第五話 戦時のニート
私が住む大都市カイ市西区は、未曾有の危機に晒されていた。
異国の大元蒙古国が侵略してきて、避難の手立てがたたなかった私達家族は、すぐ近くに迫っている敵から逃れる事が出来なかった。
死を覚悟した時、思わぬ報が届いた。西区に侵入している敵軍が突然、「全面降伏」をしたのだ。どういう事なのか理解出来ず、困惑する私達家族だったが、今は戦時中。
全ての情報が開示される事はなく、表向きには「世界最強のルーシ、カラハット正規軍の勇猛さが発揮された激戦に依って、敵軍を降伏せしめた」といった自軍を讃える報道がなされた。
そして世間の関心は西区の取り除かれた脅威ではなく、北区付近で戦う"獣王”に釘付けになっていた。
世間は無情なものだ。死ぬかもしれない恐怖に陥れられた西区の住人への興味はすぐに失われ、新たなる脅威に目を向ける。まるで娯楽を楽しんでいるかの様だ。西区と違い、北区の方では正規軍のみならず”獣王"が居る。
私が指している"獣王”。それは去年のクリスマスに奇跡を起こしたあの"獣王”で、正体は11歳の少年だ。
この少年は島の先住民で、島の固有種のズヴェーリであり彼らの言葉で言う"カムイ”を操れる。それもどういう訳か、自在に操れるという少年だ。
昨年の"闘獣”の大会やクリスマスの奇跡もあり、この少年は今や時の人であり救国の英雄だった。
私が思うに一つの時代に主人公が居るなら、今の時代の主人公は、間違いなくこの"獣王”山辺秀二だろう。
興味が移ってしまうのは仕方がない事だろう。頭ではそう分かっていたが、恐怖心を弄ばされた様な気分になって、腹が立った。
軍の発表では総勢五十万のズヴェーリを引き連れた"獣王”秀二と、正規軍数万が北区で戦闘しているという。戦力を北に集中できる正規軍が負ける筈はなく、そんなに心配する事はないじゃないか。
世間は人の生き死にが関わる戦況でさえも、最高のスリルを味わえる「娯楽」にしているのだ。
何はともあれ、私達家族は生き永らえる事が出来た。母はこの奇跡を喜ぶと共に、私とペーチャを抱き締めた。
しかし私は肩の力が抜けると同時に、生きられるという現実を受け入れ、いつもの思考となった。私はこの数日の間緊張感に包まれていて、そこから解放されると同時に、自分の心の「矛盾」に気が付いた。
あんなに死にたいと思っていたのにり。
いざ死にそうになったら「甘んじて運命を受け入れる」等とカッコつけていたのに、生きられると思った瞬間に私はこうして、安堵しているのだ。
家族が死なないで済むからなのだろうか。いや、そうじゃない。それもあるだろうが根底にあるのは、本当は死にたくないという思いだ。
だってそうだろう。私は、逃げたかっただけなんだ。辛い現実、立ち直れない心からから逃れたかったんだ。
今敵国に怯える必要がなくなったとは言え、私の心が完全に立ち直った訳ではなく、未だに「常闇」の中に居る。
辛い現実が何か変わったわけではない。でも私は、こう思っていた。いや、思おうとしていた。
生きていれば、また「ゾユーシュカ」と「散歩」できる。また「タピオカドリンク」を飲める。それにもし死んだ後、生まれ変わりがあるとしよう。神が死後に私を天国に連れていった後、もし私が新生したとして、またここまで頑張らなくちゃいけないのか? 。
大切な人を失う事に耐えて、学校での苦しい学習活動に耐えて、またタチヤーナの様な女に耐えて、ここまで頑張らなくちゃいけないのか? 。そんなの、正直言ってだる過ぎる。
どこの誰だって何かしら辛い思いをするもんだ。誰に生まれ変わったって辛い思いをするなんて分かってるのに、またそれをやり直そうなんて、なんて二度手間な事をするんだ。
私は、ドMじゃない。私はもっと建設的に考えるべきだ。
――西区の危機が去った事で首の皮が一枚繋がった私は、「ゾユーシュカ」に連絡を取った。彼女は私が生きている事を泣いて喜んでくれた。私は彼女の近況を尋ねると、彼女はどうやら北区で足止めを食らっているらしい。
どうやらカイ市中に張り巡らされた電車や新幹線ではなく、国道を車で移動しているらしい。それはカラハット州の自治体が決めたルールらしい。
渋滞してノロノロと移動してまで国道で移動しているのは、電車等と違い何があっても安全で、そして比較的大勢を輸送できるからという理由なのだそうだ。
そして運悪く今の彼女が居る位置は、大都市カイ市の中でも比較的田舎である北区の、更に一際田舎の地域だった。
その為、昨年頻発した地震に依って破壊された電線が未だに修復されておらず、そのせいで連絡がとれなくなってしまった。
そして数日後私達家族も東区への移住が決まり、生まれ育った西区に別れを告げた。
――数ヶ月後西区のすぐ近くに駐屯していた敵が拠点を放棄して侵攻、「西区」を蹂躙し「乱暴狼藉」を働いた。攻撃してきたのは、降伏した軍閥とは異なる「蒙古人」の軍閥だ。
まるで、十三世紀の蒙古帝国に依るルーシ侵攻の再現だ。私は西区に残っていた顔見知り達を思い、憐憫の情に駆られた。
タチヤーナはどうなったのだろうか。生きているのだろうか。西区に居れば辛うじて命はあっても、敵の「狼」に別の意味で「喰われてる」事は言うまでもない。
だが、あの女に取ってはむしろご褒美だ。願ったり叶ったりだろう。
私達家族が東区へ移住した後、年内に敵は北区へ侵入して西区と同様にした。しかし、そんな事はもうどうでもよかった。
東区という市内で比較的自然が豊かな安全地帯に来たことで、戦争から切り離された事で、心はどんどん穏やかになっていた。
――東区に来て、私達家族は戦後の事を話していた。私達は今無職だ。母親はすぐに職を見つけられるだろうが、私と弟のペーチャはそうはいかない。
ペーチャは高校に行ってないし、私も「精神不安定」だ。今でも、家族で囲む夕食時やゾユーシュカとの連絡時以外には、何だか急かされる様な、焦る様な不安定な気持ちになる。
夕食時、母は悩む私に尋ねてきた。
「あなたは夢はないの? こんな世の中を生き抜いたんだもの。少しくらい夢を見たって良いじゃない?」
私は母に問われて、正直に答えた。
「夢はないかな。でも強いて言うなら、ここじゃないどこかに行きたい」
「それはどうして?」
「東区に居たら、お兄ちゃんを思い出しちゃう。ここで死んだのかって……。西区に帰ったって辛い日々を思い出すし、きっとこの島に居て同じ様な人達に接していても、何も変わらない気がする」
そう話していたら、弟のペーチャが声をかけてきた。
「どこか行きたい場所でもあるの?」
「それは……ない。でも、戦争が終わって市外移動が解禁されたら、私は……国外に行きたい」
私は意を決してそう言った。行きたい場所もないが、部屋の中に居るより夜中に外へ出た方が気持ちはマシだった。それなら、ルーシに居るよりも、どこか国外へ行った方が良いと思ったのだ。
「そっか……まぁあなたのやりたい事は応援しなくちゃね。いつかは独り立ちしなくちゃいけないもの。……寂しくなるわね」
「ペーチャだったらどの国に行きたい? やっぱり、アメリゴ合州国? それともヨーロッパ?」
「僕だったら……弥纏かな……。兄さんが亡くなった直接的な原因は彼らのせいだけど、カラハット武士団と弥纏国は別だよ。弥纏には、アニメもマンガもある」
「弥纏か……。それも良いね。敵国だけど、だからこそどんな場所なのか知ってみたいもの」
母は寂しそうに言った。
「外国行きは決まりなのね。弥纏国はカラハット武士団に対して、テロリストだって声明してたわ。それに安全な国だと聞くし、心配だけど……あなたなら大丈夫だわ。お母さんにはペーチャが居るもの。頑張りなさい!」
「お母さん。僕も、やりたい事がある」
「ペーチャの夢は何?」
「僕は、軍人になりたい」
ペーチャの言葉に母の手が止まった。「絶望」に満ちた顔で、今にも発狂しそうな程、強烈な拒絶感を示していた。
「母さん、僕は知りたいんだ。どんな場所で兄さんが最期を過ごしたのか。そして……西区で敵の軍閥が降伏した時に報道された言葉、『世界最強のルーシ、カラハット正規軍の勇猛さに依って、敵軍を降伏せしめた』。これがどこまで真実なのかをこの目で確かめたいんだ!」
母は今にも泣き出しそうな顔で弟を見詰めていた。色々な葛藤があるのだろう。命の保証さえない軍隊へ入隊させる事は、兄の二の舞になる可能性がある為、母親としてそれは止めたい。
しかし長らく引きこもっていたニートであるペーチャが、自発的に望んだ進路を拒絶出来るものかという、一人の教育者として、一人の社会人として葛藤していたのだ。
夕食後、私と母は二人きりで話した。母は少しお酒を嗜み……いや、やけ酒をしていたので、とりあえず外へ出て夜風に打たれていたのだ。
「ひ、東区は自然豊かだよね。カイ市じゃないみたい」
「そんな事……どうでも良いわ」
「ご、ごめんなさい……」
気まずい沈黙が訪れた。私は母は胸中が分かる。痛い程分かる。
息子を二人も失うなんて、何としてでも避けたいのだ。失ってから怨嗟したって遅い。
だが、あれだけ本気になって私達へ思いを訴えるペーチャを、久々に見た。何年ぶりだろうか。数分話した後に、母は言った。
「こればっかりはすぐに心を決められないわ。時間が掛かりそう」
それは私も同感だった。
――一月 戦況は徐々に変わっていた。
戦場はカイ市北区から中央区に移り、数十万づつの大軍同士に依る戦闘が行われ、ルーシ軍が背水の陣になって行った「焦土作戦」に依り、敵軍は徐々にジリ貧になっていた。
毎日、数え切れない程の人やズヴェーリが死んだ。自治体の避難命令に背いた報道は、惨たらしい遺体を連日報道した。
普通に生きていたら訪れない程の悲劇的な死は、同じカイ市で、当たり前になっていた。いや、これがむしろ普通なのかもしれない。「人の歴史」は「戦争の歴史」だ。
私が無事平穏に暮らしていた事が、稀有な時間だったのかもしれない。私は戦況を「娯楽」に思う事はない。
私は毎日ニュースや現地民のSNSの投稿を確認した。慈しみの気持ちかは分からないが、憐れみをもった。そして惨劇を目に焼き付けて、「何世紀」も繰り返されてきたこの「自然災害」や「核兵器」にも劣らない破壊と殺戮を、「当事者」として記憶した。
やがて時間が流れれば、戦いは終わる。2二月初頭に蒙古軍閥は瓦解して、敵総大将が戦死した。総大将の軍勢を殲滅した"獣王”山辺秀二の名声は益々高まり、世界は彼に注目していた。
しかし私はこう思う。どんな有名人も勢力も、盛者必衰。
これ程までに世界的な人気を獲得した後の少年は、きっと落ちぶれる。簡単には立ち直れない程に。
それでも私には関係ない事だ。今の私はせめてもの慈悲として、彼に興味を持たないであげよう。よく知りもしないのに周りに合わせて彼を引き立て、周りに合わせて冷める。
そんな事をしないであげる為に、私は関わりを持たないであげよう。
――やがて訪れた終戦。
戦勝記念として大統領やカラハット正規軍長官、ルーシ連邦軍高官、そして何よりも戦功を挙げた救国の英雄"獣王”が演説を行った。
そして中央区内の戦禍を免れた比較的田舎の地域に、新たな議会が設置された。付近ではパレードやお祭りが行われ、誰もが「戦勝を祝った」。
そして、念願の市外移動が解禁された。私はすぐさま国外への移住に向けた準備を行い、春に目処がたった。
――四月、引っ越しの前日。
引っ越し先は弥纏の「博多津」と呼ばれる歴史ある町だ。
前日になって、私は急に不安に駆られた。遠い異国の地である弥纏の地でやって行けるのか。言葉や人種の壁を壊せるだろうか。
色々な不安に押し潰されそうになっていた。そんな私に、母は優しくこう言ってくれた。
「この島でこんなに辛い思いをしてきたのよ。あなたが頑張れないはずがないじゃない。こんなに苦労してきたあなたが、異国に行った位で悩まないで良いのよ。それに、弥纏人はみんな優しいと聞くわ。きっと大丈夫よ」
「そんなの……気休めだよ。外国人差別が凄い国だって聞くし、やっぱり怖い……。私、人に優しく出来ないからきっと虐められる!」
「そんな事ないわ。あなたは十分優しいわよ……? あなたが勇気づけてくれたお陰でお母さんは、あの時西区にお父さんやお兄さんの面影を置いてくる事ができた。あなたのお陰で、今こうして生きられているのよ」
「それでも、私には良い面がないから……。二面性の内悪い方しか持ってないから、私は……私は……」
子供の様に駄々をこねる私に母は呆れた顔でこう言った。
「……お母さんは楽観的だから、あなたがどれ程深く考え込んでいるかなんて分からないし、話してくれても、多分理解できないわ」
そして腕を組むと、今度は八の字になった眉毛の形を元に戻し、少し微笑んだ。
「でも、確かなのは、あなたには十分人の事を思いやれる優しさがあるって事よ。ゾユーシュカちゃんだって、あなたが悪い人間なら遊んだり、何時間も電話をしたりしないわ。誰よりも辛い思いをしたあなたは、誰よりも優しいのよ。あなたに足りないのは自信だけ」
不安で今にも泣き出しそうな私を抱き締め、母は私の門出を祝った。
私は決心した。生まれ変わろう。もうこんなにくよくよする自分とはお別れをしよう。強い決心を胸に、私は生まれて初めて、故郷を離れた。
第五話 終




