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花鬼  作者: KATSUKI
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第二章   8

 

 声が響く前から、ドウマはその気配を感じていた。

 ひんやりと湿った、霧のような気配が店の中に偏在していたからだ。

 気配だけではない。今や白い霧が店の中に生じ、渦を巻いている。

 次の瞬間、霧は消え、テーブル席の前に五、六歳の子供が立っていた。小さな身体を淡い色のスーツで包み、細いネクタイを首元で締めている。

 天使のように綺麗な子供だった。金色の巻き毛は絹糸のように揺れ、アッシュブルーの眼は海の中で見る氷の色に似ている。

 ただ、蝋のように白い肌が祝福された天使ではなく、闇を彷徨う幽鬼を連想させる。

「相変わらず神出鬼没だな。伯爵」

 霧の中から現れた子供にドウマは声をかけた。

「ドウマオーマのfemale lordと聞いては無視できなくてね。いささか失礼な方法で入店させてもらったよ。悪かったね。ターニャ・マラータ」

 子供――伯爵が言う。その態度も言葉使いも五、六歳の子供のそれではない。

「一度訊いてみたいと思っていたんだけどね――」

 ターニャが言う。 

「吸血鬼が身体を霧にするのはわかるけどさ、どうやって服まで分解再構成してんのさ」

「ああ。これは服ではない」

「はい?」

「私の細胞の一部だよ」

「え。つまりあんたって全裸でいるわけ?」

「そう言われると、抵抗を感じるが」

 天使の貌に苦笑いが浮かぶ。

 ドウマは、くく、と笑った。

「吸精鬼と言ったな。伯爵の同類か?」

 笑いながら本題に戻す。

「科は同じ、属は別ってところかな」

 伯爵の眼がシアに動いた。

 シアは片手をカウンターに置いて身体をひねっていた。突然現れた子供に驚いた様子は無い。あどけない貌で伯爵を見ている。

「吸血鬼の特性のひとつに花を枯らすというのがある。花の精気を吸収するものだが、吸血鬼にしてみれば獲物がいない場合の非常食か嗜好品的な位置づけだ。が、それを主食にして枝分かれした魔物がいたと考えてもらえばいい」

「それが花鬼か?」

「鬼科吸精鬼属その亜種ってところだが――」

 テーブル席からカウンターに近づきながら伯爵が言う。シアの前で足を止めた。

「個体数が少なくて生態は明らかになっていない。短命だとも言われているし、不老不死だとも言われている。どちらかな?」

「シアは知らない」

「ふうん」

 伯爵の眼が探るように細くなったが、

「まあ知らなくても当然かな」

 あっさりと引いた。

「どういう意味だ?」

「魔物と呼ばれているが、元は人間だからね。伝説や聖書で語られる魔物とは厳密な意味で違う。吸血鬼だの狼男だのとカテゴライズされたとしても、伝説通りの魔力や特性を持っているかどうかは本人にもわからない。本当に不死身かどうかは――」

 アッシュブルーの眼が青白い光を放った。

「手足の一本や二本、切り落としてみないとわからないだろうね」

 からん、とドウマの持ったグラスの中で、溶けた氷が音をたてた。

 伯爵の視線がドウマに動いた。

「それにしても主従契約とは。随分と浅はかなことをしたものだね」

「言ってくれるね」

「まともな神経の持ち主なら同意するようなものではないからね」

「まともじゃなかったんだろうさ」

「『少女』の下僕になるような男をまともだとは思わないが」

「『少女』を強調しないでもらえるかな」

 苦笑しながら、言ったが、

「その『少女』に――」

 主張は無視された。

「生殺与奪権よりも危険なものを委ねたわけだ。君は」

 背後でターニャの視線が伯爵に動くのを感じた。

 伯爵に声をかけた時からドウマは身体の向きを変え、カウンターに背中を預けている。

 ドウマは唇の端を上げた。

「承知の上だ」

 アッシュブルーの眼が一瞬苛烈な光を放ったが、天使の貌はすぐに平常に戻った。

「彼女と話しても?」

「構わんよ」

 伯爵の眼がシアに向いた。

「君の望みは?」

「望み?」

「ドウマオーマのfemale lord。下僕を手に入れて何を望むかな?」

「シアの望みは――」

 歌うようにシアは言った。

「シアが死ぬまでオーマがシアのものでいてくれること」

「主人が死ぬまで? 下僕ではなく?」

 伯爵が不思議そうな貌をする。主人と下僕の力関係を考えれば、主人側の死は普通想定しない。ドウマも、ほう――?と声に出さずに、口を動かした。

「死ぬまでシアのものだってオーマは言ったから」

 シアが死ぬまでシアのものだよ――無邪気な貌でシアは続けた。

「不老不死なら君は死なないと思うが?」

「シアは知らない」

 人形のようなあどけない貌がドウマに向いた。

「オーマはシアより生きて。シアより先に死なないで。――命令してもいい?」

 ドウマが口を開くより先に、

「死ぬまでおまえのものって言ったわけ?」

 ターニャが耳元に口を寄せて言った。

「聞きようによっては愛の告白ね」

「死がふたりを分かつまで――か」

 伯爵も言う。

「確かに婚姻の契約に似ていなくもないね」

「そういう意味で言ったわけじゃない」

 カウンターにグラスを置いて、ドウマはシアに身体を向けた。

「その命令はやめた方がいい」

「なあぜ?」

「おまえの命に関わるからだ」

「シアの?」

 きょとん、とした貌。ドウマは子供に言うように続けた。

「主人より生きろと命令されて、おれがおまえより自分の命を優先したら困るだろう?」

「シアはオーマが生きてる方がいいよ」

 にこり、と笑う。

「――」

「可愛らしい主人ね。あんたが絶句したの、初めて見たわ」

「ターニャ」

「いいんじゃない? 気に入ったわ、この子――」

「ふむ。ドウマオーマを宗旨変えさせるだけのことはあるね」

 伯爵がターニャに同調した。

「しゅうしがえってなあに?」

「うむ。ドウマオーマには年上の女性を好むという性癖があってね。これまで――」

「真顔で応じるな」

 ターニャが、あはは、と笑い、

 伯爵は失礼と言って右手を胸に当てた。シアに向かって一礼する。

「自己紹介がまだだったね。ドウマオーマのfemale lord。私はクリストファー・ウォーカー。呼ぶならレイヴンズ卿、または伯爵と呼ぶといい」

「あたしはターニャでいいわよ」

「伯爵さん。ターニャさん」

 子供のようにシアが笑う。

 無邪気な貌を横目で見ながら、ドウマはカウンターのグラスに手を伸ばした。

 半ば溶けた氷。グラスの水滴が指を濡らした。



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