第五九話 嵐の前の静けさ
Adamらとの訓練の日々を送る秀二。しかしその最中にも、永遠に終わらないのではないかという不安に駆られる秀二の心の中で、「負の連鎖」は広がっていった。
「なんでこうも葛藤してまで、戦わなくちゃならないんだ……」
この疑問に対する答えを彼はすでに見つけていた。そう、アイナや友人、そういった大切な人々を守るためだ。しかし、現実はその決意を揺さぶるほどに重たかった。
次に戦うのはいつなのかもわからず、妙に焦ってソワソワとしながら、彼はずっと自問自答を繰り返していた。
「俺が"獣王”として一つの勢力に『属してる』から、戦争は激化してるのかな……?」
彼は高そうな白いロイヤル風味の椅子から立ち上がり、空を見上げ、気が遠くなるような途方もない思考の果ててに、持論を構築した。
「だったら俺はもう誰もここに攻めて来ないように、敵を恐れさせる存在になるべきなんだ! ルーシにも調子に乗らせないように、俺は『最強』の存在にならなくちゃいけないんだ!」
彼はテーブルの上に置かれたマンゴージュースを飲み干し、糖質を補完した。それはよりその過激な思考回路の構築に拍車を駆けた。
「俺が父さんたちや先住民族にしてあげられることって、これなんだ。島を取り戻すっていうのは、敵を追いだすことじゃない。俺たち先住民よりも偉そうにさせないようにする……。そういう存在として、俺が君臨することなんだ……!」
彼の中でとある危険思想が芽生えようとしていた。彼にとってそれは、暖かさを与えてくれた周りの人々に報いるための思想だ。彼の部屋に入ってきた使用人は、そこでバルコニーに居る秀二を見つけ、楽しそうに叫ぶ彼を目の当たりにした。
「先住民やアイナたち仲間を守るため、俺はアンゴル モアをも凌ぐ恐怖の象徴、"獣王”として君臨するんだ!」
自分がしていることに正当性をよたせた。彼はこれから戦うことになるウリヤン カダイ率いる大元蒙古軍に、"獣王”として一切の容赦をもたない苛烈な戦意を滲ませた。
秀二のこの変化は、重たすぎる現実に対する不満からくる怒りがあっ
「アイナは、誰かの為に戦う俺は『あの日』見た“獣王”より輝いていると言ってくれた……。誰かのために戦うなんて、俺にはそんなつもりはないんだ。俺は、やりたいことをしているだけなんだ」
彼の中にあるのは、自分が楽しみ誰かが喜ぶなら、それが自分自身のやるべき事なのだという考え方だ。幼くて視野が狭い彼の中にある「喜んでくれる誰か」というのは、アイナや先住民の人々だけだった。
「している事は残虐かもだけど、楽しいんだ……。俺が楽しんでそれを喜んでくれる先住民やアイナのために、俺は戦いたいって思ったんだ!」
言葉の美しさとは裏腹に、彼の行動は狂気と怒りが満ちたものへと変わっていってしまったのだ。
――三◯一六年 一二月二四日 午後六時。
捕虜の解放が決まり、カラハット正規軍に引き渡される前日。アナトリーは、静と二人きりになり会話をした。
「なぁ静。静は前に、凄く高貴な生まれだってことを俺に教えてくれたよな。もしかしてそういう出身のお陰で、兵士にならずに済んだのか……?」
「ううん違うよ。それには劉将軍の計らいがあったの。劉将軍は史さんと肩を並べる巨大軍閥を築いていた厳実様に仕えていて、私が幼い頃から面識があったんだ」
「すげぇな……育った環境が全く違ぇ」
アナトリーは静と話をする度、そのお金持ちそうな過去に度肝を抜かれていた。そして……彼は静の過去を想像するとともに、自分の過去を思い出した。すでに死んだ家族や友人を思い出して、切なくなったのだ。
「お前と話してると、いつも家族を思い出すよ。なんでだろう……」
「前に話してたときも悲しそうな顔をしていた……。アナトリーの家族は、もういないの……?」
アナトリーは閉口してしまう。
「ごめん……。話したくないなら、話さなくてもいいよ……」
静はアナトリーが知ることができなかった、家族と過ごす温かさを教えたくなった。だがアナトリーは空元気を出してこう言った。彼は湿っぽいのが苦手だった。
「俺は家族の為にためも、人生を楽しもうと思ってるんだ。不埒っつうか、良い子ちゃんになるなんてつまんねぇ。偽善者みたいな事はことやめようって思ってさ」
正直に話す彼だが、感情的になっていて、どこか声は上ずっていた。それでも前のめりになって、身ぶり手振りを大袈裟にして伝えた。
「皆のために『自分勝手』に生きて人生を楽しんでやろうって思ってるんだ! 俺がルールばっか気にして苦労することなんて、死んだ皆は望んでないだろうしな!」
アナトリーが軍に入ったのも、彼にとっては不幸ではない。求めた居場所を手に入れ、認めてくれる人々がいる。彼はある意味、人生で最も幸せな日々を過ごしていたのだ。
一方の静は漢民族として、「儒学的」な価値観を教わりそれに従い生きてきた。目上の人を敬う「孝行」という価値観を知る彼女に取って、アナトリーが語る「皆のために自分勝手に生きる」という言葉は刺激的だった。
幸せそうな彼を見て、彼女もまた自然と笑顔になっていた。異国情緒に魅せられた彼女は、アナトリーに対して惹かれるようになっていたのだ。
「な、なぁアナトリー……」
「なんだ?」
「そ、その……。お前たちルーシ族は、親しい間柄でのみ使える呼び名なんかはあるのか……?」
「愛称系っていうのがある。名前から派生した別名みたいなもんで、パスポートにもこの名前が載ったりするんだ」
「そ、そうなんだな……私も、その名前で呼んでいいか?」
「あ、なんでだ?」
「ほ、捕虜とは親しくならなくちゃいけない……それが……わ、私の役目だからだ! !」
「なに慌ててんだよ静……。まぁ、俺はトーレニカだ。別に呼んでも呼ばなくてもいいけどよ。静たち漢民族には、愛称系みたいなのはあるのか?」
「字という名前がある。これは親しい人や目上の人が呼べる名前だ。それ以外の人がこの名前で呼ぶと、凄く失礼なんだ」
「それが、麗華だってのか?」
静は驚いた。自分がその名前で呼ばれるのは、劉将軍と話すときのみだ。アナトリーはここで過ごす中で漢語を覚えていき、静の友人たち会話を盗み聞きして覚えたいた。
「初めて会った時も、そう呼ばれてたなぁって思い出した」
「覚えててくれたんだな……。名付け親の劉将軍は、尊敬する人物の名からこの名前を選んでくれたんだ」
「いい名前だと思うぜ。麗華……俺もそう呼んでいいか?」
「勿論だ! ありがとう……トーレニカ」
「おう……!」
アナトリーは暖かい気持ちになった。でもどこか少し恥ずかしいような、照れるような気持ちもあった。
静がこうして血を流さずにいられるのは、所謂「コネ」である。「血筋の幸運」が命を永らえさせてくれているのだ。大切な人は危険な場所には行かせず、顔も知らない他人は、国のためや民族のためだと理由をつけて血を流させる。
所詮は、近しい人から安全な場所で育みたいという勝手な思いが、こうして彼女に青春を送らせることができた。しかし二人は、もうすぐ離ればなれになるのだ。
静は捕虜としてどこかへ連行され、アナトリーは再び兵役に就く。二度と会えない訳じゃないが、時間が経てば二人の中にあるどこか特別な感情も薄くなり消えてしまう。
そういう不安に駆られて、互いに中々離れられずに、ずっと話を続けてしまうのだった。沈黙が訪れても、二人の中に離れるという選択肢はなかった。
そして日が暮れるまで、いつまでも寄り添っていたのだった。




