045:Sleepless Night
あの時以来、自分は自分のことしか考えていないな――とブルースは感じていた。もうすこし穿った言い方をすれば、視野狭窄に陥っているのではないか、と感じていたのである。
ネブラスカ・ヴァンガードとアル・ヌルマス教国の契約はまだ終わっていない。とすれば今はまだ傭兵として振る舞わねばならないということだった。それはそれでチャンスなのではないか、と彼は思った。
つまり、自分を見直す為の時間があるのではないかと。
あの上陸阻止作戦のあと、ボリス連邦軍に目立った動きはない。そもそも「対全世界同時宣戦布告」と言ったのはヴァーツラフ・ヴァレンツキの演説だけであって、外交ルートで正式に宣戦布告されたという記録はない。戦争はまだ始まっていないのかもしれない。あるのは戦闘だけで。
「どっちみち、アル・ヌルマス教国への攻撃は牽制程度でしょうけどね」
いやに政治に詳しいクリストフが言った。もっともそれは彼でなくとも分かっている話ではある。
「しかし教国を落とせば民主ユニオン攻撃への橋頭堡にはなり得る」
「だから、連邦はどこにチップを置けばいいかまだ迷っているって話ですよ、隊長」
なるほど、とブルースは思った。
「国の思惑なんざどうでもいいんだよ。問題は俺たちだ」
「どういう意味です?」
「俺たちネブラスカ・ヴァンガードが傭兵として参加してるって、奴らも分かってたんだろう? となるとだ。連邦は俺たちも攻撃対象にするんじゃねぇか?」
特に緊急発進もないと思われ、休暇を与えられた夜のことだった。〈ビースト隊〉の面々は隊舎でジンを酌み交わしながら語っている。意外にもがぶがぶ飲んでいるのはクリストフだった。その割にはあまり酔った感じは見られない。むしろいつもの飄々とした感じが際立って見えるようだ。
次いで飲んでいるのがゲラルド。彼は程よく顔を赤くさせている。すこし驚くのは、酒を飲むとむしろ素面の時の攻撃性を引っ込めるところだった。
ブルースは飲んでいなかった。飲むとへべれけになるまえに眠気が来てしまう自分の癖をよく知っていたからだった。隊長である手前、寝るのは一番後だと決めていたがゆえ、隊でいる時は決して酒は飲むまいと心に決めていた。隊員もそれを分かっているからあえて勧めようとはしなかった。今はサボテン茶を飲んでいる。
テーブルから離れた窓際で、ひとりアリスがちびちびとやっている。彼女はこの会話には参加する気はないようだった。しかし飲んではいるのである。
この奇妙な距離感はなんとなく〈ビースト隊〉そのものの距離感を表しているようでもあり、ブルースは密かにおかしみを感じていた。
「それは……どうでしょうか。連邦もウチは邪魔だと思っているとは思いますけれど、かといって無闇矢鱈に戦線を広げるのはよくないって思うはずですよ。まあこれは純軍事戦略上の観点で言っているんですけれど」
「しかしヴァレンツキの野郎は世界に喧嘩を吹っ掛けようとしている大馬鹿野郎だろ」
「だから各個撃破しようとしているんじゃないかってことです。民主ユニオンとウチ、まあ教国も含めていいですけれど、それをいっぺんに相手するまでの力はないはずです」
話はほとんどクリストフとゲラルドの対話になっていた。ブルースは聞いているだけになっていて、アリスは聞いているのかどうかすら疑わしい。
「だから、ヴァレンツキが恐れているのは民主ユニオンとウチが同盟を組むことだって訳です」
「なるほどな。しかしそれはねぇな」
「どうしてそう言えるんです?」
「ジョセフのおやっさんがどうして空賊を作ったのか知らねぇ訳じゃねぇだろう? あのひとは民主ユニオン空軍をほっぽり出されて、そこから今を作ったんだぜ。民主ユニオンにいい感情は持っていないはずだ」
サボテン茶の下にヒリヒリ来る味を楽しみながら、そしてふたりの会話も楽しんでいた。傭兵の身で気楽に話し合えるのはこの立場ならではの特権とも言える。それでふたりのストレス解消になるのなら、それに越したことはない。
クリストフが不用意な一言を発しなければ。
「ただ、ウチも爆弾は背負っていますからねぇ」
「爆弾? なんだ、そりゃ」
「ディアーネ・ヴィクトリア・トゥアハ=テューダー=アルビオン王女殿下のことですよ」
ブルースはすこしだけ眉を動かした。
「彼女がウチに匿われていることを知れば、連邦は黙っていないでしょう。彼女の、アルビオン家の生存は彼らにとっては政治的な意味が――」
「だから、彼女は『死んだまま』でいなければいけないということか?」
声が思った以上に刺々しくなってしまったことを後悔した。顔も険しくなっていたかもしれない。そう思ったのは、クリストフがかなり怯んだ顔を見せていたからだった。
「す、すみません。隊長の前で言う話じゃありませんでした」
「気にするな。事実だ」
だがそれで結局状況が気まずくなったのは確かで、楽しい(と言っていいのか分からないが、ともかく)会話はそこで終わってしまった。そのことにもブルースは後悔するのである。
「寝ましょうか。もうすぐ消灯時間ですし」
「そうだな」
ブルースはサボテン茶を飲み干した。沈殿していた茶葉の苦みを感じながら。
クリストフとゲラルドはいそいそとベッドの中に潜っていく。全員の就寝を見届けてから自分は最後に入ろうと思っていた。だが窓際のアリスがまだ動かないままだった。
「どうした。きみも寝ないのか?」
「ううん……ええ、私も寝るわ」
しばらくしてから彼女もベッドに向かった。彼女とブルースは2段ベッドの上段に寝ている。その階段に上がる時、彼女はなんとなく、意味深な微笑を見せた。
「おやすみなさい、隊長」
「ああ、おやすみ」
すべて見届けて、ブルースは自分もシーツの中に潜った。元々寝つきは悪くないほうだからすぐ眠れる。それにすぐ起きられる。それは軍人として培った技術だった。
だが、イヤな夢を見ないか――とだけはずっと怯えていた。
不思議なことに、あれから2年間経って、ミーティアは一度も夢に現れたことがない。そこは彼にも複雑なところがあった。あの時のことは思い出したくないと思いながら、同時に夢だけでも良いから彼女に会いたいとも思っていたのである。
代わりによく見るのは自分が墜ちる夢だ。それも頻繁に。そして墜ちた先、「空の底」の先にあるのはいつだってなにもない暗黒で、視界が真っ黒になった時、彼はいつも目が醒める。
この日もそうだった。
不思議なことに、こういった夢は空に上がらなかった日のほうが見る可能性が高かった。それについての因果関係は未だ不明である。
そして目覚めるのも早く、嫌な汗もかいている。汗を吸ったシャツが肌にまとわりつくのも気持ち悪く、再び寝直すのもできない。結局のところ起きるしかなかったのだった。
時刻は午前6時。外はすでに明るいが、まだ灯りは点いていない。暗いような明るいような不思議な空間の中で、ブルースは暗い気持ちを抱えたまま椅子に座った。一日が始まって色々忙しくなればこの気持ちも忘れてくれるが、今はどうにもならない。
「俺は……どうしたんだろうな」
やはり自分のことばかり考えてしまう。
この持て余すしかない時間の中でどうすればいいのかな、と考えていたら、何故かもうひとり起きてきた。アリスである。日中はいつも髪をアップにしているので、下ろした彼女が妙に珍しく見え、艶めかしくも感じる。
クリストフとゲラルドは深酒をしたせいなのか死んだように眠っていて起きてくる様子もない。つまりこの時はブルースとアリス、ふたりだけだった。




