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微睡みの世界で、まやかしの幸せを  作者: 色葉充音
Part 1 方波見陽翠の『 』
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06 光る瞳

 嘘、……嘘だと言ってほしい。校舎を背にぐったりと座り込んでいるのが、私が異能を使って突き飛ばした相手があの綾世先輩だなんて。また、やってしまった。傷つけたくないはずの相手を傷つけてしまった。二度としないって決めたはずなのに。

 数秒前までのものとは違った恐怖が体中に流れる。


「あの子がやったの?」

「黒の1年か」

「あっちは黒の3年生だよね」

「今年初の暴走、まさかの黒の子」

「大丈夫かな」

「誰か先生呼んだ?」


 周囲の声がずきずきと頭に響く。責める言葉は聞こえてこないのに、責められている気分になる。だって、私がこんな異能を持っていなければ、私という存在がいなければ綾世先輩は傷つかなかったから。あの人に逆らおうとしなければこんなことにはならなかったから。……全部、私のせいだ。


 ——あの人たちの言う通り、私は生まれてきてはいけなかった。


 全部の音が遠くなる。全部の色が遠くなる。触覚も、嗅覚も、味覚も、全部全部遠くなる。息苦しさと跳ねる心臓だけが世界にぽつんと残された。


「あや……せ……ぱぃ……ご、ごめ……な、さ……」


 自分が何を言ってるのかも分からない。ただただ謝らないといけない。こんなことをして生きててごめんなさい。痛い思いをしたくないなんて考えてごめんなさい。幸せになりたいだなんて考えてごめんなさい。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


「っごめ、……なさ……ぃ」




「——大丈夫、大丈夫だからね。ゆっくり息を吐いて、ゆっくり息を吸って。俺の目を見て?」


 頬に、温かさが触れた。触れられたところからだんだんと広がっていくそれは、氷に囚われた感覚が溶けていくような心地良さを感じる。ろうそくに灯った炎みたいなじんわりとした温かさ。これは以前感じたことのあるものだ。


 あの時みたいに、大丈夫、大丈夫と続く穏やかな言葉。生きていていいんだよ、呼吸をしていいんだよ。そう言われている気がした。だから、目を開けても大丈夫だって思えた。


「やっと見てくれた」


 目の前でそう呟いたのは、さっき突き飛ばしてしまったはずの綾世先輩。その瞳は髪と同じ柘榴色に光っていた。


「ぁや、せ……せんぱ……い」

「うん、何かな陽翠?」

「……ごめ、……なさぃ」

「うん、いいよ」


 あっさりと返された許しの言葉とこうして私に声をかけてくれているという事実にほっとした。よかった、本当に。生きていてくれて、嫌われなくてよかった……。


「……泣かないで?」


 綾世先輩は困ったように笑って頬を伝っていた涙をそっと拭ってくれる。それがあまりにも優しいからまた涙が溢れてきてしまった。


 小さな子どもにするように頭を撫でられて、世界がぼんやりとしてくる。陽翠、と名前を呼ばれて、返事をしようと開いた口にころんと何かを入れられた。キャラメルだよという言葉の通り、ねっとりとした甘さが口に広がる。


 この前と同じ味。漠然とそう思った。


***


 誰かの声が聞こえる。心地よい夢から覚める気配がする。


 腫れぼったい瞼を開くと、見たことのない白い天井があった。消毒液のツンとした匂いが漂っていて、仕切り代わりのカーテンが四方を囲っている。ここは病院? ……いや、保健室? 私はどうしてこんなところで横になってるんだっけ。


 体を起こそうとするけど上手く力が入らない。仕方ないからとりあえず視線を動かしてみる。まず目に入ってきたのは柘榴色の髪だった。……綾世先輩だ。


 ——……どうしよう、かなり色々とやらかしてしまった。


 全部思い出した。意識が落ちる直前はさすがに覚えてないけど、それ以外は全部。体調不良からの、幻覚を見るからの、異能を暴走させるからの、綾世先輩に異能で落ち着かせてもらうって……。やらかし過ぎだよ私。

 ……そうだ。綾世先輩、怪我とかは大丈夫なのかな。


 こちらを見ていないのをいいことに、じっと先輩を観察する。包帯や絆創膏といったものは見えるところにはなさそう。ひとまずは安心していい、のかな。視線を天井に戻してほっと息を吐いた。


「おはよう、陽翠」


 ちょうど測られたかのようなタイミングで声をかけてきた綾世先輩に、びくりと体が揺れる。見てたの、気づいてましたよね。心臓がぎゅっとしましたよ……。


「……おはようございます、綾世先輩。あの、怪我とかは……?」

「大丈夫だよ、受け身取ったし。なんなら俺よりも陽翠の方がよっぽどまずい状況だったんだからね」

「法月の言う通りだ。体調不良なら変に遠慮したり、考えたりせず休め。それを責めるやつがいたら、きちんとオレが指導しておくから安心しろよ?」


 綾世先輩の後にいたずらっぽく言って述べたのは、カーテンの隙間から顔を覗かせた布目先生だ。紫色の目隠しの下でウインクでもしていそうな先生は、こちらが驚くほどいつも通りに見える。正直、少しくらいはぴりぴりとしているかと思っていた。


「それはそれとして、体調はどうだ? 法月がかなり強い精神干渉系の異能を使っていたからな」


 起き上がらせてもらいながら、体に力が入りにくい以外特に問題はなさそうだと答えると、布目先生は、それは問題あるよなと苦笑しながら事の顛末を聞かせてくれた。


 概ね私の認識の通りだった。ただ一つ大きく違ったのは、綾世先輩に落ち着かせてもらうまで、自分の異能で自分自身を消そうとしていたこと。最悪の場合、一生目覚めなくなっていたかもしれないとはさすがに驚いた。


「それも、もう二度としないって決めてたはずなんですけどね……。色々とご迷惑をおかけしました。そして、助けていただきありがとうございました」

「ああ、……ああ?」

「ストップ陽翠、『二度としないって決めてた』ってどういうこと?」


 失言だと気づいたのは、誤魔化せないところまできてしまってから。どうせならもう少し早く気づきたかった。えーっと、逃しては……くれない、ですよね。


「……方波見、話してくれないか?」


 姿勢を改めて真っ直ぐとこちらを見ている布目先生はたぶん、私が絶対に話したくないと言ったらそれで許してくれる。さっきまで浮かべていた笑顔を消して向き直った綾世先輩だってそのはずだ。……だからこそ、この二人には誠実でありたい。


「……分かり、ました」

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