表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

噂その2:三階女子トイレの花子さん

 女子トイレの前で、俺は人生の分岐点に立っていた。


 入れば社会的に死ぬ。

 入らなければ中書島(ちゅうしょじま)唯香に殺される。


 どちらにしても、俺の未来は薄暗かった。


「……俺、男なんだけど。女子トイレ、入るの?」

「風紀委員長として命じます。入りなさい、根室(ねむろ)


 中書島に言われたら逆らえなかった。


 三階の女子トイレは、想像していたよりずっと嫌な空気をしていた。

 消毒液と湿ったコンクリートの匂いが混ざっている。洗面台の鏡には水垢(みずあか)が白っぽいウロコみたいに残り、そこに映った俺の顔は、いつもより少し青く見えた。


 電球が切れかけていて、()いたり消えたりしている。


 ジジッ。

 ジジジッ。


 そのたびに、壁の影が伸びたり縮んだりした。まるで、個室の隙間から誰かがこちらを覗いているみたいに。


 個室のドアが三つ並んでいた。

 全部、閉まっている。


「花子さーん……」


 俺は震える声で呼んだ。


 呼びたくなかった。

 でも、他の四人が全員「お前が呼べ」という目で俺を見ていたから。


 一秒。

 二秒。


 返事はない。


 ほら見ろ。やっぱりいない。

 そう思った瞬間だった。


「……はい」


 返ってきた。


 声が。

 入り口から一番遠い、三番目の個室から。


 若い女の子の声にも聞こえたし、風邪を引いた男子の裏声のようにも聞こえた。

 いや、頼む。後者であってくれ。

 今だけは、男子の裏声を全力で歓迎したい。


 じゃないと、これは花子さんが返事したということで。


「ひぃぃぃぃ!!」


「……今、役作り中です」


 三番目のドアの向こうから、ワンテンポ置いて茨木の声がした。


「茨木くん!! いつの間に入ってたの!? てか、なんで女子トイレにいるの!?」 


 俺は、入る前にあんなに躊躇したのに。なぜさも当然という感じで個室内にいるんだ、あいつは。


「花子さんの動線を体感するためです。怪談というのはね、根室さん、演じる者が現場を知らなければ嘘くさくなる。僕はリアリティを追求しているんです」


「そのリアリティいらない!!」


 さっきの一言だけで寿命が縮んだ気がする。

 まだ乱れている呼吸を整えているところに、大山崎が横に立った。


「根室さん、少し退いてください」


 大山崎はそのままドアの前に進み出た。


「あのドアが開かないように、外から押さえます」

「 なんで!?」

「もし本物の花子さんの場合、外に出てくると困るので」

「いや、明らかに茨木くんの声だよ。というか、役作り中だって言ってただろ」


 大山崎は少し考えたあと、こう言った。



「……役作りが完成したら本物になるかもしれないんで、やっぱり封印するべきかと」

「願ったり叶ったりです。花子さんとして封印されるなんて体験、めったにできない」


 茨木の声はなぜか楽しそうだった。


 その間、高槻は壁を手のひらで叩きながら、耳を当てていた。

 彼女の横顔だけが、点滅する電球の下で白く浮かんでいる。


「……配管の音。……老朽化した鉛管が、水圧の変化で振動してる。……深夜は水道の使用量が減るから、圧が上がって……こういう音が出る」

「つまり、さっき聞こえた音は花子さんじゃないってこと?」

「……うん。……でも、音のパターンが……少し、呼吸みたい」


 高槻は壁に耳を当てたまま、目を閉じた。

「……誰も使っていない水が、壁の中で息をしてる。……学校の内臓みたい」

「怖いこと言わないで!!」


 高槻にそう言った直後だった。


 こぽ。

 壁の奥で、水が鳴った。

 こぽ、こぽ。


 それは確かに、誰かが喉の奥で小さく笑っているようにも聞こえた。


「……それにしても、『花子』という名前は相応しくないわね」


 中書島が、静かに壁に向かって言った。


「平凡すぎる。美しくない。……今日から『アナスタシア』と名乗りなさい。貴女がもし本当にここにいるというのなら、それくらいの気概を持ちなさい」


 壁が、静かになった。


 さっきまで確かに聞こえていた、こぽ、こぽ、という水の音が、まるで息を止めたみたいに消えた。


 電球が一度だけ瞬く。

 鏡の中の俺の顔が、半拍遅れて青ざめたように見えた。


「……消えた?」

「改名の衝撃で成仏したのかもしれない」

 

 高槻が静かに言った。

 そんな怪談あってたまるか!! 


 だけど何となく、この場所に対しての怖さはほとんど感じなくなっていた。 

 それがアナスタシアというとんでも改名のせいなのか、配管が鳴っていたらしいという現実的にあり得そうな話のせいなのかはわからない。


 後日、三階女子トイレの花子さんは「トイレのアナスタシア」として学園の新・七不思議に登録されることになる。

 が、そのときの俺はまだ知らなかった。



 それよりも。

 安堵した直後に聞こえた声に、気を取られていた。


 トイレの外。建物の奥にある階段から、こつん、と足音がする。

 一段。

 また一段。


 誰かが、三階から四階へ上がっていくような音だった。


「……次」


 高槻が、濡れた壁から耳を離して言った。


「三階から四階への階段。消える女」


 俺は三番目の個室を見た。


 トイレの中には茨木がいる。

 そして外には消える女らしきものがいる。


 この学校、出口はないんですか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ