6 世界は知るほどに大きくなる
前回のあらすじ…
初めてのお使いは無事終わるかと思いきや、うっかり覗いてしまった雑貨屋のせいで迷子にな
ってしまったレジーナ。
人相の悪い男に絡まれるも、無事ルートヴィッヒに助けられ、事なきを得たのだった。
「ルト様、これ焦げませんか?」
「大丈夫だ。あと多少焦げても問題ない」
剣の稽古の後、レジーナは調理場で悪戦苦闘していた。
使用人と同じ内容とは言え、毎食執事が運んでくれていた食事を作るというのはこんなに困難だったのかと思った。
鍋にはスライスした玉ねぎと一口大のベーコンが入っている。なんだか鍋底にくっついてしまう気がしてこわい。
「やっぱり焦げませんか?」
「焦げてもいい。もう少し表面に焼き色がつくまで頑張れ」
レジーナは言われた通り炒め続けると、表面が茶色くなり香ばしい匂いになって来た。
そこに水と洋ナシを加え、しばらく煮込む。
すると今度はぐつぐつと煮えたぎってしまい慌てていたら、オーブン台の火の弱い所に鍋を移された。ボコボコのスープが、コトコトに変わる。
最後に塩と胡椒を少し加え、茹でたじゃがいもの乗る皿に盛りつけた。
「あ!ベーコンの洋ナシ煮です!」
皿の上の完成品を眺めてようやく料理名に気づいたレジーナが感動している。
座るよう促すと、座った上でもう一度感動していた。
シュトラルバッハではどこでもよく見る家庭料理だ。
「食事ってこうやってできるんですね。いただきます!」
レジーナは最初に洋ナシにフォークを刺した。
「んーっ!ベーコンの味が染みてて美味しいです…どうして青い洋ナシなんですか?」
「熟しているとジャムみたいに崩れてしまうし、味わいも変わってしまうぞ」
「そうなんですね。紅茶みたいに失敗しなくてよかったです」
誰かと一緒に食事を作り、一緒に食べ、時々会話をする。
世間では当たりまえのことが、レジーナには当たり前ではなかった。
彼女は料理がおいしく出来たこと以上に、この状況こそが嬉しく感じた。
世界にはこんなに嬉しいことがたくさんある。
屋敷を出られてよかった。
ベーコンを頬張りつつ、彼女は心底そう思った。
食後使った物を片付けると、宿で共有のシャワールームでさっぱりとし、新しい下着を身に着けるとまたキュロットとブラウスを着た。
下着は男性物だが、ささやかな胸を押さえるためのコルセットをする。前で結べる自分でも着られる柔らかいものだ。その上からもう一枚男性用の下着を重ね、ブラウスを着れば胸元はそんなに気にならなかった。
部屋に戻ると、ルートヴィッヒはベッドの上で何か書き物をしていた。
邪魔をしないように、自分のベッドに腰掛けると洗い髪をタオルで拭いた。緩くウェーブのかかったオレンジぽい赤毛は、腰近くまで長さがある。
日中は帽子の中に隠していたが、これではいくら男性物の服を着ていてもばれてしまうだろうか。
それに櫛がなくて、毛先が絡まってしまった。タオルドライをするとプレッツェルが髪の中に潜るだけで乾きが早くなった。
そんなレジーナにルートヴィッヒは一度顔を上げたが、女性的な見た目には何も言われなかったのでほっとした。
髪も半乾きになると、そのままプレッツェルとじゃれているうちに眠ってしまった。
まだ書き物をしていたルートヴィッヒは寝息に気づき顔を上げた。
上掛けもしないでお腹の上にプレッツェルを乗せたまま大の字で寝るレジーナを見て苦笑する。
そして自分の方のベッドの上掛けを取り彼女をそこに寝かせてやった。抱き上げても目覚める様子はない。
ちゃんと毛布をかけてやり、しゃがんでレジーナの顔を覗き込んだ。
自分の髪色より少し落ち着いた赤毛は艶やかだった。
肌も荒れておらず、室内で生活していたためか貫けるように白い。
その色艶に精神面は別として、少なくとも身体面では不遇の扱いはなかったようで安心する。
言動と同じように顔には幼さが残っていた。2歳差のはずなのにずっと年下に見えた。
小さな唇は笑みの形になっている。
寝ていても彼女の欲しかった自由が心を満たしているらしい。
ルートヴィッヒはそんな彼女の髪を幼子をあやす様に数回撫でると、自分もシャワーを浴びてその日は眠りについた。
翌朝はパンとゆで卵、昨日肉屋の親父にもらった“新作”という干し肉をかじると、宿にあった地図を確認した。
今日は渋くない代わりに茶葉が少なく薄くなってしまったレジーナの紅茶を飲みながら、これからの行先について考えた。
お湯のようなお茶に肩を落とすレジーナに、今日は東に向かうと告げ、ついでに地図を見せる。どこだかわかるか聞けば、意外にも彼女は正解を答えた。
「ルト様、僕のことお馬鹿さんだと思ってますね?否定はできないんですけど」
「馬鹿だとは思っていない。子供だとは思っているが」
「それも結構傷つきますよ?」
そういうむくれた表情が子供っぽいのだがな、と思うも口にはせず、「悪かった」と言うと地図をしまった。
「ではクンストドルフ伯爵領は何が有名だ?」
「えーと…なんだっけ、お皿?」
「惜しいな、陶磁器だ。優美な自然を描いた作品が多い。その抜けるような白さと繊細さから白い妖精と言われる」
「ルト様って色々知ってますよね。それは当たり前のことですか?」
「さあ?人は皆自分が基準で自分の知ることが当たり前になるだろう。もし自分とは違う当たり前があると気づいた時、そこに学ぶことが知を高めるということではないか?」
「なんだか難しいですね。でも僕もルト様みたいに色々知りたいです」
「お前は知にも自由にも欲深いな」
それを聞いてレジーナはしゅんとなった。知りたいと思うことはいけないことだろうか?
「それでいい。そうやって貪欲に吸収していけば、お前の見ている空はさらに広くなる…学びとはそういうことじゃないかと俺は思う」
「可能性が広がるってことですか?」
ルートヴィッヒは席を立つと、大きく頷きながら「そうだ」と答えた。
次回…「少年と少女と女」
旅の道中で聞くルートヴィッヒの話はどれも興味深く、彼の話にどんどん引き込まれるレジー
ナ。
だが道行く先には暗雲立ち込め、急な雷雨に巻き込まれてしまった2人は急ぎ次の町で宿に駆
け込むも…