少年の回答
少年サイドのお話
激しい雨が降り彼女はその雨に包まれるようにして彼女は消えてしまった。伸ばされた手を僕は掴み取ることができなかった。そういえば高校時代、雨に関していろいろあったな。そう、彼女と再開してから――。
僕が初めて彼女に会ったのは実は喫茶店ではない。彼女はそう思っているみたいだったけど。僕たちは小さい頃に一度だけ会っている。僕の父は研究者で僕が小さい頃から忙しく、僕は一人でいることが多かった。僕は俗に言う雨男とか言うやつで外に出ると雨が降っていることが多かった。
その日も雨が降っていた。いつものように家には誰もいなかったので、暇つぶしに少し散歩することにした。外はそれなりに雨が降っていたけど、家にいる方が退屈なので仕方ない。でもただ近所を歩くのはつまらないので、目的地も決めずひたすら歩いてみることにした。
いつの間にか遠くまで来ていたのかいつもとは全く違う風景が広がっていた。まだそこまで遠くにきたつもりはなかったのに、流石に自分一人で帰れるか不安になってきた。見たこともない道に出てしまい、どうやって帰るか途方に暮れていると、前から傘もささずに歩いてくる同い年ぐらいの女の子が歩いてくるのが見えた。女の子はわんわん泣きながら僕に近づいてくる。流石に見て見ぬふりはできず、驚かせないようにゆっくり近づいて声をかけた。僕の声に反応して顔を上げた女の子の涙でうるついた可愛らしい丸い瞳と目が合い思わずドキッとした。女の子は可愛い猫を見つけ追いかけていたらいつの間にか母親とはぐれ、しかも雨が降り、どうすればいいかわからなくて泣いていると言う。よく見れば女の子はずぶ濡れだった。慌てて僕の傘の中に入れ、迷った末に女の子の手を引き、母親探しを手伝った。女の子は知ってた道だったのに…と小さく呟いている。それにしても『母親』か……。久しぶりな響きだな。そういえば僕は母の存在をあまり知らない。今の今まで『母親』という存在を忘れていたぐらいだ。どんな人なんだろう?もう少し小さいときはいた気がするんだけど……。なんて女の子そっちのけで考えていると、急に手をグイッと引っ張られる。突然のことに驚いて手元を見ると、女の子がじっとこちらを見ていた。心細い上に、同い年ぐらいとはいえ見知らぬ男の子に手を引かれ、知らない道を歩くんだ、不安にならならい訳がない。女の子は話し相手になって欲しいと言うようなので僕たちは色々な話をした。好きな食べ物、遊び、アニメ……。初めて会ったとは思えないほど気が合い、たくさん話して、たくさん笑った。
しばらくして彼女の母親に出会い、彼女は僕の手を振り払い母親の元へ駆けて行った。まだほんのり温もりの残った手に少し寂しさを感じるも、それを振り切って、そのままバイバイと手を振った。彼女は僕の寂しさなど知る由もなく笑顔を向けて『お兄ちゃんありがとー!!』と言ってさっきまで僕と繋いでた手をヒラヒラさせてから母親の手に絡ませる。
女の子を見送ってから気を取り直し、僕が来た道を戻ると程なくして雨が止む。気のせいだろうか?先までいた道がぐらっと揺らいで見慣れた近所の道が続く。幻覚だろうか?そういえば朝から何も口にしていなかったけ。何となく気になって彼女たちの方を向くと、そこにはもう誰も存在せず、見慣れた道が続いていた。
家に帰ってからも彼女のことが気になったままだった。また会いたいなぁと思いながら父の分も一緒に夕食を作る。まだまだ僕は小さいかもだけどある程度の食事を作れるようになっていた。というのもそれが当たり前になっていたからだ。最初は父が料理を作ってくれていたんだけど、父は(理系の研究者が関係あるかどうかは知らないが)かなり細かく、とにかくきっちり分量を測る、のに不器用だから簡単なものでもなかなか作れなくて時間だけが経つ。たとえ見た目が美味しそうにできていてもなんだか無機質な味がしてはっき言うと美味しくない。一度僕の誕生日に豪華な食事を振舞おうとしてくれたんだけど、張り切りすぎていつも以上に、そして必要以上にきっちり分量を測って作っていたもんだから僕はお腹が空いたまま四時間も待たされた。しかも料理はほとんど失敗した上に、食べれるものがまともに残っていなかった。結局、僕も手伝ってなんとかオムライスだけは作って二人で食べた。でもこのオムライスだけは父が作った料理の中で唯一おいしかったかもしれない。それからは父の研究が忙しくなり、このまま父に料理を任せたままにはいかなかったので、結果として料理はもちろん、家事全般を僕がやるようになった。
なんて懐かしいことを思い出していたら、玄関からガチャっと音が聞こえた。父だった。珍しく父が早く家に帰ってきたので、久しぶりに一緒に夕食を食べた。そしてせっかくなので昼間気になった『母親』の存在について聞いてみた。すると父は少し困ったような顔をして
「……小さいお前には、少し、難しい話になるんだがなぁ……」
「母さんはなぁ……実は――」
それ以来、何となく彼女に会えないかとあの時の道を歩くがいっこうに会えなかった。それにしても不思議なのはいくら探してもあの時歩いた道が見つけ出せないのだ。あれから少し時間が経っているから記憶違いかもしれないし、雨のせいで視界が悪かったから勘違いしているだけかもしれないけど。でも、何かが違う気がしてならなかった。それにここ最近では僕が外出してもあまり雨が降らず、まるで太陽が彼女に会うのを邪魔しているようだった。まぁここまでくると再び彼女に会える確率は少ないだろう。そもそも近所に住んでいなかったのかもしれない。親戚の家に泊りに来ていたとか、もう引っ越してしまったのかも。
それから月日が流れ、僕はいつの間にか高校生になっていた。一度も彼女に会うことのないまま――。
その日は突然やって来た。その日は嫌になるほどひどい雨が降っていた。テストなのに憂鬱だ。気分転換がしたくて行きつけの喫茶店にテストが終わった後、足を運んだ。小さい頃からこの店のマスターとは知り合いで――というのもマスターがこっそり耳打ちしてくれたのだが、この喫茶店は僕の両親が初めて出会った思い出の場所らしい。研究で忙しくどこにも遊びには連れて行ってくれなかった父が唯一この喫茶店にだけは父の貴重な休みの度に連れ出してくれた。このお店に来ると、必ず父はこの店自慢の珈琲のみを頼み、僕には好きなものを頼ませてくれた。果汁たっぷり、果肉も入ったオレンジジュース。季節ごとの旬のフルーツを使った見目が宝石みたいなケーキやタルト。野菜とハムととろとろの卵焼きにたっぷりのマヨネーズとマスタードがパンから溢れ出したサンドイッチ。ケッチャプの酸味強めのナポリタンや、とろとろ卵に贅沢にビーフシチューがかけられたオムライス。たくさん美味しいものがあったけど、僕が一番好きだったのは、昔ながらのメロンクリームソーダ。子供からしたらかなり大きめのグラスに、美しい翠をしたメロンソーダが並々と注がれ、バニラアイスがこんもりと盛られ、その上にちょこんと真っ赤なさくらんぼが可愛らしく乗っていた。思い出したら久しぶりに飲みたくなってきた。今でこそ、マスターの美味しい珈琲を飲めるようになってきたけど、一番最初にこの店にきた時、父が飲んでいた珈琲を一口ねだり、飲んだ後『まずい!!』と言ってしまったらしい。もちろんマスターの珈琲はとっても美味しいんだけど、子供の僕には飲めたもんじゃなかった。この事件は僕がやっとマスターの珈琲を飲めるようになった時に言われ、僕は土下座をしようとして止められた。思い出したら久しぶりにメロンクリームソーダが飲みたくなってきた。あとケーキやサンドイッチなんかも。実は小さい僕に料理を教えてくれたのはマスターだ。よく手本に料理を作ってくれ、一緒に作って食べたりした。あぁ、久しぶりにマスターが作った料理が食べたいな。まだお昼前だし、今日はマスターの料理を昼食にしようかな。どうせ家に帰ったら自分で作らなきゃいけないし。なんて考えているうちに店の前に着く。この頃にもなるともう彼女のことは忘れかけていた。何を食べようかなぁと考えながらドアを開けると、いつものようにドアについたベルが心地よい音と共に出迎えてくれる。マスターも店に漂う珈琲のいい香りもいつも通り。ただ一つ、いつもと違ったのはドアを開けた瞬間に目があった女の子がいたことだ。――それはずっと探し求めていた彼女だった。
僕は目があった一瞬、たった一目で彼女だと分かった。髪は腰あたりまで伸び、女の子から少女に、愛らしいから綺麗に成長していた。僕の心臓が大きく波を打つ。幼心にはわからなかったけど、今の僕ならあの時から彼女に一目惚れしていたのがわかる。出来るだけ不自然な態度がばれないように彼女寄りのカウンター席に着き、マスターにいつも通りの珈琲を頼んで彼女の様子を窺う。数分後、マスターが珈琲を目の前に置いてくれて、いつも通りの吸い込まれそうなほど綺麗な黒を見、一口飲んだことで、ようやく落ち着きを取り戻した。その後もばれないように横目で彼女を見る。ちょうど彼女も僕と同じ珈琲を飲んでいたところだった。口に広がっていたいつもの苦味が急に砂糖をいれたような甘味に変わる。声をかけてみようかな?急に声をかけたらおかしいかな?そもそも覚えてるかな?なんて悩んでいるといつの間にか僕の珈琲を飲み終えてしまった。結局勇気がでなくて声をかけることも出来ずマスターにお礼を言って店を出る。マスターは何だかいつもより笑っていたように見えたけど。店を出たあと、やっぱり声をかけとけばよかったかな?こんなチャンス二度とないかもしれない。でも怪しまれたくないし……。ぐるぐると悩んでいると、何かが引っかかった。何か忘れている気がする……あっ。
「マスターの料理、食べ損ねた……」
今からでも戻るか?また彼女に会えるし。でもわざわざ食べに戻ったら怪しい?間抜けにみられちゃうかな……。それにこれからどんどん雨ひどくなるって天気予報で言ってた気がする。
悩んだ末、家に帰ることにした。流石にもう一度店に戻る勇気はない。
「はぁ……」
まぁ僕はバカだ。勇気がでない自分を呪いながらまた彼女に会うことを夢見て、まだ少し強く降り続く雨の中を歩いた。
あれから何週間か過ぎ、彼女に会えないままの日々は流れていった。最近まで彼女を忘れかけていたくせにあのときのように彼女のことを毎日考える。どうすれば会えるかな?会えたら何を話そうかな?なんであのときあの喫茶店にいたんだろう?やっぱ近所だったのかな?喫茶店いったらまた会えるかな?雨宿りしてただけかな?雨が降ってる時にまた喫茶店行ったら会えるかな?それなら早く降ってほしい。僕は雨男のくせになんで降って欲しいときに限って降らないんだろう。行事とかはいつも降るのに。天気予報を見てもこれから一週間以上晴れマークが続いている。次雨が降ったら勇気を出して彼女に話しかけよう。彼女のことを考えすぎておかしくなったのか、どうしてかわからないけど僕は雨が降れば彼女に会える。そんな確信をしてしまっていた。
どうせ今日も雨が降らないだろうと思って家を出たときに限って、通り雨に遭う。嫌がらせのつもりだろうか。家の周りでは降っていなかった雨が、学校の最寄り駅に着くと降っていた。しかもかなりの大雨である。一瞬、彼女に会えるかも……と淡い期待が過ぎったが、現実はそんなに甘くないだろう。彼女に会うための見返りがこの大雨は酷すぎる。生憎傘は持ってない。腹をくくりバス停まで駆けると先客がいるようだ。だが近づくにつれ自分の鼓動が高鳴るのが分かる。まさか、もしかして――!!待ち焦がれていた彼女がこちらを見ていた。
「ふぅ……結構濡れたな……。」
思ってないわけではないが、一度気を落ち着かせるために適当に呟く。まさか本当に会えるとは……。正直今めちゃくちゃ気が動転している。え、変なこと口走ってなかったよね?さっき自分が呟いた言葉さえも覚えていない。どうしよう。でも今度こそ勇気を出して話しかけよう。えぇと、何か、何か……。自分を奮い立たせ口を開きかけた瞬間
「タオル、使いますか……?」
「え……?」
出鼻をくじかれ、開きかけていた口から間抜けな声が漏れる。久しぶりの会話の第一声がこれとは我ながら情けない。見ると彼女がタオルを差し出してくれていた。それをみてさっき自分が何を呟いたのか思い出した。まさか彼女から声をかけてくれるとは。感激で硬直してしまっている。それより久しぶりに聞いた彼女の声が鈴がなるような可愛らしい声と、自分でタオルを差し出しているのに、それに驚いて自分も目を丸くしている愛らしい姿にもうすでに心が掴まれている。それより返事をしなければ。意識を保ってないと今度こそ、変なことを口走ってしまいそうだった。
「ありがとう……?」
放心状態のまま、それでもこの場に適しているであろう言葉を返す。え、あってるよな?動転しすぎて、日常会話にも疑問を持つレベルになっていた。
「「あっ」」
受け取ろうとした時、二人の手が触れあう。それだけでさっきよりドキドキしちゃって、正直もうすぐ意識が飛ぶんじゃないかとさえ思った。多分いつ気絶してもおかしくない。その間にも二人の間には微妙な空気が流れ、時間が何倍にも感じる。せっかくまた繋がった縁なのだから紡がなきゃ……何か話題を――思考をフル回転させて考えていた僕の脳は視界に入ったものより、プツンと思考回路が切れ、考えるよりも先に自分でも驚くほどのスピードで体が動く。
「これ使って」
雨は彼女のシャツを濡らし僕に向けて悪戯をしてくる。透け出た白い肌を全力で視界にいれないようにして、彼女に自分のカーディガンを羽織らせる。さっき走った時に鞄を傘がわりにしちゃったからな。中に入っていたこのカーディガンも濡れていないといいけど。それよりとっさにこんなことしちゃったけど大丈夫かな?変な奴だと思われてるかも。でも今本当のことを言えば、それこそ変態だ。ただでさえさっきの倍以上に動揺してるんだから、今口を開けばろくなことにならないだろう。あ、せめて下心があると思われたくないから僕の顔が紅くなってないといいけど……。しばらく固まっていた彼女は、状況を理解した彼女はバッと下を向き、ちょうどのタイミングでやって来たバスに滑り込むように駆けていく。追いかけようにもバスの経路が違うし、そもそもも恥ずかしがっている彼女を追いかけるのはよくないだろう。でも、せめて名前くらい……。そうしているうちに無慈悲にバスは走り去っていった。置き去られてしまったのは僕と彼女のタオルと、カーディガンを肩に掛けたときに触れた彼女の小さな肩の感覚だけだった。
「タオルどうしよ……」
何も考えられない頭はただそれだけを口から呟かせた。
それから連日、憎たらしいほど晴天が続く。雨男ならその効力を働かせて欲しいものだ。もはや僕が雨男でない可能性の方が、全然会えない彼女の存在より信じられるかもしれない。あの日から一縷の望みを託して、あの日と同じ時間に、同じバス停に通った。……早起きは少し辛かったけど。
「なんで、会えないんだよ……。」
彼女の残していったタオルに向かって誰に聞かせるわけでもなく嘆く。その時、ふと脳裏に父の言葉が浮かぶ。
『実は、母さんはなぁ……。』
まさかな、不意に思い浮かんだ馬鹿げた仮定を打ち消すように首を振る。
「よう、最近元気なくね?てか一緒に帰ろうぜ」
「んあ?」
いきなり話しかけられて間の抜けた声が出てしまった。声の主はクラスメートの男子で、野球部の主将をしてる奴だ。技術も高く、そうとう優秀な選手だと聞いている。でも確か野球部は大きな試合が近かったはず。彼も練習のために、放課後になれば真っ先に部活に向かってたはず。……あ、そういえばこの近くで起きた通り魔事件、犯人逃亡中だったっけ。そのせいでしばらく部活は休みで登下校も二人以上でするよう言われてた気がする。彼は真面目だから律儀にその言いつけを守っているんだろう。
「おい、聞いてんのか。さっきからそのタオルばっか見てるけど、何かあったのかよ。正直キモチワルイぞ。」
「っるせーな、ほっとけよ。ほら、帰んぞ」
そんなに分かりやすいほど見てたのかと指摘され初めて気づき、照れ隠し混じりでぶっきらぼうに返す。彼女の話は僕だけのものにしたい。元気があるのなら、と彼は後ろをついてくるが、正直彼女に会えないので元気ではない。そう思いながら、無意識にスマホを取り出し最近恒例になりかけている天気予報をチェックする。実際のところ雨じゃないとさらに憂鬱になるのであんまり見たいわけではないけれど。それでもつい癖で確認してしまうのだ。
「あっ」
思わず声が漏れ、とっさに口を手でおおったが顔の緩みが隠しきれない。いつの間にか隣に並んでいた友人にどうした、と言われている気がするが答えていられないほど舞い上がっている。好きな人の言動ではなく、天気予報で一喜一憂するのもおかしな話だけれど。僕を励ますように天気予報は雨マークを踊らせていた。
予報通りの雨が降る。この日に限って寝坊して彼女に会えたあのときの時間のバスには間に合わなかった。もちろんバス停に彼女の姿はない。軽くショックを受け、晴れている日と変わらない憂鬱な気持ちで学校に向かった。
そもそも雨の日に会えるなんて信じている僕がバカだったんだ。今まではただの偶然にすぎなかっただけだ。一通りの授業を終え、放課後。とはいえこのまま引き下がれず、一日を延長するような気持ちで徒歩で帰る。彼女に会えることを望みながら。今日の雨は今までと違って優しい。こうして雨の中を歩いてると思い出す。あの日を……。彼女に出会った初めての――。
ふと前を見ると、前方を歩く少女がいた。可愛らしい傘を差し、誰かを待ち望むようにゆっくりと歩いている。間違いない、彼女だ。後ろ姿だし、傘が邪魔で制服を確認することは難しいけど彼女だと言う確信があった。あの日出会ったような寂しげな少女。誰かを探しているような少女。その相手が僕だったら――なんて考えてしまう。今すぐ彼女の元へ駆けていきたかったが、どうせならあの日のように、そう、あの日のように二人で傘を……。幸いにして僕が差していた傘は折り畳み傘だったので、あえてたたみ、バッグにいれ、彼女を追い駆け出す。靴が水を跳ね、少し染みるが不快じゃない。
「やっと見つけた。」
追い付き、傘を持ち上げ見た彼女の顔はとても愛しかった。
「傘忘れたから入れてくれる?」
本当は忘れてなんていないけど、なんて心の中で舌を出す。あの時みたいに相合い傘をしたかったのでそんな嘘をつく。その嘘への照れ隠しと彼女に会えた嬉しさから口許の緩みを押さえるのが大変だった。彼女はというと驚いているのか、一生懸命に首をたてに振る。
彼女から攫ったままの傘を持ち直し、あの時のように歩く。そういえば……
「はい、これ」
彼女から借りていたままだったタオルを返す。彼女との唯一の繋がりのようでずっと持っていたから返すのが少し惜しい。
「あ、ごめんなさい……! それと、私もこれ」
そう言って彼女から渡されるのは僕のカーディガンだった。そういえばずっと彼女に貸しっぱなしだった。それにしてもその間ずっと彼女の近くにあったのかと思うと僕のカーディガンとはいえ、少し嫉妬してしまう。
それから僕たちは無言で歩く。何か話したかったけどこのままでもいい気がして口を開くのをやめる。さっきからこれを繰り返しているので、一人で気恥ずかしく、くすぐったい気持ちになる。駅までの道のりがもっと続けばいいのに。さりげなく彼女の方に傘を傾けてるけどバレてないといいな。バレてたら少しカッコ悪いから。結局駅まで何も話さずに歩き別れた。名残惜しかったけど彼女に背を向け、歩き出す。次はいつ会えるのか、それだけを楽しみにしながら。
彼女との相合い傘から一週間と少しぐらい経ったある日。その日はバイトで、夕方から夜までのシフトだった。最近は午前授業なので、一度夕飯を作りに家に帰る。今日のバイトはわりと夜遅くまで入ってるから、今夜は父と夕飯が食べられるかもしれない。父はどうやら最近長年の研究が完成しそうで常に上機嫌だった。それに伴い朝帰りしてまで研究に没頭するのではなく、時計がてっぺんを超える前に帰ってくることが多くなった。でも正直言うと機嫌が良すぎて逆に心配になる。素直に言うと気色悪い。いつもは仏頂面で目つきも少しきついのに、ここ最近は目にずっと笑いじわができていて、終始目が垂れ気味で前まであった威厳がない。まぁ僕も彼女と相合い傘をして帰った日は今の父と同じようにずっと笑顔で(父によると時折意味のわからない鼻歌や、気持ち悪い声で笑っていたらしい)父に心配されてしまった。こういうところは親子で似たのかななんて思うと、少しだけ嬉しい。
「なんで笑ってるんすか」
バイト中にそんなことを思い出し笑いをしていたら、不審に思った同じシフトの少年に声をかけられた。同い年ぐらいだろうか?結構このバイトを長くやってるつもりだが、同い年の男の子はいなかったはず。シフト表に見慣れない名前があったので新人さんかと思い、事務室にいた店長に聞くと『長いこといる子だよー』と言われてしまった。本当にそうだろうか?でも言われるとそんな気もしてきた。
「ひょっとして好きな子のこと考えてたとか?」
「はっ!?」
僕は父のことを思い出していただけなのでとても心外なのだが、いきなりそういう話題をふられたことに驚いてしまい、思わず声を上げてしまった。それを肯定と捉えた少年は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、僕の顔を覗きこんでいる。その顔はとても嬉しそうに見えた。
「今のは違うんだけど……」
「『今のは』ってことは本当にいるんすね」
先ほどよりも笑顔になっており、どこか楽しそうにも見えた。
「ねぇ、どんな子?同じ学校の人?」
「何だよ、いきなり……。つか、何でそんなこと」
「いいじゃん、暇だし。今お客さんいないんだしさ」
だとしてもほぼ初対面なはずのコイツに彼女の話をしないといけないんだろう。というより慣れなれしすぎやしないだろうか?僕が覚えてないだけで何回か一緒に入ったことがあったんだろうか?いずれにせよ答えないとしつこそうなので、渋々応えることにした。
「……同じ学校の子じゃないし、どこの学校かも知らないけど、すっごく可愛い子」
「同じ学校の人じゃないの、か……」
いきなり声色が強張った気がするけどどうしたんだろう。
「……ここのバイトの人?」
「違う。てかここのバイト、女の人おばさまぐらいしかいないだろ」
失礼な言い方になってしまった気がするけど事実は事実だ。それとも少年は僕がそのように見えたのだろうか、はたまた自分の好きな人でもいたのだろうか。まぁそれなら安心してほしい。僕の心に決めた人は彼女だけだ。他の人になびく予定はない。
「そ、そういえばそうだったっけ。……どこであった?」
彼の真意は何なんだろう。さっきまで楽しそうだったのに。段々と一語一語探りを入れてきてる気がした。
「どこかっていうと細かくはいえないけど、バス停だったり、行きつけの喫茶店だったり、色々」
「……いつ会うんだよ、そんな子」
確かにいろんな場所で遭遇してたらそう思われるのも不思議じゃない。え、もしかしてストーカーと勘違いされてるんじゃないか?そう思うと彼の顔は不信感で満ちている気がする。学校も知らないのに、いろんな場所で遭遇すると言ってしまえば、僕が付け回してると取られてもおかしくない。あ、まさか彼女も勘違いを……。そう考えると頭から血の気が一気に引いた。と、とりあえず誤解を解こう。まずはこの少年からだ。
「す、ストーカーとかじゃねぇかんな。たまたま、雨の日に、偶然会うことが多いんだよ。それにまだ四回しか会ってないから!!」
「別に、ストーカーだとは思ってなかったけど、それよりさっきなんて言った?」
「え、『四回しか会ってない』?」
「それもっちゃそれもだけど、その前」
「えっと、『雨の日』?」
少年が何に引っかかっているのかは分からないが、とりあえず誤解はされていなさそうなのでよしとする。胸を撫で下ろし、改めて少年の顔を見ると少し震えているようにも見えた。何かまずいこと言ったか?
「本当に雨の日にしかあったことないのか?」
「そ、うだな。少なくとも会った四回とも全部雨が降っていたと思う」
「……ちなみに一番最近でその子に会ったのは?」
「え、一週間ぐらい前だったかな?」
その瞬間少年は絶望と切なさに満ちたような顔でマジか……と小さな声で呟いている。そんなまずいことだったのだろうか?続く言葉を待っていると、彼は意を決したように、大真面目な顔をしてこう続けた。
「……実は、最近聞いた噂なんだけどさ……」
彼が続けた言葉はこうだった。
『雨の妖精はこの地域に昔からいて、見初めた人間を拐っていく。――激しい雨と共に』
『雨の妖精は人間が嫌いで、滅多に人前に姿を表さないが、人間に姿を見られるとその人間に大量の雨を浴びせ溺死させる』
その他にもいくつかの嫌な噂を教えてくれた。そんな噂一度も聞いたことがなかった。彼は全部の噂に共通して『雨の妖精は、雨の日のみに姿を表す』と言われていることも付け加えてくれた。そして僕は自然と彼女のことを考える。もしかして――
「もしかしてその子雨の妖精じゃ……」
「そんな馬鹿なこと……!!」
僕の脳裏によぎった信じたくない仮説を彼が先に言い、僕は全力でそれを否定した。そんなこと受け入れたくもなかった。
「無いとは言えないだろ。危ないし、そんな子やめといたほうが……」
「そんなことの方ができるわけないだろ!!」
彼が言い終える前に、気づいたら叫んでいた。店長が奥の事務室の方からどうしたのーと言っている。なんでもないですと言って再び僕は少年と向き合った。そう、例え彼女が雨の妖精と受け入れだとしても、諦めることだけはできるはずがなかった。僕は彼の方を見据え
「もう、ずっと好きなんだから……」
これだけは誰になんと言われようと、彼女が何者であろうと譲れなかった。
「……告白は?」
「こっ!?」
しばらく黙ったままだった少年が口を開く。そういえばそういうことを一度も考えたことが無かった。告白か……ちゃんと言えるだろうか。いや、言わなくてはならない。いつまでもいつ会えるかな、とか雨が降らないかとか考えてるだけじゃ、待っているだけじゃ何も始まらない。もしフラれたら……。そう考えると胸がキュッとなるけど。怖くてたまらなくなる。当たり前だ、その可能性の方が高い。僕は小さい頃の記憶を覚えているけど、彼女はきっと覚えていない。つまり彼女は僕のことを全然知らないんだ。まぁ僕も彼女のことをよく知っているとは言えないけど。そんなやつにいきなり告白されたら……。迷惑だろうか?気味悪がれるだろうか?でももし次にあったとき彼女の隣にもう一つ背の高い傘があったなら、別の誰かと相合い傘をしていたら……。ショックで寝込める自信がある。後悔しても、し足りないほどだろう。彼女が誰かにとられるのはフラれるより嫌だ。それならば――。
「するよ、絶対。今度会えたら――」
「『雨の妖精』かもしれなくても?」
「そんなこと関係ないさ。僕は彼女が好きなんだから。もう好きになっちゃったんだから……」
どんな結果になっても――。ちょっとかっこつけすぎたかな?少年はもう何も言わなかった。言っても無駄だと思ったのか、呆れたのか。はたまた何か負けを認めたようにも見えた。苦しそうで、切なくて、何かを察しているように見えた。それが何か僕にはわからない。
彼はゆっくりと口を開き
「雨……明日降るって」
それからは一切口を開くことなく、黙々とバイトを続けていた。
その日のバイト帰り、ふと夜空を見上げると美しい満月が、僕を見守るように優しく輝いていた。綺麗だなぁと思いながら眺めていると、急に月が滲んで二つ重なっているように見えた。びっくりして目を擦ると、そこには元どおり一つの月が変わらぬ美しさで輝いていた。目にゴミが入ったのかなと考えているうちに家の前までたどり着いていた。すでに家の電気がついているので、きっと父が帰ってきているのだろう。今日はいつもより早かったんだなと思いながら、ただいまーと玄関のドアを開ける。父はちょうど夕飯を温め直しているところだったので、そのまま一緒に食べた。
食べ終わって、お風呂にも入り、少し勉強もして布団に入る。時刻は午前一時。すでに日付は変わってしまっていた。実際布団に入ったのは、日付が変わる少し前だったんだけど、明日というか寝て起きたら、と思うと緊張して寝付けず、グダグダとこんな時間まで起きていた。遂に彼女に告白か……。そもそも会えたらの話になるんだけど。ベッドの横にある大きな窓の外には、雲一つない澄み切った夜空が広がっている。この時間でこんなに澄み切っているのに、寝て起きたら降っているなんてことあるだろうか。そう思うと不安でさらに寝付けなくなる悪循環を辿っていた。落ち着くためにもう一度月を見ようと、窓を開け放ち、身を乗り出して月を探すと、先ほどよりも高い位置へと移動した月は、先ほどよりも美しく二つ並んで仲良く光り輝いていた。……ん?二つ?慌てて月を見直すと確かに二つ輝いていた。星とかじゃない。そっくりそのまま同じ月が仲良く並んでいる。あり得ない現象に、一回現実逃避しようと目をつぶって深呼吸をする。ゆっくりと目を開けると、いつも通りポツンと一つの月が、混乱する僕を他所目に美しく輝いている。なんだ、また見間違いか。そんな見間違いするほど、あるいは幻覚を見るほど僕は緊張しているのだろうか?いかん、もう寝よう。ベッドに横になり、目を閉じる。しかし月ばかり見てたせいか夏目漱石のあの言葉を思い出す。ついでに前に一回似た言葉を調べたのを思い出し、どんなものがあったのかが気になってきてしまった。あれって探せば結構出てくるんだよな。でも全部夏目漱石が考えたんじゃなくて、誰かが派生語的に広げてったんだよな。思い出したらもう一度調べたくなってきて、寝れないし調べることにした。
「『星が綺麗ですね(あなたは私の想いを知らないのでしょうね)』か……」
これいいな。綺麗だし、僕の心に一番合っている。彼女は僕の気持ちなんて知らないだろう。――それにしても告白なんて何て言ったらいいんだろう?僕の気持ちを伝えたら、知ってくれたら彼女は喜んでくれるだろうか。何て言ったら――。
彼女の事を考えていたらいつの間にか深い眠りに落ちていた。
翌日、朝起きてもなんの音もしなかったし、家を出るまでは怖くて外を見れなかった。もし雨が降っていなかったら……。だが、僕の心配は杞憂に終わったようだ。目の前では今まで彼女に会ったどの日よりも優しく、心地よい雨が降っていた。
さぁ、決戦だ。気合いを入れるように力強く足を踏み出し、家を出た。
朝の登校中には会えなかった。ということは放課後か、もしくは……会えないかの二択だ。でもきっと大丈夫、そんな気がした。
彼女を探し求めるように歩く。彼女と再会した喫茶店、近所の高校の登下校に使われている道、そして相合い傘をした道。そこには彼女がいた。はやる鼓動と足を抑え、それでいて彼女に追いつくようなスピードで歩く。ある程度近づいたので声を掛けようとすると、彼女の方から振り返ってきた。そして彼女と目があった瞬間、フラれるかもとかいう心配とか、昨日考えたどの言葉もどうでも良くなって、気づいたら勝手に口が動いていた。
「「あのっ!!」」
二人とも同時に口を開く。
「「初めて会ったときから好きです。付き合ってください。"雨の妖精"さん」」
続く言葉も同じ。二人で大きく開いた目を見合わせ、笑い、涙が溢れた。そんな二人を祝福するように、雲間から一筋の光が指す。いつの間にか雨は止み、太陽の光が二人を照らす。まさか、彼女も想ってくれてただなんて。それだけでも嬉しいけど、僕達を照らすこの太陽の光が、彼女が何よりも彼女が『雨の日のみに姿を表す』雨の妖精ではないと言う証拠であると同時に、『雨の日』じゃないと会えないということではないことを証明していた。それが嬉しくて、思わず
「雨の妖精じゃなかったんだね」
そう、彼女に言ってしまったが、変なやつだと思われなかったかな?どうしよう説明した方がいいのかな?そんな馬鹿げた噂信じてたの、と引かれちゃったりするかな?瞬間的に色々考えてしまったが、そんな疑問は彼女が抱きついてきたことにより全部ぶっ飛んだ。おまけに彼女が濡れた瞳で
「雨止みませんね(もう少し傍にいていいですか?)」
なんて可愛く言うもんだから、なんかもう、全てどうでも良くなった。
そうして二人は手を取り合い、自然と再会した喫茶店に戻るのだった。
※ ※
これまでが彼女との昔話。そういえば、彼女を拐っていったやつの顔、どこかで見覚えがあるような気がする……がうまく思い出せない。そんなことより、早く彼女を探さなきゃ。僕は彼女と『約束』したんだから。
『何処にいたって、どの世界だって必ず見つける』
と。だって、彼女は『この』世界の人間じゃないんだから。
始まりは、彼女と晴れて恋人になって少しした頃だった。付き合うことになった日、喫茶店でお互いLINEを交換し、それから毎日連絡していた。喫茶店ではずっと聞き損ねていた名前は聞いたけど、お互いに今までの話に花を咲かせすぎてしまったため、それ以外の基本情報を聞き忘れていた。学校の話、友達の話、大体どこらへんの地域に住んでいるのか、好きなものの話、家族の話、色んなことをLINEでやり取りした。意外だったのはお互いの家がわりと近い地域にあったことだ。そういうわけで明日から一緒に登校しようという話になり、その日のやり取りは終わった。寝坊しないように早く寝ようとベッドに潜り込んだが、楽しみすぎて寝付けず、彼女とのやりとりを見返した。そこでふと気になったのは彼女の通う高校の名前だ。彼女の高校は今まで聞いたことがない名前だった。登下校中に遭遇したりしてたから近所の高校だと思っていたんだけど……。近所どころか今までに一度も聞いたことがない名前だった。まあそんなこと気にしてもしょうがないと思ったので、携帯の電源を落とし、眠りについた。
翌日は雲一つない快晴だった。時期はもう夏なので当然と言えば当然なのだが、夏らしい青空と強い日差しが目に痛かった。しかし今までの僕ならこんな青空はにくたらしくて仕方なかったが、今はもう違う。今日は彼女との約束もあるので、こんな天気も夏の暑さも気にならない。かえってこの眩しい青空が気持ちいいぐらいだった。楽しみにしすぎて待ち合わせより少し早く着きすぎてしまった。彼女の姿はまだ見えない。早く来ないかな……なんかこうしてるとデートみたいだな。デート、もうすぐ夏休みになるし、誘ってみようかな。‥…おかしくないよね?付き合ってるんだし、デートぐらい誘っても。今まで思うように会えなかった分、彼女とたくさん思い出を作りたい。でも、二人とも受験生だし、そんなに多くはできないかな?それならあの喫茶店で、二人で勉強するのも悪くないかも。二人とも進路は真逆だったけど、英語ぐらいなら一緒に勉強できるだろう。それにお互いの苦手教科について教え合えると思う。なんて考えていたら、もう待ち合わせの時間になっていた。それから五分、十分と過ぎていったが、彼女は一向に現れなかった。どうしたんだろう?心配になってスマホを見ると一件の通知が来ていた。彼女から『遅れる』とでもきているのだろうか?急いで確認すると、確かに彼女からではあったが、その内容は『今着いたよ』というものだった。しかも待ち合わせ時間ちょうどに。おかしい。僕はずっと前からここにいたが、彼女どころか、一人もすれ違っていなかったのだ。そういえば、この待ち合わせ場所の話をするとき、同じ場所について話しているのに微妙に噛み合わなかったっけ。それだけじゃない。近所の話をする時も、周りの環境について微妙に認識がずれていた。同じ話をしているつもりで違う場所のことを話していたのか、あるいは……。
『母さんはなぁ……』
父の言葉が脳裏に過ぎる。まさか……。彼女と再会してから何度だって考えた馬鹿げた仮説。そんなことあるはずないとは思いたいが、ここまでくるとやはり……。
一人で葛藤していると、聞き馴染みのあるLINEの通知音が聞こえてくる。スマホの画面をバッと見ると彼女からだった。
『ごめん、少し違うところにいたかも』
の後にかわいい猫がゆるく『ごめんね……。』と謝っているスタンプが送られてきた。使っているスタンプもかわいいなと、不覚にもキュンときてしまった。なんだ、やっぱり勘違いか。ほっと胸を撫で下ろし、彼女に返信しようとスマホを持ち直すと現在時刻が目に留まり、もうそろそろ歩き出さないといけない時間になっていた。僕は今日はもう諦めて、日を改めようという旨の返信をし、小走りに学校に向かった。この時は明日なら彼女と一緒に行けるだろうと考えていた。その次の日も、その次の日も……。
――しかし、夏休み前にその機会が訪れることはなかった。
いくらなんでもおかしい。あれから何度もチャンスがあったのに、あの日と同じように待ち合わせ場所に僕の方が先に着くけど、彼女は集合時間になっても来ず、そのまま時間切れで学校に向かう。という流れを繰り返していた。これはたまたまなのだろうか?それとも……
『母さんはなぁ……』
頭の中で父の言葉を反芻する。やっぱり……いや、そんなはずない。ちょっと付き合いたてで噛み合ってないだけだ。もう夏休みなんだし、デートに誘えば彼女とも……。そうだ、前向きに考えなきゃ。せっかく付き合えたんだからそんな馬鹿げたこと考えている場合じゃない。早速彼女を誘ってみよう……あ、でもどこに誘えばいいんだろう。生憎これまでデートした経験がないものなので、初デートにどういう場所に行けばいいかがわからない。とりあえず何か検索して……。
こうして彼女と一緒に登校できないことについての悩みは、デートスポット探しによってかき消された。しばらくして良さそうな場所を見つけ早速彼女にお誘いの連絡をした。彼女は喜んで承諾してくれ、そこから二人で予定を詰めていった。――その日が決定的な日になるとも知らずに……。
初めてのデートの日。一応念のため雨の日を選んだ。あんなことがあったわけだし、絶対会いたかったから、わざわざ雨の日を選ぶことも彼女は承諾してくれた。雨でも行けるようなデートプランにもしたし、彼女が喜ぶことに全力を尽くした。その日は雨予報のわりには、降ったりやんだりを繰り返していた。――そして、事件は起こった。
彼女と道を歩いていたときに、今まで降っていた雨がふと止んだ瞬間があった。狭い道だったので縦に並んで歩いていたのだが、話しかけても彼女からの返答がない。気になって振り返ると後ろを歩いていたはずの彼女がいつの間にかいなくなっていた。僕は慌てて探し回った。はぐれるような道ではない、というか一本道だったのではぐれるはずがなかった。なので彼女が連れ去られたのではないか、それだけが心配だった。探しているうちにまた雨が降り出すと脇道から彼女が出てきた。彼女に聞くと、雨がやむ直前、目をそらした一瞬で僕が居なくなってしまったという。彼女は彼女で僕を探してくれていたらしい。彼女は、勝手にいなくならないで、と頬を膨らませて僕の腹を軽く殴るマネをする。それが、凄く可愛かったんだけど、それよりも僕の中で前から抱いていた疑念が確信に変わりつつあり、それが怖かった。
それから雨は止むことがなく、彼女とのデートは無事終わった。まぁ疑念と戦っていたせいで半分上の空で何度か彼女に怒られてしまったけど。それよりも僕はこの疑念に答えを出すために父の帰りを待たなければいけない。……本当は答えを出したくないけど。
父が帰ってくる。父は僕が神妙な面持ちで机の前に座っていたことでいつもと違う雰囲気を感じとり、どうかしたのかと聞いてくれた。僕は彼女の事を話し、僕の中の疑念を打ち明ける。父は目を大きく見開き、息子に自分の見解を聞かせるのを躊躇しているのか、何度か口をパクパクさせていた。だが、聞かせることを決心したのか父はあの日と同じ真剣な顔で同じ内容を告げる。
『母さんはな――』
「その子は多分――」
「『この世界の人間ではないんだ』」
父曰くこの世界は二つあるらしい。それは、僕や父さんが生きている世界と、母さんや彼女が生きている世界。二つの世界は隣り合って存在し、似てるようで少しずつ違うらしい。そして、この二つの世界は時々交わって同じ世界として繋がることがあると父は言う。そして父がずっと研究しているのは、このことについてらしい。しかも父曰く母さんは父と同業者らしく、あちらの世界で父と同様同じテーマについて研究をしているらしい。研究結果によると、二つの世界は雨の日が特に繋がりやすいらしく、信じられない話だけど雨男な僕が呼ぶ雨は結構二つの世界を繋げやすいとかどうとか――。って本当に僕は雨男だったのか。だったらもうちょっと雨を降らせて、彼女と会うことができてもよかったはずなのに。言われてみれば、たまに見慣れない道があるように思えたりするのも二つの世界が交わったせいだったのか。言葉の意味だけなんとなくわかっていた気がしていただけだったけど、思い直すと納得することばっかりだった。そしてこれは最近分かった事実らしいが、二つの世界が一つの世界に交わる頻度が、高くなっているらしい。これはもう少しで二つの世界が一つの世界になる前兆じゃないかと言うのが父の研究者としての見解らしい。最近父が妙に嬉しそうだったのか。とはいえ、それがいったい何故なのか、何時の事で、繋がったあと世界がどう変わるのかはまだまだ分からないらしい。ただ一つ言えるのは彼女と直接会うのが思ったより難しいということだ。そう思ってしまうと無性に彼女の声が聞きたくなったので、父に軽く礼を言い、自分の部屋に駆け込んで迷わずスマホに手を伸ばし、彼女に電話をかけた。繋がるまでのコール音が妙に長く聞こえ、それが二人の距離を表しているようにも感じ、早く、早く繋がれと願う。やっと出た彼女は驚いた声で
『どうしたの?』
と聞く。僕は声が聞きたかったと素直に告げる。電話越しでも彼女が照れるのが分かった。そして僕は迷わずこう告げた。
「君が何処にいたって、どの世界だって必ず見つけて見せるから。」
急にこんなこと言っちゃって大丈夫だったかな?何も知らない彼女にいきなりこんなこと言っても不審がられるかもしれない。案の定彼女はとても驚き、何かあったのか訪ねる。一瞬話そうか迷ったが、伝えても混乱させるだけだし、電話越しに伝えるには少々内容が複雑すぎるだろうと思って言わなかった。
しばらく話してから電話を切る。今さっきまで話してたのにもう名残惜しいし、堪らなく彼女に会いたくなる。それが簡単に叶わないことがわかった今すごくもどかしかった。
そんなわけで色々あったが、今まで何とか彼女と交際を続けてきた。父の話では、時間がかかると思われていた二つの世界が繋がるのが意外と早い話かもしれないということだったのに、いっこうに繋がる気配がなかった。今日は久しぶりにやっと直接会えた日だったのにそんな矢先彼女は連れ去られてしまった。でも絶対に見つける――何としてでも。




