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空の底  作者: 塩屋去来
第一章:空軍、青春の日々

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013:Invasor





「国籍不明機? 大群? なんだ、そりゃ」


 ミーティアの疑問はごもっとなものだった。実際、ブルースも似たような感想を持っていたのである。せっかくの楽しみ、まさにその時を邪魔された不愉快さを取り除いてもだ。もちろん基地の通信に文句を言っているのではない。その、今襲い掛かってくるという国籍不明機に対して怒りを向けているのだ。


 発走まではもうすこし。レースを見終わるまでいても5分もないだろう。それくらいなら許されるのではないか――と思わないでもない。しかし無線で伝えらえた内容と、その管制官の声色、声からすればそれは〈クラウンズサイト〉のものだったが、その限りではかなり深刻な状況であると考えられる。


「この場合、どうすればいいと思う? ここはブルースくんに判断を任せるよ」

「判断も何も、命令だ。従うしかない」


「至急」、ということだ。軍属であるならば、それは最優先しなければならないものだった。たかが5分、されど5分。その差で取り返しの付かない事態になることも考えられる。実際問題、爆撃で滑走路を使い物にならなくするのには5分もあれば事足りるのだった。


 よって1分でも早く帰還しなければならない。それがブルースの下した結論だった。


「ミーティー、異論は?」

「異論というか、感想。あたしはブルースが真面目でよかったと思う」


 そういう訳で、今まさに「スティムボゥ・サマー・グランプリ」が発走し、レースが始まるのも見ないまま、場内の実況を聞きながらふたりは早急にきかんすべく、競馬場をあとにしようとしたのである。


 しかし人混みのなかを掻き分けて逆流するというのは中々に難しいものがあった。まさに興奮の最中にあって、帰ろうとしているふたりの姿はさぞかし一般市民の目線では奇異に移っただろうし、彼らはふたりが空軍パイロットなのだとは知らなかっただろうし、国家危急の事態が起ころうとしているのも知らなかったに違いあるまい。


 ――彼らは、知る必要はない。


 ブルースはそう思っていた。市民を馬鹿にしているのではない。彼らに知られるまでもなく、緊急事態を軍のところで収め、彼らは何の心配もないまま競馬を見られ続ければいい、そういう意味である。


 ともあれ急がなくてはならなかった。ゆったりと電車で帰っている暇は無い。ということはタクシーを拾わねばならなかった。空を守る為に飛ぶ戦闘機パイロットが、戦闘機に乗る為に地上の移動手段に四苦八苦するのはなんとも皮肉なものだと思いながら。


「とりあえず領収書は切っておいて貰おうね。きっと経費で落ちるから」


 こんな状況でも妙な現実感を持っているミーティア。女性らしいといえばらしいのか。しかしこんなところで彼女の女性らしさを感じるというのも、またおかしい。


 若い男女が焦って、しかも競馬場から出て来て、急な用事でタクシーを拾うというのはそれだけで一大事だと見なければならない。しかもその行き先がイースタベリ航空基地となれば。ブルースはどうやってこの状況を説明すればいいかどうか非常に困った、今まさに国家緊急事態が起こっているなど、絶対に知られてはいけないと思ったからだ。


 こんなことになるなら、ケチったりあるいは見栄を張ったりせずに基地の公用車を借りてここに来ればよかった、と今さらな後悔をする。軍人の身を明かして競馬場に訪れるのはなんとも浅ましいようなことのような気がして、それはミーティアも同調したものだった。しかし今の事態によってすべてが逆効果になっていた。


 幸いにも、壮年のタクシードライバーは見事なプロ意識を持ち合わせていた。その帰路の間、彼はまったくこちらに事情は訊かなかった。世間話すらしなかった。自分たちが空軍関係者――どころか、戦闘機パイロットの将校――であるのはバレているだろう。その上でドライバーはその態度を崩さなかった。恐らくはある程度の予想は付いているだろう。なにか緊急事態があったのだろうと。しかしその点においては、ブルースたちもじつはあまり把握していないところでもあるのだった。


 タクシーは航空基地の正門よりはすこし離れた所、目立たない所に停まってくれた。スティムボゥ競馬場から基地まではタクシーが全開で飛ばして約20分だった。


 すでに空では戦闘が始まっているのだろうか――とブルースは思った。


「非番のあたしたちまで呼び戻すなんてただ事じゃないよ。……戦争が、始まるのかな」

「まだ分からないよ。第一、いま王国に戦争を仕掛けるような他国なんてあるか?」


 戦争。彼女はその言葉を重く言った。しかし重いがゆえに、ブルースはその可能性を考えたくなかった。もちろん、軍人であるからには常に戦争に対しては準備しておかねばならない。だが同時に戦争は起こって欲しくない、起こさせてはいけないと考えるのも軍人なのだった。その点、ブルースは生真面目過ぎるほどに真面目だった。


 基地に戻ると、そこではけたたましくサイレンが鳴り響き続けていた。そこかしこで基地隊員がせわしなく動いている。基地司令部の入っている施設の先には滑走路があるはずだ。そこからは順々、といった感じに、そして急いで、戦闘機が発進していた。


「こんな基地、見たことない」


 ミーティアはぼそっと言った。ブルースも同じ思いだった。だがそれとは別に、もうひとつ見たことないものがあった。それはここまで真剣で深刻な彼女の表情である。


「急げ! 戦闘は既に始まっている!」


 訊くと、〈ランスロー隊〉は休暇中だったふたりを除いて既に上がったという。それだけではない。基地の総力がいま打ち上げられようとしていた。そして非番の彼らすら駆り立てられようとしている。尋常な状況でないのは確実。すくなくとも空賊の安っぽい挑発ではないだろう。


「ブリーフィングもなし?」

「言っただろう、戦闘は始まっている。いまは1機でも空に上げるのが先決だ。状況は空中で知らせる!」


 管制のオペレーターが言った。


「なんでこんな緊急事態になっているんですか?〈クラウンズサイト〉は――」

「AWACSは初手に敵の超長距離対空弾で墜とされた。それでここまで後手に回っているのだ! こんなことは、初めてだ――」


 まったくの異常事態。AWACSまで墜とせる戦闘能力を持つ空軍は、この世界でも限られている。すくなくともアルスター王国では不可能。可能なのは2超大国のどちらかだろう。


「やっぱ、連邦かな」

「その可能性は高いね」


 アルスター王国は中立を宣言している国家である。しかしその中立を保証しているものはすくない。先進的な技術と練度を誇る空軍がその要であるはずだった。


 だがボリス連邦が本気になって物量を投入してくればひとたまりもないだろう。


 とにかく急がなくてはならない。


 一旦ミーティアとは別れ、待機所でパイロットスーツに着替える。あまりに危急の事態なので余計なことを考える暇すらなかったのはよかったのかもしれない。ただ現実に向かうしかない、という現実が横たわるのみ。


「国家存亡の危機、か……」


 あるいは、そこまで危険な状態ではないのかもしれない。だが今、戦争はそこに来ている。戦争だ。空賊の掃討とは訳が違う。圧倒的な巨大機械によってなにもかもがすり潰されてしまう、その無慈悲な――


 だが不思議と、ブルースにはさほど空軍に入った後悔はなかったのである。ともすれば、空を手に入れる代償としてそれくらいは支払わなければならないだろう、とすら思っていたのだった。


 そこに後の〈ウルフ〉を見出すのは簡単だが、この時は彼自身も含めてそれは誰も知らないことだった。


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