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魂魄燃焼

生まれたときから、俺はどこかおかしかった。

赤ん坊の頃から、なにもないのによく泣き、よく憤り、そしてよく暴れていたらしい。

物心がついてからもそれは続き、いつも俺の眉間にはシワがより、不機嫌そうに眉をしかめて日々を過ごしていたらしい。

そんな俺に、母はよく尋ねてきたものだ、


「またそんなに怖い顔をして。能叙(のうじょ)は、何をそんなに怒っているの?」


それによって俺は、自分の胸で暴れまわるこの感情が、怒りというものだと知った。

だが俺は、その母の疑問に答えることができなかった。

なぜなら、おれ自身、どうして自分がそんなに憤っているのかわからなかったからだ。


母さんはいつも笑って、機嫌の悪そうな俺を抱き上げてくれる優しい人だったし、父さんは寡黙だったが、優秀な狩人で、俺たち家族を飢えさせたりはしなかった。

不平不満など、あのときの俺にあるはずがない。


ただその時、俺はなにかが気に入らず、宛のない怒りに身を任せ、ままならない自分の感情にほほを膨らませることしかできなかった。



…†…†…………†…†…



俺がなぜ怒っているのか。

それがわかったのは母が奇妙な病で亡くなったときだった。

身体中に得体の知れない赤い発疹をつくり、血を吐きながら悶え苦しむ母。

父は必死に精のつくものを狩り、俺は死に物狂いで看病したが、結局母は帰らぬ人となった。

そうして、声も出さず、静かに涙を流す父と俺が、母の墓を作っていると、それはやって来た。


母が病になってから、うちに近づこうとしなかった村の連中がやって来て、村の墓所に母を埋めようとした俺たちにこう言ったのは。


『すまないが……彼女を村の墓所に埋めるのはやめてほしい。君たちも、できればこの村を出ていってくれないか?』


もはや声も覚えていない村の長老は、俺たちに向かって確かにそういった。

なぜだと怒り狂う父にたいし、村長は理由を語るのをいやがっているように見えた。

だが、不思議と俺はその理由がわかった。

村長にすべてを押し付け、自分達では何も言わない村人たち。

そいつらの目が、確かにこういっていた気がした。


不気味な死にかただ……。

得体の知れない……。

なにかに呪われたのでは……。

私たちにも、それは降りかかるのでは……。

寄りたくない……。

近くにいてほしくない……。

気持ち悪い……。

どこかへいってくれ……。


『俺たちはまだ、死にたくない』


それを悟った時、俺は身を焦がすような怒りを覚え、怒号をあげて村長に殴りかかかった。



…†…†…………†…†…



気がついたときには、俺は父の背中に担がれ、村の外にいた。

きっと追い出されてしまったのだろう。目の前には、母のはかとおぼしき土が盛り上がった場所があった。


「………………………」


父は俺に何も言わなかった。

ただ黙って、祈りを捧げていた土の盛られた場所に背を向け、俺を背負ったまま、村とは違う方向に歩きだしただけだった。


そんな父に俺はいう。


「父さん。俺、悔しいよ」

「……そうか」

「村の連中に追い出されたことがじゃない。母さんをまともに弔ってあげられなかったことがじゃない……。誰も、何も、母さんを思いやってくれなかった、こんな世界にすんでいることが……」


――悔しくて仕方ない。

長年の正体不明な怒りの正体に気づき、俺の声が震えた。


あぁ、そうだ。俺が気に入らなかったのはこの世界だ。

まるで畜生と変わらない、そんな心しか持てない、この世界そのものが憎かったのだと……このとき俺は初めて知った。


そんな俺に、寡黙だった父は珍しく長く言葉を紡いだ。


「それは仕方ない。あのときは私も怒ったが、誰だって自分の身がかわいい。命にか関わるならなおのことだ。今は誰しもが、いきることで精一杯なのだから」

「っ! でも!」

「だからこそ、お前は強くなれ……」


そして、俺の言葉を遮るように、父は言葉を重ねた。


「誰にも頼らなくても生活できるようになれ。誰もが助けられないくらい、強くなれ」

「……父さん?」

「父さんは、結局それを得られなかった。母さんを、救ってあげられなかった。だから!」


俺を背負っていた父さんの背中が震えた。

俺の手をうつ暖かな滴は、たぶん父さんの、


「そして、一人で生きていけるようになったのなら、誰かを気遣える、優しい人になってくれ。お前たちと俺は違うと。俺は強いから、お前たちが持てなかったなにかを持つことができるんだと……その姿に、誰かが憧れてくれたなら……」


――きっと、世界は変わるはずたから……。


それが、俺の生き方を決めた言葉だった。

強くなる。誰よりも強く、誰よりも気高く。俺はきっと、


「世界を、変えてくれ。能叙――神納」

「うん、父さん。きっと俺が、世界を変えて見せるよ」


このために、生まれてきたんだから。

降り始めた雨は徐々に強くなり、やがて豪雨へと変わった。

足元の水盆がいよいよ上空の景色を写さなくなる。

そんな中、


「くそっ! これ以上時間稼ぎは難しいぞ!」

『まあ、相性自体が悪すぎるしね』


降り注ぐ雨によって、纏う炎の勢いを幾分か落とした神納達か、雨を受けさらに動きの切れが増す蛇モドキに追い詰められていた。

もはや反撃する余裕もなく、残り火のような炎でなんとか宙を舞い、蛇モドキの攻撃を避けるしかできなくなっている。

だが、それでも……。


『今あの人はどのあたりだ?』

『わからないよお兄ちゃん……。ほんとどうなっているのあれ? 碌な神秘も纏っていないくせに、ほんとに見づらい。まるで雨で存在そのものが溶けてしまったよう。視覚頼りの私じゃ、居場所を割り出すのは難しい……』

『上等。それだけ敵さんにも気づかれにくいってことだ!』


作戦は今だ結実していない。 自分達の役割はまだ続いていた。

だから、神納は決意する。


「鳳凰……やってくれ」

『っ! でもお兄ちゃん! あれは前にも言ったけど、お兄ちゃんの魂を削って出す……』

「かまわん!」


最後の切り札を切る覚悟を。


「どっちにしろこのままじゃジリ貧だ。それに……約束しちまったからな」


その覚悟を後押ししたのは、故郷で水を待つ無辜の人々。

そして、


「あんたのけじめを手伝うと。なら、命くらい張らなくてどうする!」


一人の女を救いたいと、自分に頭を下げたこの世界の作り主!


「それに、俺は強い。誰にも頼らず、誰にもおもねらず、生きていける力がある! だからこそ、俺は誰かを助けてやれるんだ! こんな贅沢な状況で、全力を尽くさないでいるなんて……そんな奴は男じゃねえ!」


その咆哮とともに、彼らが纏う炎が、赤から青に染まる!



…†…†…………†…†…



「なっ!?」


それを見て驚嘆したのはシェネの方だった。

放出される炎の色が変わったのは、そのまま燃焼物の種類が変わったことを意味する。

赤はただの霊力燃焼だが、それが青に変わるということはすなわち。


「まさか、自分の魂を燃焼させているというのですか!?」


なぜそこまで? シェネの脳内にそんな疑問が浮かぶ。

先程も言ったように、集落への水は、少なくなってはいるが最低限必要な分は流しているし、今回の雨である程度水量は回復したはずだ。

はっきり言って、このまま神納が命を張り続ける理由は無いに等しい。

それなのに、どうして!


「どうして、あなたはそこまで!」

『愚問だな……』

「ッ!」


思わず心の声が内心に出てしまっていたのだろう。

青い炎をまとった神納は、不敵に笑いながら、シェネの問いに答える。


『命を懸けて守り抜く! そう誓ったから、人は戦うんだろうが。あんたもそうだろう? シェネ・レート』

「なっ! あなた、どこで私の名を。いや、知恵の果実からの知識供出ですか!?」

『だが、ここは譲らんぞ! 俺の背中には、数百人近い、集落の人間の平穏がかかっている! だからこそ、譲るわけにはいかない!』


瞠目するシェネに対して、神納は最後にとんでもない一言を放った。


『たかが自分の女一人の手綱も握れん、おろかな創世神のために、俺たちの平穏、くれてやれるものかよ!』

「………………いま、なんて?」


信じがたい言葉を聞き、シェネは思わず氷結する。

だが、


『聞こえなかったか? ならもう一度言ってやる! お前の主は愚か者だ! たかが世界を作っただけで、調子にのってんじゃねぇ! 創世だかなんだか知らんが、自分が作った世界だからって好き勝手して良いわけないだろうが! 例え自分の意思でなかったとしても、自分の部下に勝手させる程度じゃ底が知れるってもんだろうがよ!』

「きっ、貴様ぁあああああああああああああああ!」


それだけは許せなかった。誰一人傷つけたくないという、そんな優しい願いを伴い、このゲームを楽しもうとしていただけのあの人を、否定させるわけにはいかないから!

だから!


「下級AI風情が! ちょっと強い力を手に入れたからって、調子に乗るな!」


怒りのまま猛り狂い、シェネは足元の水盆に新たな命令を下す!


「加減はもう要りません! 食い殺せ!」

『――――――――ッ!』


同時に、いつの間にか作り出されていた新たなムシュシュフが出現した!


「新しい蛇モドキだとっ!?」


二体目のムシュシュフは、澄んだ咆哮とともに、水の蛇は大口をあけ、眼前の青い炎を飲み込んだ!



…†…†…………†…†…



透き通る蛇の体内を、青い炎が飛翔する。

時おり思い出したかのように遅い来る水柱は、どうやらただの水ではないらしく……。


『お兄ちゃん! 服が!』

「まともに食らうのは不味そうだな」

『くっ! これが服だけ融かしてくれる水だったら、遠慮なくお兄ちゃんに浴びてもらったのに!』

「ここにいたってなお、お前は本当にぶれないな!」


自分の内部で四肢をつき、涙を流して悔しがる相棒の姿がまざまざと見える。

その状況にゲンナリしながら、神納は周囲を見回した。


「それにしても二体目を出してくるとはな……さすがにおちょくりすぎたか?」

『ううん……。たぶん違うかな。あれ自体は元々配備していたと思う。あの人は無自覚だけど、臆病だから。負ける可能性も視野にいれて、保険くらいはかけているとは思ってたよ』

「ということは、あれは保険用ということか」

『多分ね。使うつもりがあったかというと、微妙なところだと思うけど』


――そういう意味では、この状況はお兄ちゃんの挑発せいかな?


と、割りと辛辣なことをいう鳳凰に、神納は聞く。


「それで、そとの大将は俺たちが溶かされるまでに、シェネのところに近づけるか?」

『それは私たちの頑張り次第ってところだね。隠密行動中だからあんまり早く動けないみたいだし。どれだけの時間、あの酸の柱に触れないよう立ち回れるかが勝負……』


鳳凰の言葉がそこで途切れた。なぜなら、


「っ!?」


まるで意思でも持つかのように、業を煮やした様子で、周辺から襲いかかってくる酸の柱が、密度を増したからだ!

しゃべる余裕もなくなり、二人は全身全霊で、その酸の柱を回避する!

そして、柱の襲撃に一段落ついたとき、一息ついた二人は、


「不味いな」

『お兄ちゃんごめん。あの柱がこの蛇モドキの意思によって自在に増やせるなら、たぶん持たない!』

「だろうな!」


ならば、とれる手段はひとつ。


「こいつを殺して、外に出るぞ!」

『了解!』


前代未聞。神殺しを殺すための飛翔を開始した!



…†…†…………†…†…



一人の男を飲み込み、悠々と宙を泳ぐ二体の蛇。

それを見上げ、ソートは歯を食い縛る。


「なんてこった。シェネのやつ、本気で殺しにかかったな!」


その事実にソートの手が怒りに震えた。

だが、同時に思うのだ。


――神納たちには悪いが、


「早く、止めてやらないと……」


――結局のところ、俺が動く理由はアイツか……まったく。


「神様失格だな……」



…†…†…………†…†…



青い炎を撒き散らしながら、躱す躱す躱す!

襲いかかってくる触れたら溶ける液体の柱達の中を、神納は飛翔する!


『いい、お兄ちゃん? こいつの弱点はわかっている。液体を生物化する以上、こういった存在には液体に生物の働きをさせるための核があるの。それさえ壊しちゃえば、こいつは今の形をたもてなくなり、消滅する。だから今私たちはそこに向かって飛んでいるわけだけど……。さっきまでの戦いでわかるように私の炎はこいつには通用しない。たぶん私の力の大本である知恵の果実に対して、こいつは完全な耐性を持っている。いくら体内から攻撃したところで、こいつは痛くも痒くもないわ』

「ならどうすれば良い!」

『簡単なことだよ。私以外の力で、こいつの核を撃ち抜けば良い』

「なるほど、そいつは簡単だ!」


皮肉げに神納が返したように、簡単なわけがない。

いくら液体生物であり、硬度などほとんどない相手の体内とはいえ、この巨体だ。それを維持する核も当然、

『見えてきたよ、お兄ちゃん!』

「っ! やっぱりか!」


当然巨大。

眼前で脈打つ、水の心臓が、その予想を確信に変える!

直径50メートルはあろうかというその心臓は、飛んできた神納たちを嘲るようにゆっくりと脈打ち、神納たちを見下ろした。


それを見てなお、


『それで、お兄ちゃん。どうする?』

「どうするもなにもない」


神納はゆっくりと弓を構え、深く息を吐いた。


「やるしか、ないだろ!」


そして、弓を、力一杯引き絞る!



…†…†…………†…†…



神納は昔から人とは少し変わっていた。


今だ、文明が未熟であり、人がいきるだけで必死なこの土地では、弱者は死に、強いものだけが生き残るのが当たり前だった。

鳳凰はそれを見て野蛮だと思うと同時に、仕方ないことだとも考えていた。


今だ人は文明を知らず、知恵を知らぬのだから。


誰かを救い、誰かのためにあろうという道徳精神など、生き死にがかかれば何の力も持ちはしない。

そんな綺麗事が言えるのは、自分の命がかかっていないときだけ。常に命の危険がある現状では、そんなものが発達するわけもない。そんな人々を導くのが知恵の果実の役割なのだから。


だがしかし、鳳凰は自分が人に知恵を授けようとは微塵も思えなかった。


なぜか? 理由は簡単。


「汚い……。あぁ。何て醜い性根なの?」


命がかかっている。ただそれだけのことで、(どうぞく)を容易く踏みにじれるようになる人間を、彼女は心底嫌悪したからだ。


――動物だって、仲間の危機には助け合うことすらあるのに、この土地の連中の有り様はなんだ? 獲物の横取りなどあたりまえ。育てた植物は奪い取られ、邪魔だと思えばすぐ人を殺す。あんなやつらのために……あんな愚かなサルどものために、私はこの身を粉にしなくてはならないの?


そんなのはごめん被る。あんな奴等に自分の知恵はもったいない。

鳳凰は心の底からそう思っていた。

だが、そんな彼女の耳にある時、


『どうしてだよ!』

「ん?」


ある時、一人の女の怒号が聞こえた。


――また揉め事か?


鳳凰は目を細め、舌打ち混じりにその耳障りな声を遮断しようとする。

だが、その怒号の続きは、鳳凰からすれば信じられないものだった。


『どうして、なにも言わないんだ! 私はあんたを殺そうとしてんだぞ!』

『ギャーギャーわめくな、うっとうしい。お前じゃ俺は殺せんさ。だから、大事にする理由もなければ、お前ごときに労力をさいてやるつもりもない。ちょうど獲物もとりすぎたところだ。欲しいというならくれてやる』

『嘘つけ! ずっとつけていたから知っているぞ! それ今日の初成果だろうが!』

『え? まだ山にはいったところとはいえ、村からずっとつけてきたのか? すごいなお前。もっと狙いやすい獲物がいただろう?』

『そ、そんなことはどうでも良いだろう!』


――いったい何事?


と、鳳凰は興味本意で声が聞こえたところを覗く。

そこは山深いもりのなか。

ガリガリに痩せ細った、尖った黒曜石を握った少女と、弓を担ぎ背後に巨大な熊の死骸を置く一人の青年が相対していた。

どうやら、熊は青年が狩ったらしい。

身体中にはえた矢が青年との激闘を物語っている。

かなり苦労して狩った獲物なのだろう。

それを狙った少女に青年は獲物を脅し取られようとしているらしい。

だが、


『と、とにかくだ! 私みたいな女、そいつを狩れるあんたなら、追い払うのなんてわけないだろう! 殺すことだってできるはずだ! なのにどうして……』


そう、健康的な成人男性と、痩せ細った少女。戦えばどちらが勝つかなど目に見えている。

それでも男は、ためらうことなく自分が狩った獲物を少女にわたし、その場を去ろうとしていたのだ。少女が疑問に思うのも当然と言えた。


そんな少女にたいし、男はいった。


『……はあ。ガキなんだからもう少しバカに振る舞っても良いだろうが。まったく、かわいくねえ』

『余計なお世話だ!?』

『たいした理由なんてねぇよ』

『え?』


自分の行いがさも当然と言いたげに。


『お前みたいなやつが来たから。せいぜい理由なんてそのくらいだ。これで、働き盛りの男なんかがやらかしやがったら、それこそこの獲物みたい殺してやったが……見たところお前にはそんな力もない。ここで俺がお前を返り討ちにしたところで、出来上がるのは痩せ細ったガキの死体ひとつだ。誰が幸せになるんだよそんなもの』

『……あんた』

『そんな胸くそ悪いもんを作るくらいなら、さっさと獲物をくれてやる方が、いくらか面倒事がへる。たから俺はお前にこれをくれてやった。それだけだ』


もういいか? お前の言うとおり、俺用の獲物も狩らんとならん。今日はもう少し忙しくなる。

そういう男を少女は呆然と見つめ、


『……腹を、腹をすかせた弟がいるんだ』

『そうかよ』

『お袋も、親父も死んでしまって……。でも、村のやつら誰も助けてくれなかった。狩人だった親父たちならともかく、働けない私たちを養うことはできないって』

『当然だな。どいつもこいつも、今日をいきるので精一杯だ。他人のガキに気を使ってやれる余裕はない。食いぶちを減らすために集落から追い出されなかっただけまだマシ……』

『昨日、追い出された……』

『…………』


気まずそうな顔をする男を尻目に少女はいった。


『親父たちが死んでから、私たちはろくな飯も食えなかった。元から体が弱かった弟なんて、もうろくに動けない。だから、なんとしても……なんとしてもあんたの獲物が欲しかったんだ!』

『おお、そうか……』

『……悪かった。ごめんなさい』


そういって、黒曜石を落とす、涙を流す少女に、男はため息をつき、


『弟はどこにいる?』

『え?』

『よくよく考えたら、お前の細っこい腕でこんな大物が運べるか。せっかく助けたのに、帰ってきたときまで、ここで途方にくれられていても情けない。弟のところまで運んでやる。そこから先は自分達で何とかするんだな』

『……………………』

『それに、ガキが二人だけだっていうんなら、こいつはどれだけ空腹でも食いきれない。残した分を食えば、俺も今日は狩をしなくて良いしな』

『いい、のか?』

『……言っておくが、お前の涙に絆された訳じゃないぞ?』


そして男はいったのだ。鳳凰が待ち望んでいた、その言葉を。


『今の俺には、余裕も力もある。なら、ガキ二人くらい助けてやるのは当然だろ』

「っ!」


それは、確かな道徳心の芽生えだった。

強いものはより強い力を求め、

弱いものは明日をいきるために他者を踏みにじる。


今だ文明なき人たちは自分のことで精一杯だ。

そんななかで唯一、余った力を他人のために使うという、奇特な男の行動こそが、鳳凰が待ち望んでいたものだ。すなわち、


『なにより、してやれることをやらずに死なれるのは寝覚めが悪い。お前のためにした訳じゃない。あくまで俺のためにだな――――』

『あり、がとう!』

『……………………』


慈愛と、思いやり。


それ感じ取ったのか、声をかすらせ、言葉を途切れさせ、それでも少女は必死に声を絞りだし、


『ありがとう! ありがとうございます!! あんたは、私たちの命の恩人だ!!』

『……はあ、そんな大したことしてないが』


いつまでたっても泣き止まない少女の背中を、男はゆっくりさすりながら、早く泣き止めと、男は迷惑そうに呟いた。

だが、それでも鳳凰は感じとることができた。

男の魂から発せられる、心からの誰かの身を案ずる、優しい感情が。


だから、


「見つけた。見つけた!」


鳳凰は決めた。


「私の、力を預けられる人。きっと正しく私を使ってくれる人!」


私は、この人――神納についていくと。



…†…†…………†…†…



そして現在。

矢を引き絞る神納の背後に、鳳凰はそっと手を添える。

もう、彼には自分の力は宿っていない。

矢も弓も、ただの木製のものに戻っている。

それでも、


「お兄ちゃんなら、できるよ」


余裕がある。力がある。

そういって彼が助けてきた人たちが、自分のように彼の背中に手を添えていると知っているから。

だから、


「外つ国の神殺しなんかに、お兄ちゃんは負けない!」

「当たり前だ!」


鳳凰の言葉に答え、神納もまた雄叫びをあげた。


「俺の名前は……神納!」


その猛々しい咆哮とともに、ただの矢が放たれる。


「この世界を、変える男だ!」


一直線に、

鮮やかな、青い炎を撒き散らしながら!

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