024:Fair Play
ネブラスカ・ヴァンガードの話によると、アルスター王国から亡命してくる航空機はブルースたちのほかにもかなりいるらしく、そしてそのすべてを受け入れているらしい。彼らがそうする理由はなんなのだろうか。空賊が慈善事業を行うとも思えないが……
ということを実際にブルースは危険を厭わずにジョセフに訊いた。空賊のドンは面白そうに腹を震わせた。
「はっはっは、言うじゃねぇか。だがなあ、小僧。俺たちゃ義賊なんだよ。本当に困っている者は放っちゃおけねぇのさ」
なぜそんな時間を持てるのかと言うと、何故かジョセフはブルースを自分の執務室に入れたのである。ひとりではない。入ったのはブルースとリーアム、そしてディアーネであった。
生きた心地はしなかった。しかしそこには怖れもなかったのである。死地にいるのは、あの空戦からずっとだ。疲れは感じている。それは無視できる程度のものだった。
「俺は……貴方がたの戦闘機を墜としたことがあります」
彼は居心地悪そうに言った。
それゆえ、空賊を完全に味方と思ってはいけない、とブルースは思っていたのである。すくなくとも、ちょっと前までは敵対関係にあったのは確かだ。
「それは俺もですね」
リーアムは気楽に続けた。だがかれはブルースよりもう少し挑戦的だった。
「しかしそれはあんたらが喧嘩を吹っ掛けてきたからだ。こっちが罪悪感を持つ理由にはならないだろう」
彼はむしろブルースに言っているのだと、正しく理解した
ディアーネは穏やかな瞳のまま、しかし表情はすこし凍っているように思える。疲弊していないのならいいのだが、とブルースは思った。
だがそれ以上の想像も出来る――彼女はこの戦争でとても大事なものを失った。自分と同じく。それゆえ今、心が死んでいるのだと容易に把握できた。うしろ向きの共感だった。
もし違うところがあるとすれば、きっといずれ彼女は立ち直るだろうというところだった。ブルースは違う。一度氷が突き刺さった心臓が動き出すとは思えなかった。
それでも生きている、その意味とは――
話はブルースの頭を越えて進んでいた。
「そりゃそうだ。俺たちも生きる為に戦った。お前等も生きる為に戦った。そこは同価値なのさ。だから俺は別にアルスター王国空軍に恨みなんか持っちゃいねぇ」
「それで貴方がたが行った略奪も清算して欲しい、ということなのでしょうか?」
言ったのはディアーネだった。その言葉は儚げな姿に反してとても力強い、芯のあるものだった。今、彼女には失われた王国の、まだ失われていないもの、矜持と言うべきものが一身に降りかかっている。すくなくとも彼女はその覚悟で行動している。
「もうすこし現実的な話をしましょうや、お姫様」
ジョセフはアルスター王国の王女だからと言って畏敬の念を持っている訳ではないようだった。
「さっきも言いましたがね、お姫様。この状況では貴女自身が思っている以上に貴女には政治的意味がある。民主ユニオンではなく、こっちに亡命してきたってのも、つまりはそういうことでしょう」
そこはディアーネの(ということは、王国亡命民すべての)弱いところを突いていた。ジョセフは大した政治家だった。しかしディアーネも負けてはいない。
「アルビオン家は象徴的王家に過ぎませんでした。実際の権力などどこにもありません。そんな私にどのような政治的な価値があると?」
「わかっちゃいませんなぁ、お姫様。ボリス連邦は共産主義、唯物論者の帝国なのですぜ。世界最古の、おお、じつに尊い、そんな王家を滅ぼすことには、とても政治的な意味があるのですよ」
大仰な身振り手振りをしてジョセフが言った。元々が恰幅のいい巨躯だから余計迫力がある。この巨人がかつて民主ユニオンの戦闘機パイロットだったというのは、本当なのだろうか。ジョセフ・ネブラスカの経歴については尾ひれの付いた伝説も含め、いろいろなものがあるが――なんにせよ、今ここ、ここに一代で自分の帝国を築き上げた男なのは間違いない。
ディアーネはあまり納得いっていなかったように見えたが、表向きには頷いた。彼女の複雑な心境を分かってしまう自分はなんなのか、と思うブルース。いや、こういう状況ならよほど鈍い人間でないかぎりは分かるのだろうけれど。
「それで、私たちにはどのような要求をするのですか?」
「『要求』?『提案』ですよ、これは」
ジョセフはからからと笑った。
「貴女には、この亡命には参加していなかった、『いなかったもの』として振る舞ってもらう。なんなら空で死んだ証拠を偽装工作してもいい。なんにせよ、お姫様は今のところ世界の表舞台に立つべきじゃないんですよ」
ブルースは最近勉強し始めたとはいっても政治には疎い。それでもジョセフの言った意味はなんとなく理解出来る。
「それで、あなたたち空賊にはなんの得があるんですか?」
「小僧。ここに匿われる気があるんなら、二度と『空賊』なんて呼び方はするんじゃねえ」
「嫌いな呼ばれ方なのですか?」
「そういうことじゃねえさ。大国に『空賊』呼ばわりされるのは、むしろ気持ちいいと言っていいね。しかし自分自身がそう名乗るのは、それは間違っているということさね」
ということはつまり――彼は既に自分達を「自分自身」に組み込み始めているということなのだろうか。
「ジョセフ・ネブラスカ。貴方はまだ俺の質問に答えていません」
「そうか? 最初に言ったじゃねえか――俺たちは、義賊なんだよ」
「空賊とは名乗らないのに、『義賊』はいいんですか」
「こまっしゃくれたガキだな。そんな言葉の揚げ足取りすんな。もうちょっと素直になれ」
「貴方はブルースを大層気に入っているようだな」
横槍を入れたのはリーアムだった。ジョセフはにやりとして頷いた。
「ここまで生き残って来たパイロットだ。腕のほうは確かなんだろう。ましてお姫様を後部座席に乗せて航行する胆力はすげぇもんがある。ブルース・ケイン少尉――まあ少尉なんて階級はここではなんの意味もないが。俺たちはミーティア・コリンズとともにお前等を密かに――」
「ミーティーの名前は出すな。それは許さない」
自分でもぞくっとするほど冷酷な声だったのだから、ほかの者にとってはよっぽどだったのだろう。ここまで気丈な顔を見せていたディアーネが初めて怯え、リーアムも顔を青白くさせ、ジョセフですらややたじろいでいる。
しかしどうして自分はそんなことを言ってしまったのだろう? よく分からなかった。彼女のことを忘れたかったのか――
それとも、彼女の想い出を独り占めにしたかったのか?
「……ああ、そうしよう」
「申し訳ございません」
「それで、ジョセフ・ネブラスカ。俺たちを匿ってどうするおつもりなんで?」
リーアムが訊いた。ジョセフはすぐに気を取り直してふくふくと笑った。厳つい容貌をしているが、中々どうしてかわいらしいところもあるじゃないか、とブルースは勝手に思っていた。まあ、こういう立場にいる者には愛嬌も必要なのだろう。そしてジョセフの愛嬌は後天的に鍛えたものではなく、天性のもののように見える。
「ヴァルハラ・民主ユニオン、ボリス連邦、そして貴方がた――アルスター王国が我が貴重な航空戦力をばかばか墜としてもらうのでね。いや。戦闘機はまた作ればいい。だがパイロットはそうもいかん。つまり人材が払底しているのだ」
ジョセフはまたにやりとした。
「そういう訳で、お前等は我々の空の労働力として組み込ませてもらう。のんべんだらりと地上で過ごすよりかはいいだろう? アルスター王国空軍のパイロットは真面目で優秀と聞いているからな」
「――そのために、私に人質となれと?」
強張った顔でディアーネが言った。
「そういう訳じゃございませんよ、お姫様。我々は貴方がた亡命民に新たなライフスタイルを提案しているのですよ」
どこまで本気なのか分からないが、ともかくジョセフはそう返したのである。となるとディアーネも二の句が注げない。弱い立場にいるのは、どうしようもなく、現実だからだ。そして彼女はその最終的決断を迫られる立場にいる。
そして彼女はこう言った。
「よろしいでしょう、サー・ジョセフ・ネブラスカ。貴方の『提案』を受け入れます。本来私が決めることではありませんが――アルスター王国の生き残りは貴方に運命を委ねます」
「貴女は素晴らしい指導者になれますよ、ディアーネお姫様」
「わたしはただ王族としてあるだけです」
ボンヤリと、ブルースは聞いていた――要するに王女の身柄の安全の代わりにほかの者は空賊にこき使われるという訳だ。面白くない話ではある。
だが彼は「空の労働力」という言葉に魂を惹かれていた。それは単純に歓びだった。
ここでもまだ、空を飛ぶことが出来るのだ。




