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空の底  作者: 塩屋去来
第二章:空賊

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028:Higher Game





「あ、ええと……ケインさん」


 管制塔のオペレーターは自分をどう呼べばよいか少し迷っていたようだった。ブルース自身はまるで気にしていない。空に上がれられるのなら、どうでもいい、そんな態度が漂っていた。


「高度制限を解除します」

「すまない、気を遣わせて」


 別に自分が謝る局面でもないのだが、彼はそう言った。しかしその声は冷たいように思えた。それはコックピット内にある凍えた雰囲気を反映したものであった。同時に空に上がっていく。高度はどんどん上がっていく。


 VF-15の計器類はとてもシンプルなもので、さほど違和感はなかった。ブルースは早くも適応していた。操縦桿を持った腹の上辺りにレーダーサイトが備わっている。その両側に高度や方位を示す計器。そして正面に向けばちゃんとした(と言えば失礼かもしれないが)HUDがある。技術的にはアルスター王国の戦闘機と遜色ない。


 つまりブルースはこの機体でも自由に空を飛べるということだった。


「この演習はすべて記録されています。どうか悔いのないフライトを」


 フライトをね、とブルースはやや皮肉気な思いだった。


 亡命から一週間を経て、彼の疲れはすでに取れている。漲っている、とすら言ってもよかった。空にある歓びを再び味わっていた。ここには自分の全てがある。そう表現しても良かったと、彼は思っている。


 だが――


 もうすこし奥底の、魂の静かなところで、彼の性根は変わり始めていて、ブルース自身、それを自覚していた。


 ただ飛ぶだけでは満足できない自分がいた。もうすこし実際的な表現をすれば、彼は戦闘を欲していた。


 いや、地上にいた時から戦いたいと思っている訳ではないのだ。しかし空に上がると、なにか自分の獰猛な部分が剥き出しになったような気がする。穏やかな気分が消え去って、何もかもを破壊したい衝動に囚われる。


 その感覚とともに、今見ている空も、青い空も、なにか景色が違っているように感じる。


 空に上がると、自分が別人になるような気持ちは前からあった。しかしこれはそれとはまるで違うものだ。


 ――あの戦闘を経て、どこか決定的な変容があったというのか?


 ブルースは自身の変容にまだ戸惑っていた。しかしそれは戦闘機の操縦には影響しなかった。操縦自体は実に冷静に行われている。この時彼の心と身体は分離していた。


 それが再融合したとき、彼はどのような姿を見せるのだろう?


「調子こいてんな。お前は俺が倒してやるんだからよ」


 ブルースの後を追うようにしてゲラルド・ハインツの機も上がっていく。機体は同じVF-15である。機体への慣れを除けば――それは決して無視できない差だったのだが――言い訳の利かない状況である。


「機体は馴染んでいますか、ブルース・ケインさん」


 オペレーターは悩んだ末なのか、彼をフルネームで呼ぶことに決めたようだった。


「悪くない機体だ。違和感はない」


 彼はそう答えた。


「それでは、『状況』を開始します。どうかご武運を!」


 それは軍用語でいうところの「状況」と呼べるほどものではなかった。1対1でのドッグファイトに過ぎない。さらに言えばそこには「私闘」の色も多分に含まれてある。


 さらにはブルースに不利な部分はあった。こちらのほうが大きいかもしれない。ブルースが前、ゲラルドが後ろという開始位置だったのである。無論、戦闘機同士の戦いは後ろを取った方が有利になる。レスリングでファウルをした時のようなボーナスポイントを予め相手にあげているようなものだ。


 しかしブルースは負ける気がしなかった。そして負ける訳にはいかなかった。


 空に上がったからには誰にも負けない、誰にも墜とされない、そして敵は全部潰す。そんな決意が彼の中にあった。


 戦闘開始。


 すぐにゲラルドからの魔導波(レーダー)照射があり、レッドアラートが響く。


「じつに好戦的だな」

「当たり前だろうがよ」


 すぐさまブルースは回避機動を取り始める。そうすると、相乗以上にVF-15は取り回しのいい機体だと分かった。こちらの意思に素直に反応してくれる。


 しかしそれは、相手も同じ機体に乗っているということでもある。性能に差がないのであれば、純粋に腕が問われることになる。いや。それだけか? ここで問われるのは技術だけではなく精神力もではないか?


 ブルースは執拗なゲラルドの誘導シグナル弾を回避し続けていた。身体に徐々に負担が掛かってくる。高度もかなり上がっている。自分がどういう機動をしているのか、それは計算ずくのものではなかった。彼は本能的に反応し続けた。


「へっ、逃げ回ってばかりかよ、この優男がよ!」


 そんな通信も入ってくる。ブルースは彼の攻撃――そして口撃――をすべて冷静に受け流していた。しかし後ろを取られたままでは勝ち筋はない。よってどこかでギャンブルを仕掛ける必要がある。


 そこではある種の心理戦が行われる。


 ゲラルドは決して平凡なパイロットではない。攻撃的(アグレッシヴ)ではあるが、考えなしではない。その機動は手堅く、簡単に前後を入れ替えないとする意図が感じられた。慎重だったといってもいい。というのは、彼は決して近付き過ぎず、射程のぎりぎりで攻撃を続けていたからだ。


「見事な機動だ。しかしそれでは俺を捉えられない!」


 ブルースは機を見て急減速した。戦闘機動を続けていなければヒットしかねない状況でだ。つまり「ギャンブル」。しかしそれは同時に、ゲラルドの機動と魔導波を冷静に観察していた結果でもあった。距離が一気に縮まる。


「そこでか!?」


 ゲラルドの驚愕する声が通信から響いた。それがブルースの闘争心に火を点ける――


 ――闘争心。


 そんなものが自分にあるとは思っていなかった。ブルースの中でひとつの獣が憑りつき、そして覚醒する――


 そこしかない、という唯一つの機会をつかみ、ブルースは操縦桿を傾ける。すこしだけの加速、そして強烈なG。そこで彼はバレルロールを仕掛け、その仕掛けは見事に当たった。その中で前に向かっていくゲラルド機の、その尾翼までブルースの眼は正確に捉えていた。


 もちろん、その攻防展開をゲラルドが甘んじて受け入れている訳ではなかった。彼は守勢に回らざるを得なくなった現実を素直に受け入れ、今度は回避機動を行う。


 しかし、ここでゲラルドの消極性とブルースの積極性――あるいは異常性――が結果に如実にでることとなる。ブルースは危険を厭わず、接近して張り付き、誘導シグナル弾を発射した。


 彼女ほどではない。


 彼はそう思った。それはあまりよくない傾向であると知りながら。すべてを彼女を基準にして考えるべきではない。


 でも、それでも、ブルースはそうしてしまう。


「ヒット! 撃墜判定!」


 管制塔は中立的な立場を崩さないでいてくれた。じつを言えばそこが一番気になっていた――新入りの自分は割り引いてみられるのではないかと。しかしここの空は、自由ではあるようだった。


「――なんてこった」


 そしてゲラルドも往生際の悪い男ではなかった。彼はすぐに敗北を受け入れ、戦闘機動を終了させた。それどころか、こちらに翼まで振ってくる。


「それが戦争を知った翼か――お前には何もかも正確に見えているようだな、ええ?」

「負けを認めるのが? 案外素直だな」

「こんな公開の場で被弾して、言い訳もできるわきゃねぇだろ」


 すこし投げやりでもあったのがすこし心配だったが、すくなくともゲラルドの航行は素直になっていた。


「この俺が認めてやる――お前が〈ビースト1〉だ」


 もちろん、ブルースはそれを全然嬉しく受け止めなかった。

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