046:Authorized
ブルースは彼女のことをぼうっと眺めていた。恋愛感情があるわけではないが、男としてはやはり綺麗な女性を見てしまうとついついそうなってしまう。そこはどこか枯れたところのあるようなブルースですらそうだった。
「もう起きてたのね、隊長」
最初、彼はうなされて起きてしまったことを話す気にはなれなかった。それは強がりでもあったのだろう――「男」としても、そして「隊長」としても。アリスはその浅ましさを見抜いているだろうか? そんな気がしてならない。だがこういう時でも、彼の比較対象にあるのは「彼女」だった。
「彼女」は自分のことはなんでも見抜いてきたから。
「いつもこんな時間に起きるの?」
「いや、そういう訳じゃないが」
「ふぅん。まあそういう時もあるわね」
アリス・ストロートマンは大人の女性、その余裕をふんだんに醸し出しながら、部屋備え付けカップとポットにインスタントコーヒーと湯を入れ、そのままブルースに差し出した。もちろん自分の分も淹れてある。
「きみは気遣いの出来る女性だな」
「まあ、このくらいは――そんなこともできないくらいやさぐれてた時もあったけどね」
彼女はここまで自分の過去を喋ったことはまったくなかった。ムロア王国出身、という以外にブルースはなにも知らなかった。そして知る必要もないと思っていた。
インスタントコーヒーの味は大して旨くもない。ただ「コーヒー」という味がするだけだった。だが眠気覚ましには丁度いいものでもある。ただ、今朝はそれは必要なかった。ブルースはすでに無駄に覚醒していたのである。
それを必要としたのはアリスのほうだったのかもしれない。眠気覚ましという意味でもそうだが、自分とのくつろぎの時間を持つ為に。ブルースはそういった女性の機微を分からないほど子供でもない。色恋沙汰ではない。大人としての距離感を保つためのものだ。
「隊長は疲れていないのかしら?」
どういう意味で彼女が訊いてきたのか、すこし考える必要があると思った。しかしそこまで隠しても仕方あるまいと思い、ブルースは折れて素直に話した。
「疲れてはいる。だがだからこそ眠れないんだ。嫌な夢を見る回数も増えている」
そういった弱味を言うのはそれなりの計算もあった。無限に頼られる部隊長でいるつもりはなかった。自分もひとりの人間であることを知ってもらわねばならなかった。
「へえ。隊長にもそういうところ、あるんだ」
もっとも、それはあまり必要のない警戒だったのかもしれない。アリスはブルースの弱音を鷹揚に受け入れていた。
「そう。ある。だからたまには気晴らしも必要だ」
と、ブルースは言った。じつのところを言うと、その「気晴らし」のためにひとりで外に出ようと考えていたところでもあったのだった。しかしアリスが起きてきたため、それは一旦保留にしている。別に嫌な気分ではない。
「どんな気晴らしをしようとしていたの?」
ブルースは簡潔に答えた。
「この基地では俺にバイクを貸してくれた。それで走ろうと思っていたんだ」
「そういうこと、前からやっていたの」
「まあ、たまにはだ」
実際そんなに回数が多かった訳ではない。しかしどうしようもなく心がどす黒くなった時はそうしていた。バイクで風になるのは、ある種擬似的な空の体験でもある。彼にとってそれは単純な趣味以上のものを持っていた――マスターベーション的、と言われれば確かにそうなのかもしれないが。
「ひとりで?」
「まあ、自分だけそんな気晴らしを独占していたのは悪いとは思っている」
「別にそんなことを言いたい訳じゃないわ。隊長はとんでもない責任を背負っているんだから、それくらいの気晴らしは必要でしょ。ただ……」
「ただ?」
「よろしければ、今朝はそのツーリングに御同伴させていただけないかしら?」
あまりにも意外な提案だったので、ブルースは含んでいたコーヒーを一気に飲み込んでしまい、噎せてしまった、噴き出すまでには至らなかったが、しばらくごほごほと咳き込むまでに至った。
「そんなにおかしな話かしら?」
「いや、そういう訳じゃないが……それできみは楽しくなるのか?」
「楽しいわよ?」
くすくすと笑う彼女にはどことなく「彼女」の面影もある。いや、別にまったく似ていないのだが、女のずるさとかわいらしさを目の当たりにすると、ブルースはまず「彼女」を思い出すようになってしまっていたのだった。
「そんなもの、実際にしてみないと分からないじゃないか」
「じゃ、してみましょ」
アリスは時折、というか「仕事」の匂いがしないときはいつでもそうやってお姉さんぶる。実際年上なのだから仕方がない。しかし今のやり取りは、ちょっと下品ではある。
でもまあ、たまにはふたりのバイクもいいのかもしれない。
「いいだろう。付いてきたらいい。でも変な気は起こすなよ」
「あら、それは私の台詞だわ」
そういう訳で、ブルースとアリスは外にある駐輪場に向かった。地下にあるそこはこの時間、妙に冷えて妙に暗い。航空基地の地下とは、有事には防空壕にもなるため、壁は厚く外の音もまったく聴こえない。
ブルースの借りているバイクはその一番奥にあった。セルティック・インダストリー社「ダークブルーXX」。アルスター王国企業製のローライダーだった。そして王国空軍時代に乗っていた同一機種でもある。そこに懐かしさを覚えなかったと言えば嘘になる。
あまりよくないが、ヘルメットは被っていない。そんなに遠くにはいかないつもりだからそれでもいいのではないかとおもっている。
空軍時代、初めて入った給料で買ったのはバイクだった。風になる、というのは中々いいものである。今朝のようにやさぐれた気持ちの中であればなおさらそうだった。
すこしだけ走って、ブルースたちは近くの湖までやって来た。
「バイクっていうのも中々いい気持ちね」
「そうだろう?」
そんなに長居はするつもりはなかった。別に今日は休暇という訳ではなかったからである。緊急発進があるかどうかは分からないが、仕事はある。これはその前に心を整えて置くための儀式だった。
だが――その前に、ブルースはアリスに訊いておきたいことがあった。踏ん切りが付かなくて訊けなかったのだが、今の状況なら丁度いい。
「俺はちゃんと隊長としてやれているだろうか?」
彼の中では、いまいち隊員のことを気にやっている感覚がなかったのである。それで隊長として認められているのか、すこし不安なところがあった。ひとりで生きているような気がしても、そこは注意しなければならなかった。
アリスはふっと笑った。
「なぁに、それ? 隊長もそんなことを気にするのね」
「そりゃあ、そうだろう。俺も機械じゃないからな」
それからアリスはさらに言った。
「気にすることはないわよ。私は貴方を隊長として認めているわ。私だけじゃない、クリストフやゲラルドもきっと認めているでしょう。そこは自信を持っていいよ」
「そうかな」
「ただ、すこしだけ気になることはあるけどね」
どういうことだ? とブルースがさらに訊くと、アリスは穏やかな大人の女性の顔にすこし影を差させた。
「貴方は――ちょっと危ういところがある。いつか壊れてしまわないかって」
壊れている、というのであればすでに壊れているような気もするのだが、ここはまだ底ではないのだろうか。自分のことが分からなくなる。
言葉では別のことを言った。
「戦闘機乗りなんて、誰もがどこかしら壊れているものだ。空賊の傭兵となればなおさらな」
「でも――貴方はあまりにも強すぎるのよ。そこがすこし、怖くなる時もある」
でも大丈夫、とアリスはにっこりと笑った。
「そうならないように、私たちが支えてあげるから。だから隊長も私たちを信頼してね」
すこしだけ心は軽くなった。だがいっぽうで、自分がさらに壊れつつあるのもまた、意識せざるを得ないことになったのである。




