の前に姿を見せていない。
教団はレイエンの言葉で動いているも同然であった。
教祖の言葉、すなわち創世神の御言葉とレイエンは言うが、幹部クラスは信じていない。
サカキはレイエンをソファに導いた。
坐ると同時にレイエンは足を組んだ。白い素足にピンヒールの靴が眼に入る。
「紅茶でも?」
「いただくわ」
サカキは執務室の隣に設けられたプライベートルームに入った。給湯設備もある。
たっぷり二分間かけて紅茶を淹れた。
執務室に戻り、レイエンの前にティーソーサーを置き、サカキもカップを手にレイエンの前に坐った。紅茶の香りが漂う。
「自分で淹れたの?」
人を使わないのか――と紅茶を見つめてレイエンが言う。
「何事も自分でやる主義でしてね。――で? 何の御用です?」
「マンションパレスフォレスト」
「――」
「ゾンビを兵器として使ったわね」
「性能テストですよ」
紅茶を手に、サカキは笑った。
「テスト?」
「改良を加えましてね。ゾンビの体液が体内に入ってからゾンビ化するまでの時間を大幅に短縮しました。短時間で対象区域を制圧できるようにね。マンションのひとつくらい一時間以内にゾンビ化させる自信があったのですが――」
サカキは肩をすくめた。
「一時間とかからずに全てのゾンビを始末されてしまいました」
「対デーモン部隊に?」
「Sランクの魔物一体によって」
「……」
「実はゾンビと同時にこの魔物の性能テストも兼ねていましてね。Sランクの魔物がゾンビを相手にどのような力を見せるか楽しみにしていたのですが――」
「どうだったの?」
興味を覚えたらしく、レイエンの眼が濡れたような光を放った。
「失敗です」
サカキは紅茶をテーブルに置いた。
「マンションの管理システムを外部からハックされましてね。監視装置の類が一切使えませんでした。ただ、状況と目撃者の証言から、この魔物はマンションの出入り口を封鎖し、部屋のドアをロックした後、自らを生餌にしてゾンビを誘い、端から始末していった模様です。死体を確認しましたが、完全な力技でしたね。床やら壁やらにゾンビの頭部を叩きつけて潰すという――」
光景を想像したのだろう。レイエンの眉がひそめられ、サカキは失礼と笑った。
失礼ついでですが――と続ける。
「飛び散った血の痕から衝撃の度合いを計ることができます。グリズリー並みのパワーが加えられている。全くデータが取れなかったわけではありません。残念ながら、どのような魔力を持つのかわかりませんでしたが。――ゾンビを投入して二十九分。オリジナルゾンビが始末され、ゲームオーバー。オリジナルにはセンサーをつけてありましたからね。いつ始末されたかわかったわけです」
「……目撃者」
サカキの長広舌を聞いていたのか、レイエンがぽつりと言った。
口許に紅茶のカップを寄せている。
「全員始末したでしょう?」
カップ越しに、ぽってりとした唇が妖艶な笑みを浮かべている。
サカキは冷笑だけを返した。
レイエンが紅茶の皿とカップをテーブルに戻した。
「都会のマンションで実施する意味はあったのかしら。性能テストなら僻地の方が目撃者の始末も楽だったと思うけど?」
「まあ。確かに。三分の二が生き残ってしまいましたからね。始末が大変でしたよ」
「子供も?」
「おや。気にかかりますか?」
「別に。知り合いでもない限り興味無いわ」
「子供はいませんでしたよ。ファミリー向けのマンションではありませんでしたからね」
「そう。興味無いわ」
レイエンは足を組み直した。
ところで――と言う。
「あのマンションにはわたしの研究対象もいたのだけど。クジから聞いてなかったかしら」
「研究対象ならもう十分集まったのではないですか?」
「吸精鬼は初めてよ。滅多にいないわ」
「おや。そうでしたか」
「左の――」
名前でもなく、正式な称号でもない呼び方は怒りの現れだ。
「お互いのビジネスには干渉しないというのが取り決めだったはずよ。研究対象が死んでいたら、あなたを許さなかったところよ」
「吸精鬼なら不老不死じゃないのですか?」
「そんなの、調べてみなければわからないわ」
じろり、と睨んでくる。
「ごもっともです」
「それと、あなたは『不老不死』という言葉を『不死身』の意味で使っているみたいだけど、わたし達が『不老不死』と言う時、それは『限定された環境における正常な生命活動の維持』という意味だと思って欲しいわ」
「『限定された――』何ですか?」
「つまり、普通に生活している限りにおいては百年たっても二百年たっても今の生命活動を維持するけど、事故か何かで肉体が損壊した場合は維持できない――死ぬと思ってちょうだいってことよ」
「――」
「『不死身』であれば簡単には死なないでしょうけど――」
「『不死身』の定義を教えてください」
「『人間なら死ぬような環境下において生命活動を維持し、人間なら死ぬような損壊状態からも復元する力を有した肉体』」
「ははあ――」
「本来であれば、どちらも死なないことを意味する言葉なのだけど、魔物の研究用語として使う時、条件次第では死ぬことを定義する必要があったのよ。これによって、たとえば、そうね。満月期の獣人は『不死身』であるが、銀の弾丸によって死ぬ――という言い方ができるようになるわ」
「ああ。なるほど」
「『不死身』でも『不老不死』でなければ年老いて死ぬし、『不老不死』でも『不死身』でなければ事故で死ぬ。言葉遊びみたいに聞こえるでしょうけど、こういう定義って大事なのよ」
「いえ。よくわかりますよ」
「そうして、魔物を『不死身』と『不老不死』で分類していくと、『不老不死』の魔物はたいがい『不死身』であったりする」
「普通そうなんじゃないのですか」
「そうね。歳もとらず、何百年も生命活動を維持するには、それなりに強い肉体が必要なのかもしれない。でも、そんな化け物に用は無いわ」
「化け物――ですか」
「たとえば吸血鬼。心臓をやられない限りは、脳を潰されようが、首を切断されようが、死なない。死なないどころか、瞬時に再生する。身体を霧にも獣にも変える力があるのだから、細胞単位でばらばらにされたとしても復元するのは造作もないのでしょうけど――おぞましさに虫唾が走るわ」
「確かに」
人間が魔物を怖れ、また憎悪するのは、その化け物じみた『不死身』さにあると言っても過言ではない。
「同じくらいの再生能力は満月期の獣人にもあるけど――」
レイエンが続ける。
「こちらは『不老不死』じゃない。成長期を過ぎた時点で老化が始まる。存外に短命みたいでね。第一世代はもうほとんど残っていない。獣人の中でも爬虫類型の獣人は長命みたいだけど――」
「爬虫類で獣人ですか」
サカキは口を挟んで笑った。
「わたしが分類したわけじゃないわ」
レイエンも鼻で笑う。
「ただ長命と言っても『不老不死』ではないから、その点においては獣人のグループに入れておいてもいいと思うけど」
「長命と『不老不死』の区別はつくのですか?」
「細胞を見ればね。老化する細胞かどうかわかるわ。細胞の寿命もね。爬虫類型はたぶん三百年くらいは生きると思うわ。『不老不死』ではなくても、十分に不死に近いと言えるでしょうね。老化も遅いから、それなりに魅力的な素材だけど。ただやっぱり完璧な『不老不死』を求めたいわね」
「吸血鬼のような――ですか?」
「あれは別格」
「と言うと?」
「『不老不死』の細胞は細胞代謝期と細胞不変期に分かれる。代謝しなければ成長も有り得ない。『不老不死』の魔物は成長期を過ぎても代謝を維持し、常に若い細胞で有り続ける。ただこれは膨大なエネルギィを必要とするから、いずれ細胞不変期――代謝しない代わりに老化もしない状態に移行するのだけど。吸血鬼は最初からこの細胞不変期でいるのよ」
「最初から?」
「ええ。最初から成長も老化もしない。妊娠、出産という形で子孫を残さないせいでしょうけど、細胞代謝期が存在しない。子供の時に吸血鬼になれば、永遠に子供のまま。呼吸もしない。心臓も動いていない。当然脳波も検出されない」
「ゾンビと同じですか」
「そこだけ切り取ればね。でもゾンビは死体だけど、吸血鬼は生きてるわ。ちゃんと摂食(吸血)をする。ゾンビと違って思考力もある。知能も高い。死体に再生能力は無いけれど、吸血鬼は先にも言った通り――」
「『不死身』の再生能力を持つ」
「ええ」
さて、ここで質問だけど――妖艶に笑いながらレイエンは言った。
「あなた『不老不死』になりたい?」
「それはまあ。人類の夢でしょうからね」
「『不死身』には?」
「ケガをしてもすぐ治る、病気にもならない――という程度には望みますけどね。銃で撃たれても立ち上がってくるようなゾンビのような存在にはなりたくないですね」
「でしょうね。人間はね、人間のまま『不老不死』になりたいと望むけど、『不死身』の化け物にはなりたくないのよ。もっとも、人間には超人願望もあり、人間を超えたいと望む者も少なくないのだけど。狂気の沙汰だと思うけど、魔物化を望む者もいるのよ」
「世も末ですね。エンジェルダストのような不死身薬やゾアントロピー薬が売れるのは、その代用ですかね」
「そうね。使えば廃人になるっていうのに。でもわからなくもないわ。魔物に比べて人間は弱すぎるから。かといって、一体につき何万ドルもかかるような強化手術を全員が受けられるはずもない」
「強化人間も化け物と変わらないと思いますがね」
「ええ。『不死身』の化け物よ。魔物に対抗するために造られたのだから」
「あなたの研究はどういう意味を持つのです?」
サカキはレイエンに訊ねた。
そろそろこの会話の流れがどこに向かっているのか知りたくなってきていた。
「わたしが創りたいのは『不老不死』の薬よ」
人間が人間のまま永遠に生きられる薬――レイエンが言う。
妖艶な美貌が何かに憑かれているような狂気にも似た表情を浮かべていた。
モデルか女優のような美貌と身体を持ちながら、この女は自分の研究にしか興味が無い。狂った研究欲は、自分の娘さえ実験台にしたという噂だ。
「『不老不死』の魔物をベースに様々な組み合わせを試しているけど。でも、できるのはできそこないのゾアントロピー薬ばかり。何百人にも投与したけど、いずれも獣人化するか、ゾンビ化した。強すぎるのよ。『不死身』の因子が。欲しいのは『不老不死』だってのに。『不老不死』の因子だけが必要なのに――」
「それで吸精鬼が必要なのですか」
サカキが言うと、レイエンが夢から覚めたような貌になった。
「やっと本題を語ることができて嬉しいわ」
肉厚の唇が妖艶な笑みを浮かべる。
「紅茶を入れ替えましょうか」
テーブルの上に置かれた紅茶はすでに冷めている。
「いいわ。話を続けましょう」
レイエンは首を振った。
「『不老不死』と『不死身』の因子は、獣人の存在によって別物であることがわかる。獣人が『不死身』の因子しか持たないように、『不老不死』の因子しか持たない魔物がいるはず――そう考えたわ。伝説によると、吸精鬼は妖精か精霊に分類されるような弱い魔物よ。中には吸血鬼に近いものもいるけど、今回見つかった花鬼と呼ばれる吸精鬼は、『不老不死』と言われながら、矛盾するように短命とも言われることから、『不死身』の可能性は薄い。たぶん簡単に死ぬんじゃないかしらね。滅多に見つからないし。そのせいか、あまり研究対象として注目されなかった。どこの研究機関にも詳細なデータが無い。でも、今はこれこそが待ち望んだ研究対象だと思うのよ。わかるでしょ。わかったら手を出さないでもらえるかしら」
「払い下げでもかまいませんよ。生きてさえいれば」
サカキの言葉に、レイエンは、ふん、と鼻を鳴らした。
「クジから聞いたけど。主従契約だったかしら」
「ええ」
「下僕は主人に隷従するのよね。この場合、対象である『少女』に」
「そうです」
「男としては最低ね」
レイエンはにべも無い。サカキは苦笑を浮かべた。
「Sランクの魔物なんですけどね」
「兵器としての利用を考えているのでしょうけど――」
言いながら、レイエンは立ち上がった。
「ワンセットじゃ意味ないでしょう。量産できないものは商品にならないわよ」
「そうですね」
肩をすくめて、サカキも立ち上がった。
「不老不死の薬ができれば人類の歴史は変わる。研究が終わってもまだ生きていたらあなたにあげるけど、その時には魔物の一匹や二匹の存在なんてどうでもよくなるわ」
締めくくるように言って、レイエンは巫女のローブを翻した。
「教祖には間に合いますか」
レイエンの足が止まる。
「無理ね。後継者を準備して」
自動で開いた扉がレイエンの姿を呑み込み、再び音も無く閉まった。
「後継者ね」
サカキはひっそりと呟いた。
「孫はまだ十歳だったか」




