序
エスコンがやりたいなって。
"Only Wolf can kill Witch,and only Witch can hunt Wolf."
◇
かの戦争を歴史として昇華するほどまだ時間は経っていないし、また私たちも成熟はしていない。
二大陸戦争――この言葉が生まれたのも最近のことだが――の終戦から5年経過し、それに関する様々な書籍が出版され、マスメディア、ネットワークでも政治、政略、戦略、戦術を絡めた論議は活発になっている。これは我々の世界史上初めて経験した「世界大戦」であり、まだまだ語られる部分はあるし、語られなければならないのに語られていない部分はもっと大量にある。
しかし今のところ、その論議は政治レベルの話か、さもなくばもっと身近な戦時体験がほとんどであり、そこにいた兵士たちの生の声はあまり聞こえて来ていない。それも仕方のないことなのかもしれない。筆者自身、戦場の傷痕、ことに一生片足で生きねばならなくなった傷痕の記憶はまだ生々しく、戦争を客観的事実として記述するのにはまだ躊躇いが残っている。
それでも私は戦時中も戦場記者として従軍し、その記事を新聞等に精力的に上げた。戦時統制の中では書きたくても書けないものは多かったし、時には軍上層部に明らかな戦意高揚記事を書くことも迫られた。その中で私はなるたけ客観性を保ち続けようとしたが、それが完璧だったと自画自賛するつもりはない。元々が民主ユニオンの軍人出身だったのだから完全なる中立を保てるわけがなかった。しかし当時筆者の寄稿した記事を精読して下されば、ある程度は冷静さを保持していたと評価されるべきだとも思っている。
なにを言いたいのかというと、作家、ジャーナリスト問わず、その著作物にバイアスを完全に取り除くことは不可能であり、読者に際してはそこにまず留意していただきたいということである。ありがたい話ではあるが、筆者は戦後からすでに幾つかの戦記録(そこには戦中寄稿した記事のまとめも存在する)を上梓し、すくなからずの好評と、すくなからずの批判をもらっている。だとしてもそこからは逃れられてはいないだろう。
筆者自身にとってはそれは断片的な記憶を開陳しただけのものであり、この戦争の総体的な記憶、記録を残すものではなく、じつのところ不満にも思っていた。なにも政治的な面からこの戦争を洗いだそうという大胆な目論見を持っているのではない。冒頭に触れた通り、そうするにはあまりにもこの戦争はイデオロギー的であったし、ゆえにセンシティヴなものにならざるを得ない。そこを語るほどの政治的知見を持ってはいないし、もっと単純にそこまで知性的でもない。そこは100年後の歴史家が語るべきなのではないかと思っている。
筆者は本書を歴史書にするつもりはない。あくまで戦場の記録として残すつもりである。それもまた後世の歴史家の糧となると思えば。
ところで、筆者は陸軍出身であったし、ゆえに戦時中の記事も戦後に出版した著書もおおむね陸軍に関するものであった。それが今になって空軍に関する著書を発刊しようとしたのか、その点についていささかの説明が必要だろう。
読者もご存じの通り、戦争の主力は空軍である。戦闘機が空にいなければ兵隊も戦車も前に進むことは出来ない。最終的に陣地を制圧するのは自分たちなのだ、という自負はあっても戦略的な決着は空で終わっていることがほとんどである。それを引け目に感じている訳ではないし、当時は上から支援してくれる彼ら、翼の勇者たちを頼もしく思ったものだ。しかしそここそが重要な点であるとも言えるだろう。
つまり、筆者は、そして陸軍兵士のほとんどもそうだとは思うが、彼ら空軍兵士をどこか異星人のようなものとして捉えがちなのである。それは今に始まったことではない。二大陸戦争以前にもはるか昔から行われてきた我々の愚行の中で、かれらはどこか偶像的な英雄として語られることが多かったのだ。筆者にしてからが、そういった戦記物の愛読者であった。空の英雄に憧れながら、自身は決して空に上がろうとしなかったのは不思議なものであるが……
本書の目論見は、すなわち、その偶像的な空の英雄たちの、その人間性に迫ることである。すでに戦中より名を馳せていたエースの名前もここにはふんだんにでてくることであろう。天才的な、あるいは異常とも言える戦果を誇った者もいる。それに付随した者も。
しかしかれら英雄たちにしても、この戦争は命を削る生のものであった。そこには確かに人間的なものがあった。むしろそういった極限状態に置かれていた彼らにこそ、生々しい人間性は見出せるものだろう。筆者は取材していてそのことを頻繁に痛感したものである。
取材は十全に行われたとは言えないだろう。すでにこの世に存在しない者、あるいは生死不明の者も多いのだから仕方ないところではある。筆者は万能の神ではないため、死者に取材することはできないからである。だが周辺を取材することによってその中心を洗いだすのは不可能ではない。私はこの取材を通じて――主題が明らかになるにつれてより危険な取材を試みることにもなったのだが――その戦争の違う一面を見た。
それは今まで語られなかったこの戦争の空戦の生の記録であった。
そしてその中心にあるのは「狼」と「魔女」の終わりなきように見えた凄絶なる死闘である。
わたしはふたりの記録に触れ、当初予定していた群像劇的な空戦関係者へのインタヴュー集を変更し、かれらを主軸にした物語に編纂し直すことにした。ここには、かれらにはそれだけ語られる意味がある。なにより取材した対象たちがそれを望んでいるようでもあった。
「狼」にも「魔女」にも会うことは叶わなかった。ふたりは今なお生死不明である。
筆者には戦争を英雄譚のように称える意図はまったくない。戦争は悲惨なものである。忌むべきものである。それは筆者の失われた片足が物語る通り。しかし、だからこそ偉大なる戦士の記録、記憶は残さねばならない。それはこの愚かしい時代に生きた我々から、より良き世界を作る為の後世の人々への警句となるであろう。
戦争では数知れぬほどの命が散った。残された我々には語ることと祈ることしか出来ない。願わくば、それが「空の底」に眠る人々の鎮魂にならんことを。
2015年10月10日 アルスター王国首都ウェスタベリにて
ロバート・ワイズマン




