第四五話 異動
“獣王”秀二は北区方面の防衛の為に、主力として動員される。
前線で殿を務めていた秦良玉は、背後から迫る数機の敵のチャリオットに警戒するも、それが自分たちの横を素通りして「ドストエフスキー砦」に帰還するのを確認する。
またそれに呼応するかのようにドレイク連隊も、精強な白杆乒の突破を諦め帰還した。死を覚悟し、役目を果たした白杆乒は後方に撤退した。
「兄上を守り抜いたのだ……私はお役目を果たしました……! 生きてまた会えるなんて、こんなに嬉しいことはないわ……!」
期待を胸に、誇らしい気持ちでティモフスコエ城に戻った良玉は驚愕した。そこには兄たちが撃破したと思いこんでいた正規軍の中隊が待ち構えており、どこにも兄の姿が無かった。
考える間もなく彼女はティモフスコエ城を素通りした。上手く状況を把握できなかったが、野戦の霊兽を警戒する陣形で低速の撤退をおこない、さらに後方の野営地まで撤退した。
正規軍は追撃をしてこなかった。拠点を確保した今、急いでそこを出撃して強敵を襲う必要性がなかったからだ。
「思えばお兄様たちとの通信がとれない。妨害か電波の乱れだとだと思っていたけど、さっきから道に散らばる死体ってもしかして……」
帰還した良玉は、そこで秦軍本隊の顛末を知った。兄弟や血族の死を彼女は嘆き悲しんだ。人の死という「戦場の常」を熟知する彼女だったが、それでも家族を一度に大勢死なせたことに心を病んでしまった。
ぶつけようのない怒りを抱えたまま、三日三晩泣き続けた。後追いを思い立つこともあったが、彼女は弱い人間ではなかった。
自分がこうしているあいだにも戦は続いている現実を理解していた。だから彼女は必要とされている場所へ戻ることにした。「戦場の白い華」として再び戦う事を決心し、立ち上がったのだ。
前線を沈至緒に頼ることとなった劉軍は、秦良玉の部隊で通称、白杆乒をその軍に編入する事とした。沈至緒はそれを快く聞き入れてくれた。
「あの秦家の豪傑を撃ち破るとは……。彼は指揮官として非常に有能な男だったし、兵士も休息を経て準備万端だった。それを撃ち破るとは、流石ルーシというべきか。Luis Drake、恐ろしい敵だ」
劉は慰問も兼ねて、良玉を宴に招いた。この場では誰もが鎧を脱いでいる。堅苦しいスーツやラフな洋服を着用する者はおらず、誰もが民族衣装の漢服を着用していた。
それは私服という扱いだ。そしてそれは彼らは漢民族としてのプライドを持ち、その代表だという意識の現れでもあった。
良玉は宴に清純で真白な漢服を着用し、薔薇の香りを漂わせてやって来た。彼女は悲しそうな顔一つみせず、劉の期待に応えようと気丈に振る舞った。教養溢れる才媛な彼女との会話は、劉にとってはいつも難しい事ばかり言われる苦手な時間だ。
「……つまり、諸葛亮がこの誡子書で言っているのはこういうことです。若い頃に落ち着いて勉強をして志を持たないといけない。年をとって、何も持たない自分に後悔してからじゃ遅いということなんです」
「わ、わかったわかった……。博学なのだな……! 本当に、もうわかった……」
苦笑いした劉は、颯爽と話を変えた。
「血族が死ぬというのは、この戦時下においても辛かろう……。何か必要なものがあれば、白杆乒の者どもに補給しよう」
「お気遣いありがとうございます、将軍。私は血族が戦死したことよりも、それが漢民族のためでも、家族のためでもなかったことが悲しいのです」
彼女はそう言って酒の酔いを覚ますように、ハーブティーをほんの一口だけ飲んだ。
「私の心が晴れないのは愛しい家族の死がすべて、蒙古族による不毛な戦争によるものであるからです。真嘆かわしきかな……」
「蒙古族による不毛な戦争か……」
劉の表情は曇った。彼の心中には、主と呼ぶべき「蒙古族」に対して不敬を働く配下への憤りがあった。長年戦場に立つ一人の将として、上官の存在は「絶対」だというのは常識だった。
どんなに気に食わなくとも、上官には不服な態度を見せてはならないのだ。体に染み込んだその価値観にそぐわないこの配下に、劉は怒り心頭だった。
「ところで将軍、お尋ねしてもいいですか?」
「なにをだ?」
「じつは、将軍が先日グローム町の『落雷』から生還した兵士を尋問したと、小耳に挟みました。捕虜はどのようなことを語っていたんですか?」
「なにも語らなかった。先生も落雷に関心をもっていたが、なぜそんなことを聞くんだ。教養の深い者にしかわからない、何か特別な価値のある出来事なのか?」
「それは……いいえなんでもありません。少し気になっただけです。まるで『生き物』のような雷だったと、現地の報道から聞き及んでいます。私が思うに、私たちも知っておくべきことだと思うのです……」
「価値のある証言かはわからないが、捕虜の兵士とともに被雷した兵士曰く、雷は神話に登場しがちだと睨んで、この島の神話を調べたらしい」
劉はそういって近くにあった創作スイーツを食べた。団子とモンブランが融合した不思議なものだが、味覚音痴の彼にとってはただカラフルで柔らかい砂糖だった。
「随分と突拍子のないオカルトだと思うのだが……。結局それを読み解けるだけの読解力がない人物なので、結局なにも得られなかったと」
劉がそう言ったとき、良玉はぼけーっとどこか遠くを見ていた。劉はその表情にどんな意味があるのか理解できなかった。そう思っていたとき、良玉は呟いた。
「さぞ恐怖でしょうね……」
劉は、良玉が考えていることが初めて理解できた気がした。未曾有の落雷を体験したアナトリーの心情を察し、同情したのだと思った。
部下とのコミュニケーションを大切にする劉は、気高くつかみ所がない良玉に、人間らしさを見つけられた気がした。
――部隊異動になった良玉は、配属先に赴いた。
彼女は沈至緒と話していた。
「良玉殿、兄君のことは心中お察し致す。して……この私の軍には慣れましたかな? 居心地はいかがか、お聞かせ願いたい」
「ありがとうございます至緒さん。お陰で軍内で居場所を失わずに済み、また高待遇に預かり、感謝の言葉しか思いつきません……」
「礼は良い。兄君は非常に優秀な将校だった。数万人を操る用兵術は、将軍になれる程の力量があった。その才能を失ったことは、我が軍にとって大きな損害だ。君も彼に負けずとも劣らぬ才をもつと聞く。これからも、活躍に期待するぞ」
初老で兄の好敵手と呼べる沈に、彼女は畏敬の念を抱いた。それから、彼の娘である沈雲英とも交流をもった。
彼女は良玉とは正反対の性格で、無教養で粗暴であった。度々父親や世話役に怒鳴られ説教をされていたが、彼女も嫌々この環境に身を置くことになった子であり、良玉は可哀想に感じていた。
良玉は至緒に頼まれた。
「何かあれば娘の先生として、手本になって欲しい」
恩返しのために彼女は、その願いを聞き入れようとした。
「雲英さんはまだ一六歳……不憫ね……。私が戦場に身を置くのは私の家族が兵士だったし、当然のことだった。でも彼女は違うわ……」
良玉は歯ぎしりした。
「きっと大陸にいては蒙古族になにをされるかわかったものじゃないから、父親に預けられたんだわ。命を守る代わりに一切の自由を失った。こんな青春……現代じゃないみたい」
――劉率いる漢民族部隊は「ドストエフスキー砦」の攻略に手こずっていた。それは強固な砦に立て籠る正規軍兵士の強さと、後詰めとして背後に待機する"獣王”に牽制され、上手く周囲の野営地を攻められなかったからだ。
しかしそれでも"獣王”は、自ら攻めてくることはなかった。それは、彼が北部戦線で主力として戦闘をおこなっており、西部戦線にカムイや己の意識を向けることができなかったためだ。




