襲撃者へカイル
石造りの元老院議事堂を出ると、すぐに住宅地になる。
今でも、カイルはその構造に慣れることができずにいた。
旧共和国の首都を範としているから、という説明は聞いたことがある。
前世の古代ローマもそんな感じで、貴族邸宅の横に、市民ではあるがパンとサーカス頼みの安アパートが並んでいるような、猥雑な世界。
だが、前世の感覚で言えば、議事堂の前には広場があって、演説なり、抗議行動なり、物見高い市民なりが集まってなんぼではないのかと思ってしまう。
転生しても、そういう先入観はなかなか拭えない。
特に。
細い道で、前後を塞がれた今となっては、なおさらだった。
元老院議事堂の周囲は、議事堂とは異なり木造の集合住宅が密に並んでいる。
大通りへ出るまでの道は、馬車が一台通ればそれでいっぱいになるほど狭い。
襲う側にとっては理想的な場所だった。
「……やっぱり、広場は必要だと思うんだよね」
カイルがぼやくと、隣のリュシアが淡々と返した。
「今お考えになることですか」
「人間、危機に直面すると、計画の大切さを実感するものだよ」
「普通は逃げ道を考えます」
「考えてるよ。前も後ろも塞がれているから、都市計画を恨んでいるだけで」
リュシアは、ほんの少しだけ視線を動かした。
前方に三人。
後方に四人。
屋根の上には、今のところ気配はない。
ただし、細い路地の奥にもう一人か二人、伏せている可能性はある。
相手は全員、顔を布で覆っていた。
覆面、というほど大げさではない。
口元から鼻までを隠す布。
旅人や職人が埃除けに使うものと大差ない。
その手にある刃物は、僻地から来た旅人が装備する類いの凶器。
そして、彼らの体を包んでいるのは、道中着だった。
陣中鎧ほどの強化はない。
だが、街中で着ていても「遠くから来たのだな」程度に思われるその実、身体能力を底上げし、薄い刃なら滑らせる程度の防御力はある。
暗殺者が着るには、実に都合の良い服だった。
「普段から、元老院議員が近いからと護衛なしで行き来する悪習の賜物だね」
「悪習を利用された側が言う台詞ではありません」
「こっちは一応、陣中鎧に着替えてるんだけどね」
「着替えていなければ、今頃もっと面倒でした」
正装は、すでに脱いで元老院を出る前に、控室で陣中鎧へ替えたのだ。
だから、大丈夫だろう。
そう思ったことは、否定できない。
油断だ。
カイルは、軽く息を吐いた。
「で、誰かって聞くのは野暮かな?」
「ええ。野暮だと思います」
リュシアの返答は的確だった。
細い道の真ん中で、前後を刃物持ちに塞がれながら交わす会話としては、いささか漫才じみている。
だが、緊張しすぎるよりはましだった。
たぶん。
「クラウディアンなのか、黒の森関係者か……」
「軍関係者なら、訓練場へ連れて行って合法的に叩きのめすと思います。なので、クラウディアン寄りでは?」
「それもどうなんだ」
「軍人は、こういう場所で刺すより、訓練名目で潰す方が好みでしょう」
「嫌な信頼だな」
「信頼ではなく、経験則です」
囲んだ男たちの一人が、小さく笑った。
前方の中央にいた男である。
他の者より半歩だけ前に出ていた。
おそらく、まとめ役だろう。
「相変わらずの叛徒風お笑い芸ですね」
その声には、奇妙な親しみがあった。
少なくとも、完全な通り魔ではない。
こちらを知っている。
そして、カイルの言動を茶化す余裕もある。
余裕がある相手ほど、面倒だ。
「その辺で終わらせてもらいますよ」
男は、短剣を軽く持ち替えた。
「もちろん、ご婦人には……手を出さない、とまでは約束できませんが、顔を傷つけないことだけはお約束します」
「良かったね。顔は大丈夫らしいよ?」
「それ以前の問題だと思いますが」
リュシアは、表情を変えずに答えた。
だが、その右手はすでに腰へ移っている。
陣中鎧の上から隠すように差している細剣。
本来、元老院周辺で抜くべきものではない。
もっとも、相手が先に刃物を抜いている時点で、今さら礼儀を気にしても仕方がない。
「王国みたいに、首都では刃物禁止にすれば良いのに……」
「王国ではなく、叛徒です」
「突っ込むの、そこ?」
リュシアが淡々と訂正する。
前方の男が、今度こそ呆れたように息を吐いた。
「本当に、大した胆力だ」
「褒められてる?」
「たぶん違います」
男は刃先を下げたまま、カイルを見た。
「それに、中途半端に才能もある。全くもって、面倒臭い御方だ」
その言葉を合図にしたように、前後の男たちが一斉に動いた。
速い。
だが、見えないほどではない。
カイルは半歩下がり、最初の刃を肩で受け流す。
陣中鎧の補助が働き、体は思ったよりも軽く動いた。
続く二撃目を肘で弾き、横から伸びてきた腕を掴む。
そこまではよかった。
問題は、その先だった。
掴んだ腕をどう崩すか。
相手の重心をどこへどう流すか。
自分をどこへ置けば、次の刃を避けながら相手を倒せるのか。
頭では分かる。
だが、体は遅れた。
「っ」
刃が脇をかすめる。
陣中鎧の表面を滑り、火花に似た光が散った。
浅い。
だが、避け切れてはいない。
カイルは舌打ちした。
甲冑の訓練は受けている。
遠征軍を指揮する立場上、最低限どころか、それなりに仕込まれてもいる。
甲冑の動き、視界、重心、部隊との連携。
それらを知らなければ、甲冑部隊に命令など出せない。
だが、生身に近い状態での格闘は別だった。
身分が、後継候補である点が問題だった。
スペアとは言え万が一にも、戦場で死なれるわけにはいかない。
いくら身代金ほしさに、身分が高いほど命の保証が効く世界だと言え、それでも死ぬときは死ぬ。
それも案外、あっさりと。
そういう理由で、カイルが叩き込まれてきたのは、戦場の格闘ではなく、護衛される側の作法だった。
襲われたら距離を取る。
相手の正面に立たない。
護衛の動線を塞がない。
転んでも、まず頭と首を守る。
つまり、自分で敵を倒す技ではない。
加えて、前世の彼は、肉体を酷使する種類の人間ではなかった。
NEETでこそなかったが、外で動き回る方で無い。
嗜んだ競技も、eスポーツ。
反射神経と読み合いと集中力には自信があった。
格闘ゲームの動きなら、見飽きるほど見ている。
投げ、崩し、差し込み、置き技、確定反撃。
言葉だけならいくらでも出てくるし、反射的な対応も、見てから余裕と言えるくらいだ。
だが、それを自分の体でやった経験は、ほとんどない。
中学や高校で受けた格技の授業で、柔道や剣道の真似事をした程度。
それも、真面目に打ち込んだとは言い難い。
見えているし、読めている。
だから、致命傷は避けられる。
しかし、身体の軸が甘いし、踏み込みが浅い。
受けた後の返しが遅い。
スペックの高さと陣中鎧の補助で、何とか躱しているだけだ。
しかも、多勢に無勢だった。
「カイル様」
リュシアの声が飛ぶ。
それと同時に、彼女の細剣が閃いた。
刃を弾く音が二つ重なる。
リュシアは一歩も大きく動かない。
ただ、必要なところに刃を置き、相手の手首をずらし、踏み込みを殺している。
上手い。
カイルは、素直にそう思った。
同時に、少し腹が立った。
自分ができないことを、彼女が当たり前のようにやっているからではない。
彼女が、自分を庇う位置から動けないことにだ。
だから、彼女は捌く以上の事が出来ずにいる。
「やっぱり、護衛を置いてくるべきじゃなかったね」
「今さらです」
「正論は痛いな」
「刃物よりはましです」
「それはどうかな」
軽口を叩きながらも、カイルは息が乱れ始めているのを自覚した。
「そろそろ諦められては如何です?」
強力な一撃。本当に紙一重で躱せたのは、日頃の行いおかげだろうか。
「諦めるのに、遅すぎるってことはないんだよ?」
相手は、こちらを殺しに来ている。
だが、一撃で終わらせる気ではない。
前後を塞ぎ、リュシアの動きを制限し、カイルの陣中鎧の補助が追いつかなくなるまで削る。
「その言葉を、その意味で使われたのは、三人目ですね」
同時に鋭い剣戟。
訓練された動きだった。
暗殺者でも無いが、ただの兵士でも無い。
「……クラウディアンにしては、手際が良すぎるな」
「そうですね」
リュシアの声も、わずかに低くなる。
「どこかで訓練を受けています」
「嬉しくない答えだ」
前方の男が、短く笑った。
カイル達が、自分たちの正体を、カイル風に言えば乱波とか透っ波といった、破壊工作を主とする間諜だと見抜いたことに気付いた。
「お気づきになりましたか」
「気づかない方がよかったよ。
余計わからなくなった」
「カイリス派かも知れませんよ?」
「流石にそれは……あるか?」
「ええ、性根をたたき直すためとかなら」
リュシアの手痛い突っ込みに思わずカイルは苦笑する。
「笑えないね」
「くくく。
掛け合いは命婦同様、なかなかですな。
でしたら、もっと悩んでいただきましょう」
男が踏み込む。
速い。
カイルは反応した。
反応はできた。
だが、足が滑った。
石畳のわずかな濡れ。
元老院の排水溝から流れ出た水か、誰かが撒いたものか。
見えていたはずなのに、体がそこを避けきれない。
まずい。
そう思った瞬間、横から伸びた手がカイルの襟を掴んだ。
乱暴に、引かれる。
刃が、目の前を抜けた。
「相変わらず、足元が甘いね。アウル」
聞き慣れた声だった。
軽く、柔らかく、こんな場面にはまるで似合わない声。
カイルは、引かれた勢いで壁に肩をぶつけながら、その声の主を見た。
だが、その名を呼ぶ前に、男たちの視線が一斉にそちらへ向いた。
次回は8/16投稿予定です。




