30時間目 終わらない放課後
翌朝。
俺たちは、いつものように校長室で目を覚ました。
窓の外は相変わらずの灰色の霧だ。
自衛隊のヘリコプターも、警察のサイレンも聞こえない。
世界を救った(かもしれない)俺たちへの表彰状もなければ、ファンファーレもない。
あるのは、静まり返った学校と、散らかった校庭だけ。
「……平和だなぁ」
俺は重たい右腕をさすりながら、ソファから身を起こした。
包帯に巻かれた右腕はまだ痺れているが、指先は少し動くようになった。東雲センパイの怪しげな塗り薬(理科室製)が効いているらしい。
「おはよう、カケル」
エプロン姿の凛が、湯気の立つマグカップを運んできた。
中身は、最後のストックだった粉末コーンスープだ。
「おはよう。……なんか、久しぶりに熟睡できた気がするわ」
「あたしもよ。あの生首扇風機がうるさくない静かな夜なんて、何日ぶりかしら」
そう。ジェームズMk-Ⅱは、昨夜の戦いで過負荷によりショートし、今はただの焦げたオブジェとして部屋の隅に転がっている。
その沈黙こそが、戦いの終わりを告げていた。
*
朝食を終えた俺たちは、後片付けのために2年B組の教室へと向かった。
廊下の歪みは消えていた。
壁のシミも、不気味な粘液も、昨夜の「浄化の炎」できれいに焼き払われ、少し煤けただけの普通の(ボロい)校舎に戻っていた。
教室に入る。
窓ガラスは割れ、机は散乱しているが、あの禍々しい紫色の光はない。
俺は黒板の前に立った。
何も書かれていない。
チョークが動く気配もない。
『水』だの『肉』だの『殺す』だの、俺たちを悩ませ続けた豪徳寺からの通信は、完全に途絶えていた。
「……行っちゃったのね」
凛が、少し寂しそうに呟く。
「あいつら、無事に帰れたのかな」
「さあな」
俺は肩をすくめた。
「でも、あの強情な豪徳寺のことだ。どっかの時空に飛ばされても、しぶとく生き残って、また『勇者やってます』とか言い出すんじゃないか?」
「ふふっ、ありそう」
俺は黒板消しを手に取り、盤面をサッと拭いた。
チョークの粉が舞う。
これで、俺たちと異世界とのパス(繋がり)は切れた。
これからは、あいつらはあいつらの物語を。
俺たちは俺たちの物語を、生きていく。
*
掃除用具を持って屋上へ上がると、東雲センパイがフェンス越しに外を眺めていた。
その手には、怪しげな図面が握られている。
「センパイ、何してるんですか?」
「やあ。次なる計画の構想だよ」
センパイは霧に包まれた空を指差した。
「ゲートは消えたが、この『霧の結界』はまだ健在だ。我々は依然として、この学校に閉じ込められている」
「……そうですね」
「だが、悲観することはない。水は循環システムが完成したし、電気もソーラーパネルの増設で賄える。食料は……まあ、畑でも耕すさ」
センパイはニカッと笑った。
「つまり、我々のサバイバルは『第2フェーズ(安定期)』に入ったわけだ。そこで提案なんだが」
「提案?」
「次は『体育祭』なんてどうだろう? 運動不足解消のために、校庭をアスレチック化しようと思うんだが」
俺と凛は顔を見合わせ、吹き出した。
文化祭の次は、体育祭。
世界が滅んでいるかもしれないのに、この人たちはどこまでも「学校行事」を楽しむつもりだ。
「いいですね。俺、障害物競走なら負けませんよ」
「あ、あたし、借り物競争やりたい! センパイの実験器具とか借りてくるわ」
風が吹いた。
霧の隙間から、ほんの少しだけ、太陽の光が差し込んだような気がした。
俺たちはフェンスに寄りかかり、眼下の校庭を見下ろした。
昨夜の祭りの跡。色とりどりの紙吹雪と、焦げ跡。
それは、俺たちがここで生きて、戦って、勝ち取った「日常」の証だ。
「……ねぇ、カケル」
凛が隣で、小声で言った。
「ん?」
「……ありがとね。あたしを選んでくれて」
それは、豪徳寺に対して俺が言った「俺たちはここを選んだ」という言葉への返事だったのかもしれない。
俺は包帯だらけの右手を軽く持ち上げ、彼女の頭にポンと乗せた。
「こちらこそ。これからも頼むぜ、相棒」
凛は真っ赤になって「バカ」と呟いたが、その手は俺のジャージの袖をぎゅっと掴んでいた。
*
チャイムは鳴らない。
先生もいない。
世界からは忘れ去られた、霧の中の孤島。
だけど、ここには仲間がいる。
自由がある。
そして何より、退屈しない毎日がある。
「さて、まずは昼飯の確保だな! 今日は購買の倉庫を掘り返してみるか!」
「賛成! あそこの奥に、カップ麺のダンボールが見えたのよ!」
「ふむ、私はスナック菓子の成分分析でもしようかな」
俺たちは笑いながら、屋上のドアを開けた。
クラス転移に巻き込まれなかった俺たち「残り物」の物語。
最強の放課後は、まだ始まったばかりだ。
(完)




