妻が癌になる日3
愛の出産が終わった。
孫が生まれたというのに岳志はエイミーと喧嘩をし、遥香は疲れたと言ってふらふらとその場を後にした。
慌ててその後を追う岳志。
岳志とエイミーのやったことは痴話喧嘩だ。
元恋人同士の互いに許せない過去をほじくり返しての喧嘩。
癌が判明した時にエイミーと再婚して良いよと零した遥香は複雑な気持でいたのだなとつくづく思い知らされた
遥香は、入院受付の前の席でミネラルウォーターを飲んでいた。
隣に座る。
「悪かった」
「良いわよ。私だって家庭を疎かにして仕事に傾倒してきたんだから」
遥香は苦笑交じりに言う。慣れっこと言った感じ。それが岳志の胸を締め付ける。
「けど、それも終わり、だろ?」
遥香は退院して、未だに通院を続けている。
抗癌剤治療を受けているのだ。
マーカーの値は良好。
転移している可能性は薄い。
「最近、また仕事に対する意欲が湧いてきてね」
「これだ」
呆れ混じりに言う。
「そろそろ俺達も隠居を考えようぜ」
「けど貴方だってNPBのコーチじゃない」
「二刀流のノウハウ持ってるのもあるし、続けろって言ったのはお前だ。未練はないよ。なあ」
そう言って、遥香の頬に手を置いてこちらを向かせる。
「そろそろ俺達、向かい合っても良くないか?」
遥香は苦笑する。
「夫婦生活は成り立っていると思うけど?」
「けど、お互い、仕事、仕事、仕事だ。二人の時間を大切にしたい」
「ライフワークバランスを考えようって話?」
「そんなところ」
考え込む遥香。
「けど、私は仕事を続けると思う。生きがいなのよ」
「そりゃ、俺だってコーチ業は続けるけどよお」
嗚呼、平行線。
お前が仕事ばかりやってたから妻は仕事に逃げたんだろうというエイミーの指摘が今更になって突き刺さる。
「十一月二十四日、開けとけよ」
遥香が目を見張った。
その表情が柔らかくなっていく。
「覚えててくれたんだ」
「今年から、十一月二十四日は旅行だ。何処へ行きたい? 北海道でトリトンでも行くか? 北陸でのどくろ食べるか?」
「うーん、蟹も良いわね。良いわ、わかったわ」
遥香が観念したように言う。
「私達、もう一回夫婦しましょう」
肩の荷が降りたような気分になった岳志だった。
熟年離婚は増加傾向にある。
けど、自分達はそうならないと、その日、確信できた。
その日、岳志は春武にこっそりと遥香が癌治療を受けていたことを明かした。
春武は驚いたが、マーカーが良好だと聞いて少し安堵したようだった。
そして、夫婦をやるということを改めて告げた。
「俺達がワーカーホリックだったせいでお前にも家族してやれなかった。お前は俺達みたいになるなよ」
苦笑交じりに言うと、春武は岳志の肩をぽんと叩いた。
「改めて夫婦やるって聞いて嬉しいよ。今日はあんたの孫の誕生日で、あんたの第二の結婚記念日だ」
妻が癌になった時、自分の立ち位置の不安定さに慄いた。
けど、今は違う。
癌を通じて、夫婦の結びつきが強くなったことを感じた岳志だった。
数十年夫婦やってて、こんなこともあるのだなあと感じると同時に、随分遠くまで来てしまったのだなと思い知った。
残されている時間が、永遠ではない。そうつくづく感じさせられた。
つづく
この回はここで終わります。




