第六五話 焦土作戦~中央区の戦い
三◯一七年 一月中旬。
蒙古軍のセンゲ リンチンは北区から南下して「中央区」を目指した。そのあいだに幾度も交戦し、蒙古軍は徐々に内面を探られ、対応されて損害が増え出した。
さらに兵士やモリは疲労困憊し、徐々に弱体化していった。
その状況は後方のウリヤン カダイにも伝わった。
「今動かせる軍はリンチンの軍のみだ。戦機を焦る必要はない。一時後退をおこなうべきだ」
カダイは撤退命令を出した。しかし既に敵の本拠地に侵入したリンチンはその命令に従わなかった。
「総帥から撤退命令だと? たしかに一理はあるが、敵が我が方の連絡網に侵入し嘘の情報を流している可能性も考えられる。命令だ。我々はこのまま進軍し、中央区を攻める!」
リンチンは中央区へ侵入した。そしてそこで蒙古軍を待ち構えていたのは"獣王”秀二だった。
「敵の主力は"獣王”。これまで正規軍をかなり狩ってきたが、まだまだ戦力は温存されているはずだ。疲れているときは注意が疎かになるが、そういう時こそ気を付けなくてはな」
一月後半。
両者は中央区にて対峙した。既に中央区に侵入された"獣王”に依る攻撃が開始された。
通常の戦争では、ある程度固まった軍が前線で衝突する姿を空から確認し、その戦況を後方の司令部が正確に把握したあと、次の方針が決定され伝達される。
しかし、両軍は異なっていた。
まるで「軍」という「体」から生える複数の拳が、各地の前線で同時多発的に「殴りあい」をおこなうようだった。「司令部」という「脳」がすべてを把握して次の攻撃に移るまでの速度は神速と呼べるほどだ。
"獣王”秀二の実力は訓練で日毎向上していたが、リンチンの巧みな用兵には敵わなかった。
しかし、秀二には彼に勝る要素が二つあった。それは土地勘と疲労だ。
リンチンに取って、この戦いは分が悪かった。戦いに必要な要素である「天の時」は、訓練を積んで急速に成長した"獣王”に劣り、「地の利」は土地勘で劣り、「人の和」は背水の陣で挑む敵兵士や市民に劣っていた。
さらに遠征軍であるリンチンは、移動し続けていた疲労もあった。
この熾烈な戦いによって、カイ市は武士団による前哨戦の時とは比べ物にならないほど甚大な被害を蒙った。両者は満身創痍で、どちらが先に音を上げるかの根比べとなった。
――そんな中、リンチンの許に連絡が入る。それは青山地区からウリヤン カダイ率いる残存兵力五万が援軍として駆けつけ、既に西区に侵入したようだ。
蹂躙された西区はガラ空きで、進軍速度はそよ風のように早かった。
「これは天の助けだ……感謝する……総帥 !」
――この行動は正規軍のAdamも把握していた。
「大元蒙古国軍の大将が自ら赴くという衝撃は、蒙古軍の疲労を拭う「劇薬」となる。大胆不敵だな……」
Adamはここからが正念場だと感じた。そして逆転の一手を思い付く。
「今我々がすべきことは敵の退路を断つことだ。敵が合流する前に包囲し、敵をすべてカイ市内で殲滅する!」
キッパリとした軍服に、光を放つ星のように飾られた勲章の数々。安全圏で守られる彼は威厳を保つためにそれらを外さず、また常に綺麗にしてある帽子の黒いエナメル質のツバを握り、神経を研ぎ澄ました。
そして深呼吸をし、Adamは決意を露にした。
「既に正規軍残存兵力、並びに市民ら義勇軍は各地に潜伏させている。全面包囲をしてここで奴らを打ちのめしてやろう!」
Adamがおこなおうとしている戦法は、世界有数の大都市であるカイ市を廃墟にする「焦土作戦」だった。しかし最早この方法しか正規軍には残っておらず、カイ市という言わば「本土決戦」で捨て身の包囲を敢行した。
結果、Adamの読みは当たり、カイ市内でリンチン軍は孤立した。救援の希望が絶たれたと知った敵は散開し、リンチン軍壊滅は時間の問題となっていた。
このとき"獣王”参謀本部の戦術担当のLeinholtは、過去の蒙古軍の真似をしていた。それは蒙古軍の得意技である「囲師必闕」であった。
包囲網に敢えて一ヶ所穴を開け、死を恐れた敵がそこから逃げ出すことでその軍を壊滅させる作戦だ。
"獣王”はこの戦法に従ってセンゲ リンチン軍を包囲した。さらにその数十キロメートルにも及ぶ巨大な包囲網の中では、義勇軍のゲリラ攻撃がおこなわれた。
――リンチンは進退窮まっていた。
「私はスフバートルのような天才ではない……多くの戦いを経験したが局地戦に於いては幾度も敗れ、一度は責任を取らされて爵位と地位を失った!」
彼は凍える雪の中、寒さを跳ね退ける程に血気盛んだった。彼は最期まで戦う決意を露にしていた。
「それでも私は不死鳥の如く返り咲いてきた。私は偉大なるチンギスの弟ジョチ カサルの直系の末裔。チンギス直系の子孫であるテムル ハーン様とは血族である。ここで私が敗れれば、我が血族の栄光にまで泥を塗ることになる!」
彼はテムハという刀身が歪曲した刀を鞘から抜き、それを青き空へ掲げた。そして叫んだ。
「最期まで諦めはしないぞ! !」
彼は敗北が目の前に見えても、諦めなかった。空腹や疲労、不眠に苛まれても戦い抜き、"獣王”に多大な損害を与えて、戦死した。
窮寇は追う勿れ。“獣王”はその考えに基づき離散した兵士を追撃せず、ウリヤン カダイに目を向けた。
数週間に渡る数十万規模の決戦。その激戦を一人で担った秀二の疲労は計り知れず、彼は休息のため戦闘から離れた。
この決戦という規模で見れば勝利を収めたが“獣王”の損害も多く、痛み分けにも近い終わり方をした。
――離散したリンチン軍残党の中には、スフバートル隊の姿があった。彼は勇敢にもウリヤン カダイに加勢しようとしていた。
移動中、付近に潜んでいた正規軍ろ依る残党狩りが始まった。彼の僅か八百の兵力で、義勇兵を含む正規軍数万と戦闘になった。だがこの期に及んでもスフバートルは冷静だった。
「明るい内に戦っては負ける! 夜襲あるのみだ!」
コンクリートの森に潜んだスフバートル隊は、夜を待った。
一方スフバートル隊を見失った敵は捜索するも、見つられはしなかった。そして自らは拠点に留まり、敵の夜襲を待つ格好となった。
夜になるとスフバートル隊は敵拠点目掛けて猛攻を仕かけた。多数の正規軍を速やかに、そして正確に排除していった。
その一糸乱れぬ行軍に恐れ戦いた義勇軍は離散し、また正規軍は捜索に兵員を割いていたので、その猛攻で拠点を占拠され、この恐怖に兵士は逃げ出した。
「スフバートルの姿なし、帰還する」
兵士が帰還したときには破壊された拠点があるだけで、敵も味方もおらず、完全に後の祭りとなっていた。
進軍してウリヤン カダイの軍勢を発見したスフバートル隊。しかし厚い包囲網を前に、中々合流を果たせずにいた。彼らは包囲に穴があるのではないかと睨み、包囲を一周するために西側へ向かった。
そんなスフバートルの事等つゆしらず、厚い包囲網の中でウリヤン カダイは打開策を思案していた。
「どうすればこの包囲網を出られるのか……。数日も経って、リンチンがどうなったかさえ分からない。彼らは疲労が溜まり、引き返さなくては命の保証はない」
彼はタトゥーが入った腕を組み、思案していた。
「いや……もう生きてはいないだろう。瀕死の軍を救うために、私は青山を瞬臣らに任せて自ら出向いたのだ。救えた命も救えないとは、私は軍人失格だ……!」
数日後リンチン軍壊滅の情報が入り、彼は自軍が任務に失敗した上敵地に孤立したことを知った。
「敵は、カイ市を破壊して決死の抵抗を見せている。私は逃亡するしかない……。包囲で兵站線が途切れ孤立した今、問題はどの様によう逃げるかだ……」
悩むカダイは、息子のココチュ(كوكچو)を呼び寄せた。このココチュは蒙古帝国の功臣、スブタイ(سوبداى)の直系でありその千人隊を継承した有能な息子だった。
チンギスは嘗て逃げる敵を見て誉めた。
「男子たるもの、ああ在りたいたいものだ」
そう言って誉めたのだ。何度負けて何度逃げようとも、最後に勝てばそれで良い。それは蒙古族に共通する思想であった。
カダイはこのココチュに部隊の指揮を任せ、逃亡を試みた。ココチュはそれを受け入れ、父に別れの挨拶をした。
「上手く逃げられれば良いが、もしかすれば死ぬかも知れないな。もしそうなっても、ココチュは上手く私の代役を務めてくれるはずだ!」
カダイは覚悟を決めることができた。しかし、配下はそうではなかった。仲間と離れ、いずれはカダイのために盾にさせられ死ぬ。それを悟り泣きじゃくる兵士が大勢いた。
カダイは死を恐れる配下に、どんな言葉をかけるべきかと悩んだ。兵士にとって永遠の課題である「死の恐怖」の払拭。カダイは溜め息を吐き、頭を悩ませた。そして内心こう思った。
「死は未知の世界の代名詞であり、死後に体が惨たらしい仕打ちを受けることを知っている兵士にとっては尚更だ。死は『恐怖』で仕方ないだろう」
慌ただしく悲壮感が漂うこのカイ市内の拠点の中で、彼は刹那の生を噛み締めながらそう思った。
「しかし死への恐怖の克服とは、正解を一言教えて納得するものではない。各々で時間をかけて心を決するもので、急いてもなにも始まらないのだ」
雨が降りだした。凍える雪の世界。兵士たちは傷口に染みる雨に体温を奪われ、半死半生となっていた。その姿を見たカダイは、ふと過去を振り返った。
敵を完膚なきまでに叩きのめして勝利し、自らを中世の蒙古族の先祖たちに重ねて例えがたい高揚感に浸っていた。そして馬入酒を飲み、馬頭琴を奏でてホーミーで歌う。そんな最高な戦の日々を懐古し、彼は生への執着を呼び起こしそうになった。
弱い自分に、不安な気持ちを植えつけられそうになった。だが彼は、心も体も戦士だ。弱肉強食の草原の覇者であり、なににも負けない鋼の精神があった。そして彼は覚悟を決めた。そして覚悟が決まらない兵士たちに、哀れな目を向けた。
「自分が死んで『青き空』へ魂が召されて、すべてが終わることを想像するのだ。死後に残された人々にどのように思われたいかを自問自答し、悔いを残さないように生きようと思えば、真に自分の人生を生きられる。そうすれば、死期が迫ったときにそれを受け入れ安くなるのだ」
彼は肩に羽織っていた黒い毛皮の上着を脱ぎ捨て、寒さや恐怖の震えに立ち向かった。
「人は死を意識して初めて真に自分の人生に向き合う。直前になって恐れ戦いても遅いのだ! 私も死は怖い……だが、息子たちが優秀な軍人として育ってくれた今となっては死んでも未練はない!」
真の人生を生き尽くしたカダイは、五千の精兵と共に西へ逃亡し、わざと開けられた包囲の穴から抜け出した。当然追撃を受けるも、外で呼応したスフバートル隊の援護もありカダイは九死に一生を得た。
一週間後、指揮官を引き継いだココチュは、東側から包囲の突破を試みて失敗し、戦死した。その指揮系統はココチュの兄弟であるアジュ(آجو)に引き継がれるも、形勢逆転はできずに、長く暴れてやがて壊滅した。
「カダイと思われる人物を拘束したようです。Adam長官」
「影武者の可能性もある。よく調べろ」
――上手く逃れたカダイは、西区から青山を目指した。この無理難題でさえも彼は投げ出さずにやり遂げようとした。
「これからどうやって西区を突破しますか? 敵は未だに街道から西区にかけて漢民族や市民の遺体を回収中。辺りは軍人や義勇兵で溢れ返っています」
「だが我らは未だに発見されていない。私が逃亡したことが発覚していないことを願おう」
死ぬと決めたカダイは矛盾を抱えて生きることとなった。しかし指揮官として今まで以上に働くことで、自分のために死んだ配下たちに報いようとした。
カダイが希望を見出だしていたころ、北区の正規軍はアジュを拘束していた。そしてカダイが逃亡したことは判明しており、西区の正規軍は待ち構えていた。
しかしいくら数で勝っていても、勝算が未知数のであるため正攻法での攻撃は採択されなかった。
焦土と化しまともに食べ物の一つもない瓦礫の山。この戦禍でインフラも破壊され、街と呼べる形ではなかった。
しかしそれでも戦争は終わらない。彼らはそんな中でカダイが通るであろう道のすべてに狙撃部隊を配置し、幾日も幾日も、ただひたすらに待機するのであった。




