025:From Dusk
大量に雪崩れ込んできたアルスター王国亡命民を捌くのは空賊にとっても中々の難問らしかった。ジョセフ・ネブラスカの執務室から出て、当座の部屋に案内すると言われたのだが、外は騒がしく忙しない。
ブルースは死んだ心のまま、それを見ていた。
「彼らもまた、大切なひとを喪ったのでしょうか」
どういう訳か、彼はディアーネ王女に付き添い続けることを命じられていた。それを命じたのはリーアムでもあり、ジョセフでもあった。ブルースにはその理由がいまいちよく分からなかった。いや、王女に御付がいるのは分かる。それが何故自分でならなければならないのか、という意味である。
彼らには当座の部屋と服が宛がわれた。空賊の保持する航空基地内の、簡素な合同宿舎だった。案内した若い男は「王女殿下にこのような粗末な部屋を案内するのは心苦しいのですが」と言っていた。ディアーネは「気にしませんよ」と言ったが、誰もがこの王女殿下の扱いに困っていたのは確かだった。
ゆえに彼女は沈痛な面持ちになっていた。
「血ゆえに、そのような迷惑を掛けてしまうのは……」
しかし、アルスター王国民にとっては彼女こそが最後の希望だったのだ。そして沈痛にしていても彼女は光そのものだった。
ただし、ブルースにとっては必ずしもそうではなかった。もちろん、彼女は守る。王国軍人として。しかしそれ以上の意味を持つことは、彼には出来なかった。
困惑はしていた。
「私などが御付でよろしいのでしょうか」
ブルースは王族に接するに際してのマナーとか、言葉遣いとかをまるで知らない。その上王女は女性である。どうすればいいのかまるで分からなかった。しかし分からなくても別によかったのかもしれない。彼女はそういうものを気にするような性質の王女ではなかった。
「ケイン少尉――いいえ、ブルースさんと呼ばせていただいてもよろしいでしょうか?」
彼女は言った。ブルースは頷いた。
「お好きなようになさってください、殿下」
ブルースは「ケイン少尉」という呼び方、空軍の階級に今や何の意味もないことをしっていた。それゆえ、ディアーネの慣れ親しもうとする呼び方はむしろありがたかったのである。もっとも、こちらから距離を縮めはしない。
問題はディアーネがかなりの美人であることだった。ブルースも男性的欲求を完全に無視できるほどの賢人ではなかった。すなわち性的欲望を抱くという意味ではない。それでもそれは若い男にとっては難しい話だったのである。ましてブルースはこれまでろくな異性交遊をしてこなかった。ミーティアだけが例外だったが、それは彼女が誰とでも仲良くなれる太陽のようなひとだったからだ。
そうだ。ミーティアなのだ。
彼女が生きてさえすれば、この様な役回りは任せられただろう。同じ女性のほうがいいに決まっている。しかしそれはブルースにとっては矛盾した思考でもあった――ミーティアが生きていたのなら、そもそも負けてはいなかったはずなのだから。すくなくとも彼の中ではそういった考えがあった。妄念であることは分かっている。それでも。
ディアーネはなおも気丈に振る舞っていたが、その足取りはふらふらしている。手を取ってやるべきなのかどうか、ブルースは非常に迷った。が、結局は彼女を王族としてではなくひとりの女性として扱うことにした。別に紳士を気取るつもりはなかったけれども、ふらふらした女性をそのままにしておくのも心苦しかったのだ。
ブルースは彼女の小さい手を取り、その足取りを支えた。
「御無礼ではございますが……」
「いいえ、こちらこそ申し訳ございません」
そもそもパイロットスーツを着たままというのがかなりつらい。慣れないディアーネにとってはよりつらいものだろう。空賊の基地は北方に位置していて、その標高も高いのだが、それでもこのような分厚い服を着ていると、この真夏では暑すぎる。
ブルースですら早く脱ぎたいと思っているのだから、ディアーネはなおさらだろう。健気に我慢はしているが。
それにシャワーも浴びたい。そのような贅沢が許されるのかどうか、まだ分からなかった。
「……国を喪った王族に、果たして生きる意味はあるのでしょうか」
「先程のネブラスカさんの言葉がきになるのですか?」
ディアーネは力無く頷いた。「いないものとして扱う」と空賊の長は言った。それはつまり「アルスター王国第二王女ディアーネは死亡した」とするものであった。その上で、表向きは死んだ者が、生きていてもいいのか、その意味を問うているのである。
ブルースの返答はごく単純なものであった。
「人間には生まれただけで生きる権利があります。王族だからと言ってそれが変わることはありません」
ディアーネはふっと微笑を浮かべた。心なしか、頬にも紅が差したようだった。
それから案内された部屋は4人用のもので、イースタベリ航空基地の隊舎とさして変わらないようだった。
ディアーネはその前に更衣室で着替え、即席で宛がわれた白のTシャツのカーキ色のショートパンツという出で立ちになっていた。長い髪もいまはゴム紐でポニーテールに結んでいる。ブルースも着替えて、ほとんど同じような格好だった。
ブルースとディアーネはふたりきりでその部屋にいたが、扉の向こうには警備兵が立っているようだった。王女を守ると同時に、ブルースが不埒な行いをしないようにするための措置だろう。彼はそう思った。
部屋に置かれたソファに座ると、ディアーネはそのまま崩れ落ちた。彼女をひとりにすべきではないのか――とブルースは思った。彼女は王族である。ゆえに傍にひとりでも他人がいると個人的感情を出すのを許されない。そういう風に幼い頃から教育を受けているはずだ。
彼女が「公人」の立場から離れられるのは家族の内にいる時か、それともひとりだけでいる時か。そしてもはや彼女には家族はいない。亡国の王女なのだ。
しかしいっぽうでひとりにしてしまうのもまずい。なんとも難しい立場であり、それゆえブルースは何故自分がここにいるのだろうかと疑問に思わずにいられなかった。
どうしようか、と模索した。すると、部屋の中にはラジオが設置してあるのに気付いた。音楽でも流せばすこしは気が紛れると思い、ブルースはそれを点けた。
それがどうしようもない間違いだった。
そこからは対アルスター王国戦争の勝利を誇らしげに謳う声が流れてきたのである。映像はないが、その声は聞き覚えがあった。ボリス連邦の最高議長、ヴァーツラフ・ヴァレンツキ本人の肉声であった。
「今日はムンディアル・シエロに住まう人民すべてにとって祝福するべき日であります。アルスターは時代錯誤にも、「王」なるものを戴いておりました。それは特権階級による人民への搾取、その残滓に他ならなかったのです。我々人民同志は偉大なる人類の進化、革命のためにそれを排除せねばなりませんでした。解放のためであります。それは今成就されました。アルスターの民は今まさに、我々解放軍の手によって自由になったのです!」
それがお前達の言い分か、とブルースは凍った心のまま聞いていた。それは先程言っていたジョセフ・ネブラスカの政治解説を裏付けるものだった。ボリス連邦・ヴァレンツキ派はその、それこそ時代錯誤の階級闘争史観を真面目に唱えているのだった。
ブルースはさして感銘を受けなかった。馬鹿馬鹿しいとすら思った。そんなことのために戦争を起こし、そしてミーティアが……
「私は……ここで怒るべきなのでしょうね」
ディアーネはソファに横になったまま、弱々しい声で言った。
「申し訳ございません、このような放送を……」
「いいえ、むしろ感謝します。私こそが聞かなければいけなかったのです。しかし今は……まだ戦う気にはなれません」
「戦う必要など」
「いいのですよ、気を遣わなくても。ただ……今はすこし休ませてください」
「そのようになさってください」
そうして、彼女は2段ベッドの下に寝転んだ。そのまま泥のように眠ってしまった。それを見ると、ブルースもそこでつらい疲労を覚えた。溜め込んでいたものが、ずっ、と流れ込んでくるようだった。思考も散漫になり、強烈に睡眠を欲するようになる。
自分も休もう。
だがその前に彼はディアーネ王女の寝顔を見た――これは守らなければいけない。王族だから、という訳ではなく、奇妙な使命感が彼に襲い掛かった。




