第67話:灰雲の狭間、沈黙の帰還
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「オラトリア…久しぶりだな」
深い溜息とともに、僕はポツリと呟いた。
高くそびえ立つ白い尖塔と、白亜の建物が神々しく幻想的な光景。
聖教都市オラトリアの風景は、以前訪れた時と何も変わらず、ただ静かに僕らを迎え入れてくれた。
ジェシカさんやゼンさんと合流した慌ただしい前回の訪問では、この美しい街並みをじっくり見て回る余裕なんて微塵もなかった。
そして今回もまた、観光気分とは程遠い最悪のコンディションでの再訪となってしまった。
海上での死闘を終え、僕らの身体も精神も、とっくに限界を越えていた。
とくに新見さんは、強引な精神支配の疲労からか、立っているのがやっとというほどに顔色が悪い。
石畳の広場に馬車が止まり、重い鉄の車輪が軋む音を立てて停止する。
到着するやいなや、僕らを出迎えるように、ギルドの制服を着た数名の職員さんたちを伴って、サイラスさんが現れた。
「お疲れ様でした、コータ君。君のお陰で、エテリスは救われた」
サイラスさんは神経質そうに眼鏡を指で押し上げながら、労いの言葉を口にした。
だが、その声色にはいつもの飄々とした余裕がなく、どこか張り詰めたような緊張感が混じっている。
「コータ君、俺らは赤服さんらと一緒に、先ギルド行っとくから」
馬車から降り立ったナギさん達は一足先に、ギルドのオラトリア支部へと赴くようだ。
「はい、わかりました!」
ナギさんに返事を返し、視線をサイラスさんに戻して、続けた。
「はい、何とか、最悪の事態は防げました。ですが…」
僕は重い口を開き、言葉を濁しながら、目線で馬車に積み込まれた二人を指した。
そこには無惨な姿になった二体の兵器――いや、僕らにとっての大切な仲間が、文字通り人形のようになって横たわっていた。
アルテアは、限界を超えた代償として、両腕が砕け散り、元の白く滑らかな肌の面影を完全に失っている。
目を閉じ、呼吸すら感じさせないその姿は、とても痛々しかった。
隣に並べられたジリウスの方も、片腕が砕け、ぴくりとも動かない。
「あの…」
ふらつく足取りで馬車から降りてきた新見さんが、すがるような、ひどく疲れた表情でサイラスさんに声を掛けた。
「ああ…君は、報告にあった…ニーナさん、だね。はじめまして」
「はい、はじめまして…。あなたが、あの…サイラスさん、でしょうか?」
「いかにも、私がサイラスです」
サイラスさんは恭しく一礼した。
しかし、新見さんの視線は彼の顔ではなく、ただ一点、荷台に横たわるジリウスに向けられていた。
彼女はギュッと震える両手を胸元で握りしめ、消え入るような声で尋ねた。
「あの、ジリウスさんは、その…直るのでしょうか…」
その問い掛けに、場の空気がふっと重くなった。
いつもなら、つかみどころのない態度で煙に巻くサイラスさんだが、この件に関しては珍しく言葉に詰まっていた。彼は顎に手を当て、視線を虚空に泳がせている。
「…神性魔導演算回路の状態を見てみないと、なんとも断言はできませんが…。そうですね、おそらく…素体の修復自体は可能ですが、ねぇ」
なにか、奥歯に何かが挟まったような…じつに歯切れの悪い言い草だった。
「なにか、問題でもあるんですか?」
僕が踏み込んで尋ねると、サイラスさんは探るような目で僕と新見さんを交互に見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「『太陽事件』…ああ、今回の騒動を、ギルドはひとまずはこう呼称することに決定しました。考えてもみてください。あわや、大陸が消し飛びかけたのです。その引き金となった存在に対し、ギルドの上層部や各国の重鎮たちが、一体どういう反応を示すか…」
サイラスさんの言葉は、冷徹な事実を突きつけていた。
彼らが恐れているのは、ジリウスであり、それを止めるために力を見せつけたアルテアの存在そのものだった。
「あ、あれは!イグナートに操られていただけで…」
僕は咄嗟に否定した。
彼女にとって、ジリウスは僕とアルテアと同じような関係性だと思う。
現代から連れてこられて、最初は訳が分からないままに一緒に居たんだろう。
世界にとっては兵器だけど、僕らにとっては大切な仲間だ。
「だとしても、ですよ、コータ君。そしてニーナさん」
サイラスさんの声は無情だったが、そこに敵意はなく、ただ現実の厳しさを教え諭すようだった。
「操られていようがいまいが、世界の平和を瞬時に脅かすことができる『圧倒的な力』を持っている事実に変わりはありません。しかも、その破滅的な兵器に対する唯一のストッパーであり、同時に行使するためのトリガーでもあるのは、彼らの管理端末である、あなた達二人なのです」
全くの正論だ。ぐうの音も出ない。
人々からすれば、僕らは「いつでも核ボタンを押せる人間」に等しい。
そんな危険極まりない代物を綺麗に直して、また彼らの隣でふわふわと浮かばせておくことに、どれほどの人が賛同するだろうか。
普通の神経なら、「直せないほどにバラバラに解体して、永遠に地の底へ封印しろ」と主張するに決まっている。
新見さんを見ると、泣き出しそうな表情で唇を噛み締めていた。
そんな彼女を庇うように、僕は一歩前に出た。
「ですが、アルテアと…僕がいなければ、大惨事は絶対に防げなかった。それを免れたのだから、修理する理由は十分にあるはずです!」
すると、サイラスさんは小さく息を吐き、口角をわずかに吊り上げた。
「ええ。だからこそ、交渉の余地がある。あの巨大なエネルギーを完全に相殺してのけたプロセスは、私としても喉から手が出るほど解明したい技術ですからねぇ。未知なる神の遺物にこのまま蓋をして、闇に葬ってしまうのは…研究者として、あまりにも惜しい」
僕らのため、世界のためというよりは、完全に『自分の研究が止まってしまうから絶対に直す』と宣言しているような体だった。
……職権乱用してないか、この人…?
少しだけ呆れてしまったが、同時に肩の力が僅かに抜けるのを感じた。
ギルドや国家のしがらみを無視してでも、己の探求心を優先してくれる異常な執着。
これほど頼もしいことはない。
今はもう、この変人学者の好奇心と政治力にすべてを丸投げして頼るしかない。
「サイラスさん。アルテアを…お願いします。彼女はただの機械じゃない。絶対に、直してあげてください」
「…私からも、お願いします。ジリウスさんを、どうか…助けてあげてください…」
僕の言葉に続き、新見さんも深く、深く頭を下げた。
「善処しますよ。さあ、皆さん!貴重な検体を速やかに研究室へ運び出しましょう。部品一つたりとも落とさないように!」
サイラスさんがパンパンと手を叩いて指示を出すと、待機していたギルド職員たちが一歩前に出て、ストレッチャーのような道具を用意した。
アルテアの華奢な体が、ジリウスの大きな体が、大層な『危険物』を扱うかのような手つきで、物々しく運ばれていく。
冷たい金具で固定されるその様子は、まるで罪人の連行のようにも見えた。
折角、僕らと一緒に過ごす中で、無機質な機械から「こころ」のようなものが芽生え始めていたのかもしれないアルテアを、単なる「危険物」として暗い地下に閉じ込めておくなんて、絶対に嫌だ。
隣でジリウスが運ばれていくのをじっと見つめている新見さんの横顔も、ひどく思い詰めていた。
きっと、新見さんも僕と全く同じ気持ちなのだと思う。
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