011:Pleasantly Perfect
いつもの哨戒任務や、この前の空賊との戦闘に比べれば展示飛行などたいしたことはない――と思っていたのだった。ところがブルースはその時になるといやに緊張してしまった。どうしてだろうと思った。別に命の取り合いではないのに。
王女殿下に見られるからなのだろうか。それとも単純に、訓練でもどことなくぎこちなかった、決まり切った飛行ルートを追うことに違和感があるのか。どちらの要素もあるような気がする。
やがて一番の理由が分かった。彼にとってはこれが初めての衆人環視の飛行だったからだ。士官学校の訓練でもそういうものはなかった。正式に空軍に編入されてからはなおさら。要するに恥ずかしいということなのである。
「そう気張らなくてもいいぜ。専門の展示飛行隊じゃないんだから、みんなもそこまで見事な編隊飛行なんぞもとめていないだろう」
「そうそう。ブルースは自意識過剰なんだから」
とリーアムやミーティアなどには言われるのだが、ブルースの目には彼らもどことなく緊張しているようにも見えた。
「見事な展示飛行が出来たからと言って、それが国防に繋がる訳じゃないですか。なんでこんなのが必要なんでしょう」
「そりゃまあ、軍隊ってのはそこそこ以上にハッタリってのが必要だからな」
だから中世の騎士たちもゴテゴテの装飾品を鎧とともに身に着け、厳めしい戦旗もはためかせ、敵を威圧した。空軍はその末裔なのだ――とリーアムは説明してくれた。ブルースはあまり腑に落ちなかった。実際の空戦に参加して分かったことがある。戦闘とはそういった整然としたものではない。
「はっきり言っちゃえば、国の見栄ってやつよ」
「そこまではっきり言うか? ミーティー、俺たちの中だけならいいが、そんなことをもっと大きな場所で言っちゃいかんぞ」
「へへっ、分かってますって」
ブルースはミーティアがそういう態度を取る時ほど、じつは自分に自信がない時なのだと分かっていた。ミーティアは豪胆な女性だが、無神経ではない。むしろ本来の繊細さをおちゃらけた口で覆い隠している印象もある。実際にそう言ったらきっと彼女は起こるだろうから、これは単にブルースの憶測に過ぎない。
ともあれすでに機体の発進準備は整っていて、あとは乗り込むだけである。地上にいる時はどれだけ緊張していても、空に上がってしまえすればあとはやるしかないと肚を括れる。それを経験で知っているためにブルースは緊張はしても心配はしていなかった。それはほかのみんなもそうだろう。ここにいる隊員は、すべて空に居場所を見出している者ばかりである。ミーティアもそうだろう。
展示飛行自体はそんなに複雑なものではなかった。曲芸飛行を求められるものではなかったからだ。8機の編隊飛行を維持し、「8」の字を描くような軽い機動を見せるだけである。飛行時間もさして長くはない。しかし慣れない飛行であるのも確かだった。
「皆様、ご覧ください。これが我がアルスター王国を守る精鋭部隊、王国空軍第3航空師団045中隊、通称〈ランスロー隊〉の雄姿であります――」
ディアーネ王女の慰問は、同時に基地の公開日にもなっていた。王女はSPに厳重に守られているだろう。彼女も地上でこの飛行を見ているはずだが、もちろん王女の姿は空の上からは豆粒程度にしか見えない。しかし確かに見ている。ブルースの中にあらためて恥ずかしさが湧き上がった。
「諸君、実際の戦場ではこういった整然とした編隊飛行などしないと思うだろう。しかし、通常こうやって規律ある飛行が可能であればこそ、実際の戦闘機動もよくできるものなのだ。決して手を抜いてはならん」
ランカスター隊長の言葉はごもっともだった。基本が出来ていないものに応用ができるはずもない。だが戦史はそれに矛盾している例も教えている――いつの時代も、規格外の天才というのはいる。そしてその時、あらゆる教則はその天才の前に平伏してしまう。
別に自分が天才と思ってはいないし、天才になりたいとも思わない。だが天才を間近で見ているような気持ちはあった――ミーティア・コリンズ。彼女はそういったものだった。すくなくとも、ブルースの中では。
いっぽうでこうも思う。戦場で発揮される天才など、できればそのままそっとしてあげて欲しいとも。
いつの間にかブルースは落ち着いて飛行していた。彼にとっての空とは、瞑想的空間でもあったのだった。
展示飛行自体はとても上手く行ったものだった。一糸乱れぬ編隊飛行。それはそのまま〈ランスロー隊〉の練度を示すものだった。おまけにこの日は快晴で、ぎらついた夏の日光がかれらの飛行をより映えさせた。
1時間の飛行とともに、045中隊は飛行場に降りた。そして駐機場に戻っていく。その姿も整然としていて、それはブルースもミーティアも例外ではない。しかしいつもはすぐ駐機場のシャッターは締められ、整備士たちによる点検が始まるのだが、この時は駐機場は解放されたままだった。そしてぞろぞろと観衆が滑走路にやって来る。
「彼らは俺たちを見たいのかな、それとも」
「ディアーネ王女殿下は熱心な追っかけがいるとの評判です」
「王女様と結婚できるとか思っているのかねぇ」
ともすれば不敬とも言われかねない話をブルースとリーアムはしていた。しかし無駄口を叩いている時間はそんなになかった。すぐに045中隊の面々は基地司令官バウザー大佐の命令とともに整列させられる。そしてここで直々に王女殿下のお言葉を賜るのだ。
それはそれで得難い体験なのではないか、とブルースは思った。すくなくとも、空を飛ぶという未来を選んでいなければ、自分のような平凡な農家の息子は王女殿下に拝謁する栄誉に浴することはなかっただろうから。
しかしその「拝謁」に対する現実も知ることになる。整列をさせられている間、SPたちにボディチェックをされた。それも執拗に。当然、通常の任務で装備している拳銃もこの時は持っていない。
いや、別に自分がボディチェックされるのはいいのだ。しかしミーティアまでそうされているとちょっと変な気持ちになってしまう。
そしてほかのことも、思った以上にメディアの取材陣が集まり、各々カメラを構えていた。空にいた時以上に緊張する場面だった。やはり見られているという感覚は慣れない。ブルースは目立つのが嫌いな性質なのだ。もっとも、この時カメラが狙っていたのはあくまでディアーネ王女殿下なのだが……
その彼女が目の前にいる。王女は確か年下のはずである。しかし彼女のことは子供の頃からニュースで見ていたし、あまり年下という感覚はなく、実年齢以上の雰囲気を持っているように思えた。王族とはそういうものなのだろう。まるで想像もできない世界である。その一端に、一瞬でも触れるのは僥倖と言えるのだろうか――
045中隊は王女を目の前にして直立し、正式な敬礼を見せた。ディアーネ王女が楽にしていい、という合図を送ると、敬礼は降ろしたものの直立はそのままだった。そんな中隊の面々に向けて、王女はひとりずつ握手を行い、なにか一言二言声を掛けられていた。ブルースは澄んだ声だな、とは感じていたものの、その会話の内容については耳に入っていなかった。自分の番が来るとなると気が気でならなかったのだった。
そして、王女は彼の前に立つ。ディアーネ王女はその澄み切った、しかし柔らかい美貌を見せ、すこし上目遣いになりながら直立したブルースの両手を取った。完全に洗練されていて、嫌味も卑屈さも感じさせない、まさに王族というべき所作だった。
意外に小さな手だな、ということをこの時覚えている――
「ブルース・ケイン少尉ですね。先の戦闘では我が国の船をお守りになり、大層奮闘されたと訊き及んでおります。その献身を国は決して忘れません」
「はっ、光栄であります、王女殿下!」
「ですけれど――あなたもまた王国の同胞。決して無駄に命を捨ててはいけませんよ。戦闘機パイロット様にこういうことを言うのもなんなのですが――ますはその命を大事になさってください」
恐ろしいのは、それがおためごかしの台詞ではなく、本気で言っているのが分かることだった。国民が守りたい、と思わせる王族というのはこのようなものなのだろうか。
ブルースの番はそれで終わった。そして彼は、手に残った王女の暖かさを反芻しながら、しばらくぼうっとしていたのである。




