第四二話 馬頭琴
落ち着いた声で、比較的ゆっくり話す劉。その態度から言葉の一つ一つに重みを感じられるが、どこかぎこちなかった。
「俺と何の話をしたいんだ? 長髪の女々しいおっさんよ」
「長髪が女々しいと感じるのはお前たちの価値観だ。俺たちの価値観では、親から貰った体を必要以上に痛めつけてはならないという、建前があるのだよ。違いを認めろ。それと、泣き喚くお前の方が女々しかったぞ。それは万国共通だ」
「それで……何で俺と話したいんだ……?」
「数ヶ月前のグローム市での戦いで、不思議な『雷』が落ちたそうだな。まるで天が怒り狂ったかのように、グローム町にのみ雷が落ちたのだと……。お前がそこにいたことは別の兵士への尋問で明らかだ。生き残りが僅かしかいないこともな」
劉は淡々と話続けた。煽りを華麗に跳ね返した後も、その威厳は損なわれずに残っていた。そのため、アナトリーはヤジも飛ばさずに黙り込んだ。
「この世界に生息する『霊兽』、お前たちの国で言うところのズヴェーリ。この生き物は未だに理解できぬことが多いらしい」
劉が話しているのは、グローム町で起きた戦闘中の落雷の件だ。劉は椅子に腰掛けながらも瞬き一つせず、アナトリーを見つめ続けその心を揺さぶっていた。
「かく言う俺は学問が嫌いだから細かいことは知らないが、あの雷は、自然現象ではなく未確認の霊兽であるかも知れないのだ。俺は、その正体が知りたいんだ……」
アナトリーは今話さなければ命はないという状況を十分に理解していたが、あいにく話してやれることが何もなかった。雷には逢ったが、一瞬の出来事であったために何とも表現できなかったのだ。
「グロームに帰省して被雷したのは確かだ。だが、気絶していて話してやれるようはことは何も覚えてない。上官曰く、他にも被雷した兵士は沢山いたらしい。しかし多くの兵士は、火傷を負っていたり五体満足でない体を見て、絶望から生きる事を諦めた。死を渇望し、座して死を受け入れた。らしい……」
劉は、期待外れな捕虜の男に、軽蔑の眼差しを向けた。それからまた椅子に座り、深く息を吸い、吐いた。
「先生に何とお伝えすべきか……。何の成果もないではないか」
そう呟き頭を抱える劉をアナトリーは哀れんだ。それから、幾度か沈黙を重ねながらも劉と言葉を交わした。劉は先程の少女と異なり、流暢なルーシ語を話していた。
気さくにアナトリーと話をする劉からはとても一軍の総帥という壁は感じられず、アナトリーは親しみ安さを感じ、居心地の良ささえ感じるまでになった。
「あんたと話してると、楽しくなっちまう。ハイになってんのかな。いや……あんたの魅力だろう」
「そうか。魅力があるとしたら、それは先生に教わったからだ」
劉は幼い頃に「先生」から、漢人の長い歴史の中でも特筆すべき傑物を教わった。その名は「光武帝劉秀」という人物。
彼は皇帝だ。光武帝のその傑物たる所以は人懐っこさであり、それが人を魅了するのだと劉は教わった。それを幼い頃から忠実に真似してきた彼に取って、「威厳」はあっても「威圧感」は縁遠いものだった。
リラックスしたアナトリーは、落雷の後にジェルが語っていたことを思い出した。
「落雷のことなんだが……一つ思い出した。一緒に被雷した上官が、雷は『神話に出がち』だから関係があるはずだと言っていた。この人は勘の利く人だ……」
アナトリーは劉に心を開き、最大限の情報を開示した。
「だけど、必要最低限の教養しかない人だから、神話に対する読解力が足りずに何も得られなかったらしいがな……」
「突拍子もないな……。神話か……故郷の神話は先生に聞いたことがある。夢中になれる物語だ」
アナトリーは度々彼の口から出てくる「先生」に興味を持ち、ふと訊ねてみた。
「そうかそうか、お前も先生に興味を持ったか。名は耶律楚材先生と言って、先生はお前と同じ傷を負っている。生まれる前に祖国を滅ぼされ、生まれ育った故郷も滅ぼされた」
劉は椅子から立ちあがり、先生の過去を話し始めた。ゆっくりと歩く姿からは、やはり威厳が感じられた。
「しかし、国を滅ぼした『大元』に召し出されると、己が才知を活かすことを決めた。そして俺のように途方に暮れる者を異民族であっても家へ招き入れてくれ、さらにはその名誉のために働いてくださった素晴らしきお方なのだ」
「凄ぇな……そんな奴が本当に世の中にいるんだな」
「俺は、そんな耶律先生を大変尊敬している。 俺は、ハッキリ言って学問が嫌いだ! だか先生は他人に支配されてもそれに挫けず、耐え忍んで、修めた学問を他人のために活かすのだ。そんな人間を、尊敬せずにいられる人間がどこにいようか!」
劉は誇らしそうに先生の事を語った。その姿はまるで、純粋な少年のようだった。
「俺の上官にも似たような人がいるよ。勉強なんて嫌いなのに立身出世を図って、今は国のために戦場で身を削るんだ」
「その者は少し先生とは違う気がするがな。その者の名を何と申す?」
「ジェル ティーグロネンコ曹長だ。曹長は、俺が初陣で敵を憎悪のままに殺したことを後悔し悩んだとき、『仕方なかったと割りきる』べきだと教えてくれたんだ」
アナトリーもまた尊敬できる人物を挙げた。彼こそが、落雷と神話を関連付けた人であり、彼の心を軽くした人物だ。同郷出身でなくても、アナトリーは彼に惹かれていただろう。
「生きてれば人に何かをやらされてるときがある。そういうときに、不本意だからといって悩まずに、仕方ないと割りきれば良い。そう教えてくれたんだ」
アナトリーは椅子に座りながらジェルのことを語った。劉もまた背を向けながら、しっかりとその言葉一つ一つに耳を傾けていた。
「劉将軍の先生みたいに国の話とか誰かのために働くとか、そういうのはよくわかんねぇけど、俺は俺の頭の中を楽にしてくれた曹長を尊敬してるんだ」
劉はおもむろに楽器を手に取りながら、会話を続けた。
「お前の話を聞いて、耶律先生の言葉を思い出した。『一利を興すは一害を除くに如かず、一事を生ずるは一事を減ずるに如かず』」
彼はそう言うと、立派な顎髭を少し撫でた。
「意味は、新しいことを始めるよりも、余計なことを一つ止める方が結果的には良いという意味だ。お前は『後悔して悩む』という余計なことを始めたが、それをやめれば心が楽になった。そういうことだ」
劉はそう言って話をまとめると、楽器を弾き始めた。それは細長い柄杓のような見た目をした『弦楽器』だ。片手に持った弓が弦を擦り、その摩擦に依って音が生じるのだ。
名は「馬頭琴」。その音色にアナトリーは魅了された。
弦と弓が摩擦によって生み出す滑らかな音は、彼に心地よさを与えた。彼はたった今、青山の穏やかな草原をズヴェーリと駆け抜けているかのような気持ちだった。
吹き抜ける風、ズヴェーリの蹄の音や嘶き。体を草草に擦らせ疲れれば、近くの小川に身を寄せる。
小川のせせらぎは、水を飲まずとも渇いた体に滲みていくものだ。横たわればたちどころに心を洗い、思わず眠りに耽ってしまう。
気が付けば空は暁。家路について、再び駆ける。何もなくとも、幼い頃のすべてが詰まったその懐かしさを思い出させる馬頭琴に、彼は心を揺さぶられ涙を流した。
劉もまた疲れた体を、聞き馴染みのある音で癒した。端から見れば、二人は馬頭琴にて共鳴したかのようだ。だが決して、心を同じくした訳ではない。
ふたりは敵対する兵士だ。どれだけ壁を打破しようとも、人種や国が異なり、互いに命を狙う敵なのだ。
劉の頭の中には、漢軍総帥としての「敵の懐柔による反乱の誘発」という策略があった。いずれ彼が何かと引き換えに解放された後、反乱分子として活躍するように変化させるのだ。
しかしゆらりと奏でる旋律には、その謀を意図していた側面の他にも、迷いという側面があった。迷いの正体は先生に言われた言葉だった。
「戦争は放っておけば、勝手に始まるものだ。わざわざ侵略して、何になろうか」
戦を好み戦ってきた二◯年。それは一重に大元という異国において、漢人のために自分にできる役割を担っているという自負からであった。だが劉にとって、もはや自分のすべき行動は何なのか、それがわからなくなっていた。
部屋から解放されたアナトリーは、外にいた少女と再会した。
「お前は殺されるのだと思っていた。今、生きている事に感謝しろ」
彼女はそう言ってアナトリーを彼の部屋へ連行した。そこは粗野な部屋で、すきま風が目立つ汚れたゲルであった。
「ゲホッゲホ……汚さには慣れてるはずなのに、咳がでちまうなんてな」
ゲルというのはテントのことで、遊牧民である蒙古人にとっては彼らの移動式住所である。アナトリーは小さなゲルの中、破れた天井から見える空を見上げ黄昏るしかなかった。
――漢民族軍閥がチロット市を攻撃してる際に、蒙古族部隊センゲ リンチンは、チロット市の北側のコタンコロ市を攻撃していた。市の規模からしてあり得ないほどの早さで、市は陥落した。
陥落し敵が蔓延る同地を、カムイに偵察させその目を通して観察した秀二。そして彼は、その変わり果てた街に驚愕する。
街中、焔に焼かれ全てが灰と化していた。それはまるで、原子力爆弾や大津波が襲ったあとのような惨状だった。
生命が再びこの大地に根を生やし、命を繋いでいくことなど不可能だと思わざるを得なかった。それは蒙古族が怨念返しをした跡だ。憎きルーシの人間たちは、男は殺され女は性欲処理のために食われ、そして殺された。
住みかを守ろうと襲いかかるズヴェーリは、皆殺しにされていた。自然も含め、その全てが戦の中で失われていた。
ここに生きていた全ての命を殺し、繋がれた希望や風景に染み込む思い出さえ、跡形もなく食い散らかしていった「狼たち」。彼らはその空腹を満たすため、次なる街へ向かっていくのであった。




