第三章 紅林澪奈
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西側設備通路は、想像していたより暗かった。
講堂を飛び出した直後こそ非常灯が点いていたが、奥へ進むにつれて照明の数が減っていく。
白い壁。
むき出しの配管。
ところどころに古びた注意標識。
人が頻繁に使う場所には見えなかった。
悠真たちは、走る速度を少し落としていた。
琴音が息を整えながら、後ろを振り返る。
「……追ってきてない?」
「今のところは」
悠真も確認する。
講堂からはもうかなり離れた。
途中で何人もの新人が別の通路へ散っていったため、この辺りには三人しかいない。
戸塚がケースを持ち替えた。
「俺のこれ、マジで重い」
「捨てれば?」
琴音が言う。
「いや、まだ捨てるほどじゃない」
「そういうところ見られてるんだろうね」
「多分な」
悠真は前方を見る。
通路の先に分岐がある。
右は地上階。
左は地下設備区画。
壁には非常時の案内図が貼られていたが、第二集合地点へ直接つながる経路は示されていない。
「どっち行く?」
戸塚が聞く。
悠真は案内図を見る。
地上階へ行けば出口には近い。
ただし、MDEも当然そこを押さえるだろう。
地下は遠回りになる。
しかし、施設の構造上、搬送用の出入口がどこかにある可能性が高い。
琴音も同じことを考えたらしい。
「地上は危ないと思う」
「だよな」
戸塚が頷く。
悠真は地下への階段を見る。
「下から行こう」
三人が階段へ向かった、そのときだった。
上の階から足音が聞こえた。
複数。
一定の間隔。
走っている。
琴音の表情が変わる。
「誰か来る」
戸塚が小さく手を上げる。
三人は足を止めた。
足音は近づいてくる。
さらに、無線らしき音声。
聞き取れない。
だが、東雲社員のものではない。
悠真は壁際を見る。
古い設備扉が一つある。
取っ手を引く。
開く。
「入って」
三人は素早く中へ滑り込んだ。
扉を完全には閉じない。
わずかな隙間を残す。
薄暗い機械室だった。
使われていない制御盤。
配電設備。
工具棚。
埃が積もっている。
悠真は呼吸を抑えた。
外を足音が通過する。
一人。
二人。
三人。
もっといる。
「西側通路、異常なし」
声がした。
MDE。
琴音が悠真を見る。
悠真は口元に指を当てた。
まだ動くな。
『西階段へ向かう』
無線。
足音が遠ざかる。
戸塚がゆっくり息を吐いた。
「……本物だな」
琴音が小声で返す。
「何を今さら」
「いや、分かってたけどさ」
戸塚は扉の隙間から廊下を確認した。
「銃持ってたぞ」
「撃ってくるのかな」
琴音が不安そうに言う。
悠真は少し考える。
「いきなり撃つことはないと思う」
「根拠は?」
「東雲の資料」
「この会社の資料を信用していいの?」
「今それ言う?」
三人とも、ほんの少し笑った。
怖いからこそ笑った。
悠真は改めて機械室を見回す。
そのとき。
壁際の古い制御盤に、小さな表示灯が点いていることに気づいた。
「これ、動いてる?」
琴音が近づく。
「電源は生きてるね」
盤面にはいくつかのスイッチ。
ただし表示は普通ではなかった。
主電源。
照明。
換気。
そこまでは分かる。
だが、その下。
『経路遮断』
『視認補助』
『一時誘導』
琴音が顔をしかめる。
「何これ」
「使える設備は自由に使っていいって言ってたな」
戸塚が言う。
「でも、これ何するか分からないぞ」
悠真は手を伸ばしかけて、止めた。
人事部長の言葉を思い出す。
未知の設備を使うべきか。
近づかないべきか。
それも評価する。
「触らない方がいい」
悠真は言った。
「少なくとも今は」
琴音が頷く。
「賛成」
戸塚も手を引いた。
「分からん機械は使わない。基本だな」
三人は機械室を出た。
地下へ向かう。
その様子を、離れた場所から監視カメラが捉えていた。
管理棟。
評価室。
モニターの前で、東雲重工の職員が映像を見ている。
「三枝班、旧制御室へ侵入」
「設備操作なし」
「理由は?」
別の職員が記録を確認する。
「設備内容不明と判断したようです」
男性社員が頷いた。
「妥当ですね」
「加点します?」
「小幅で」
「了解」
女性社員が別の画面を見る。
「MDE第二班、西側を通過」
「接触は?」
「なし」
「まだ早いですね」
男性社員は腕を組んだまま、モニターを見ていた。
「いずれ接触します」
「紅林隊長は?」
「現在、講堂を離脱」
画面が切り替わる。
紅林零奈が、部下を連れて施設内を歩いていた。
彼女は速かった。
無駄な動きがない。
一つ一つの扉を慎重に確認しながら、それでも進行速度は落ちない。
講堂で感じた違和感。
それが、まだ消えていなかった。
むしろ増している。
「新人の現在位置、推定できる?」
零奈が尋ねる。
隊員が端末を見る。
「分散しています。大きく五方向です」
「東雲社員は?」
「すでに大半が移動済み。管理棟周辺に少数残っています」
「逃げたんじゃなくて、残ってる?」
「はい」
零奈は少し考える。
東雲重工は逃げる。
それは知っている。
MDE側でも有名だった。
発見した施設を完全包囲してはいけない。
退路を残せ。
東雲を追い詰めるな。
新人時代、それを初めて聞いたときは零奈も意味が分からなかった。
なぜ敵対する要注意団体に逃げ道を残すのか。
理由は後から知った。
逃走経路がある限り、東雲は逃げる。
だが、退路がなくなると戦う。
そして。
東雲重工は、戦えない組織ではない。
戦わないだけだ。
だから今回も、逃げること自体はおかしくない。
おかしいのは。
「社員が残りすぎてる」
零奈が呟く。
「人事関係者が何人か残っています」
「普通なら新人と一緒に消えるでしょう」
「新人の誘導役では?」
「だったらもっと前を走ってる」
零奈は足を止めた。
壁。
天井。
監視カメラ。
また一つ。
追尾してくる。
「これ、全部生きてるよね」
「はい」
「記録先は?」
「内部ネットワークのようですが、特定できません」
「切れる?」
「可能です」
隊員が端末を操作しようとする。
零奈は止めた。
「待って」
「はい?」
「まだ切らない」
「なぜですか」
零奈はカメラを見る。
「向こうがこれで何を見てるのか、知りたい」
「こちらの突入状況では?」
「それだけなら、撤収用の監視で十分」
零奈は再び歩き始める。
「なんか違う」
何が違う。
まだ言葉にできない。
だが。
講堂。
複数の退避経路。
残された人事部長。
生きたままの監視網。
そして、妙に散らばって逃げる新人たち。
新人が全員、同じ脱出経路を使っていない。
それもおかしい。
通常なら、避難手順は統一される。
人命を最優先する企業ならなおさらだ。
なのに。
「バラバラに逃げてる」
零奈が言った。
「はい?」
「新人」
端末の推定位置を見る。
「一か所に集めて逃がしてない」
「MDEへの撹乱では?」
「それなら社員が誘導する」
確かに。
新人たちは今日入社したばかりのはずだ。
施設内部を熟知しているとは思えない。
それなのに、全員が別々の方向へ動いている。
まるで。
「……選ばせてる?」
零奈の足が止まった。
隣の隊員が振り返る。
「何をです?」
零奈は答えなかった。
まだ仮説だ。
だが。
その言葉が妙にしっくりきた。
新人に。
自分で。
逃げ道を。
選ばせている。
その頃。
悠真たちは地下設備区画へ入っていた。
階段の下は、地上よりさらに無機質だった。
太い配管。
搬送レール。
閉鎖された大型扉。
天井も高い。
工場というより、地下格納庫のようだった。
「こんな場所まであるのか」
戸塚が見上げる。
「研修所じゃないね、これ」
琴音が言う。
悠真も同感だった。
「元々、別の用途だったとか」
「ありそう」
三人は壁沿いに進む。
ところどころに案内表示がある。
『第三試験設備』
『旧搬送区画』
『立入制限』
古い文字。
「ここ、使ってないんだよな?」
戸塚が聞く。
「多分」
「多分ばっかりだな今日」
琴音が小さく笑う。
その直後。
前方から声がした。
「いた!」
三人の表情が変わる。
MDE。
「止まってください!」
今度ははっきり聞こえた。
悠真が振り向く。
通路の向こう。
黒い装備。
二人。
いや、三人。
こちらへ走ってくる。
「行くぞ!」
戸塚が叫んだ。
三人は走る。
革靴が床を叩く音が響く。
背後から再び声。
「停止してください! 危害を加える意思はありません!」
琴音が息を切らしながら言う。
「ほんとかな!」
「多分!」
「また多分!」
悠真は前を見る。
直線通路。
このままでは追いつかれる。
相手は装備こそ重いが、訓練されている。
こちらはスーツに革靴。
しかもケースを持っている。
「右!」
戸塚が叫ぶ。
横道。
三人は曲がる。
その先。
行き止まり。
「嘘だろ!」
戸塚が叫ぶ。
正面には巨大なシャッター。
閉まっている。
壁際に操作盤。
琴音が飛びつく。
「開くかも!」
ボタンを押す。
反応なし。
「動かない!」
足音が近づく。
悠真が操作盤を見る。
非常開放。
ただし、その横に警告。
『開放時、区画内構造変化の可能性あり』
「……構造変化?」
悠真が呟く。
琴音も読む。
「嫌な予感しかしない」
戸塚が振り返る。
MDEが角を曲がる。
「もう来た!」
「開ける?」
琴音が聞く。
悠真は一瞬迷った。
未知の設備。
だが、逃げ道がない。
使用するべきか。
逃げるために必要か。
選ぶ。
「開けよう」
琴音が非常開放ボタンを押した。
警告音。
低い機械音。
巨大なシャッターがゆっくり上がる。
その向こう。
三人とも固まった。
本来なら壁の向こうにあるはずのない空間。
広い。
あまりにも広い。
薄暗い倉庫が、奥まで続いている。
外から見た建物の大きさと明らかに合わない。
琴音が息を呑む。
「……二次試験の問題じゃん」
悠真も同じことを思った。
内部が外部より広い空間。
あれは仮想問題ではなかった。
実物がある。
「入るぞ」
戸塚が言った。
三人は迷わず中へ飛び込んだ。
悠真がシャッター横の閉鎖ボタンを押す。
ゆっくり下がる。
MDE職員が迫る。
「待って!」
シャッターが閉じる直前。
その向こうに、一人の隊員の顔が見えた。
怒ってはいない。
むしろ焦っている。
「その区画は危険です!」
シャッターが閉じた。
静かになる。
琴音が壁にもたれた。
「危険って言われたけど」
戸塚が息を整えながら笑う。
「MDEに捕まるよりマシだろ」
悠真は周囲を見る。
「本当にそうかな」
広い。
天井は見える。
壁も見える。
だが、距離感がおかしい。
奥の壁が近いようで遠い。
棚の並びも、少し目を離すと位置が変わったように感じる。
琴音が自分のケースを強く握る。
「早く出よう」
「同感」
三人は倉庫の奥へ進んだ。
監視室。
職員たちがざわつく。
「第三試験設備、開放されました」
男性社員がモニターを見る。
「誰が?」
「三枝班です」
女性社員の顔が少し曇る。
「旧拡張倉庫ですね」
「はい」
「安全状態は?」
「安定範囲内。ただし長時間滞在は推奨されません」
男性社員が考える。
「MDEは?」
「追跡班が入口で停止」
別の映像。
MDE職員たちがシャッターの前に立っている。
一人が無線で報告している。
「内部へ逃げ込んだか」
「はい」
「評価は?」
「設備使用判断としては妥当かと」
「危険性を理解した上で?」
「警告表示は確認しています」
男性社員が頷く。
「なら加点」
女性社員が少し驚く。
「危険区画ですよ」
「逃走経路がなく、追跡者が目前」
「……なるほど」
「未知を理由に何も選ばないのも判断ですが、必要な場合に使えないのも困ります」
記録係が入力する。
「三枝班、設備利用判断。加点」
そのとき。
別の職員が声を上げた。
「紅林隊長、西区画へ進行中」
男性社員が顔を上げる。
「早いですね」
画面には零奈。
彼女は迷わず進んでいる。
一般の追跡班とは動きが違う。
新人の位置だけを追っていない。
壁。
設備。
退避経路。
監視カメラ。
それらも見ている。
女性社員が言う。
「気づき始めてません?」
男性社員は答えなかった。
零奈は西区画に到着した。
そこで追跡班と合流する。
「新人三名が旧設備区画へ入りました」
隊員が報告する。
「どこ?」
シャッターを示す。
零奈が警告表示を見る。
『区画内構造変化の可能性あり』
表情が険しくなる。
「なんで入らせたの」
「追跡中に彼らが開放しました」
「止めた?」
「警告しましたが、間に合いませんでした」
零奈はシャッターを見る。
「これ、東雲の異常設備?」
「可能性が高いです」
「新人が使い方知ってるの?」
「不明です」
零奈は黙った。
また一つ。
おかしい。
今日入社した新人が。
異常設備のある施設内で。
MDEから逃げながら。
使うかどうかを判断している。
そして東雲社員は。
止めない。
「監視カメラ」
零奈が突然言った。
「この区画にもある?」
隊員が上を見る。
「あります」
「稼働中?」
「はい」
零奈はカメラを見る。
「やっぱり」
「何がです?」
「見てる」
零奈の声が低くなる。
「東雲は新人が逃げるところを見てる」
隊員が黙る。
「避難状況の確認では」
「だったら危険区画へ入った時点で社員が止める」
零奈はシャッターを叩く。
「なのに止めない」
「つまり?」
零奈は数秒考えた。
講堂の人事部長。
複数の逃走経路。
分散する新人。
監視設備。
危険な施設。
東雲社員が残っている理由。
そして。
内部からMDEへ流れた、都合の良すぎる情報。
全部。
一本につながり始める。
「……私たち」
零奈が呟いた。
「はい?」
「呼ばれたんじゃない?」
隊員の顔が変わる。
「内部協力者によって?」
「違う」
零奈は首を振る。
「協力者じゃない」
「では」
零奈が監視カメラを見る。
「東雲そのものに」
管理棟。
監視室。
誰も話さなかった。
零奈の口元がモニターに映っている。
音声も拾われていた。
女性社員がゆっくり男性社員を見る。
「……気づきましたね」
男性社員は黙っている。
「予定より早くないですか」
「かなり」
「どうします?」
男性社員は零奈の映像を見たまま答える。
「予定続行」
「でも、このままだと」
「構いません」
「試験が崩れますよ」
「崩れた時の対応も評価できます」
女性社員が少し笑った。
「人事部って怖いですね」
「よく言われます」
その頃。
悠真たちは、拡張倉庫の中を進んでいた。
何分歩いたのか。
分からなくなってきた。
琴音が何度も後ろを見る。
「入口、見えないね」
「曲がってないのに」
戸塚も顔をしかめる。
一直線に歩いていたはずだった。
なのに。
後ろにはシャッターがない。
同じような棚。
同じような床。
悠真は立ち止まる。
「まずいな」
「何が?」
「これ、空間が広いだけじゃない」
琴音が周囲を見る。
「位置も変わってる?」
「多分」
戸塚がため息をつく。
「また多分か」
「じゃあ断言する。迷った」
「最悪だ」
三人は一度その場に座った。
走り続けて疲れている。
焦って動けば、さらに迷う。
悠真はケースを床へ置いた。
「一回整理しよう」
琴音も頷く。
「出口を探す」
「どうやって?」
戸塚が聞く。
悠真は考える。
「この空間が完全にランダムなら無理」
「でも、設備として使われてたなら何か法則があるはず」
琴音が周囲を見る。
「搬送用だったとか?」
「多分」
「今日はその言葉多いね」
少しだけ笑いが出る。
そのとき。
遠くから。
声。
「聞こえる?」
琴音が立ち上がる。
悠真も耳を澄ます。
誰かが叫んでいる。
『――返事をしてください!』
MDEだ。
「追ってきた?」
戸塚が身構える。
だが。
声は警告ではなかった。
『その区画は空間構造が不安定です!』
『こちらの声が聞こえるなら返事をしてください!』
悠真たちは顔を見合わせた。
琴音が小声で言う。
「助けようとしてない?」
戸塚が迷う。
「罠じゃないのか」
「MDEが罠張る必要ある?」
「俺ら捕まえたいんだろ?」
悠真は声の方向を見る。
人事部長の言葉。
MDEは敵ではない。
彼らには彼らの職務がある。
捕まらないでください。
でも憎まないでください。
悠真は少し考えた。
「返事しよう」
戸塚が驚く。
「マジ?」
「場所が分からない」
「このまま迷う方が危ない」
琴音も頷いた。
悠真は声を張った。
「聞こえます!」
返事はすぐ来た。
『人数は!』
「三人!」
『負傷者は!』
「いません!」
少し間。
『その場を動かないでください!』
戸塚が苦笑する。
「それ、MDEに言われたら一番守るなって書いてあったやつだぞ」
琴音も笑う。
「状況によるでしょ」
悠真は立ち上がる。
「今は守ろう」
その頃。
シャッター前。
零奈が無線を受け取っていた。
『内部から応答あり。三名。負傷者なし』
「位置は?」
『音声方向が安定しません』
「分かった」
零奈はシャッター横の制御盤を見る。
東雲の設備。
理解できない。
だが、中に新人がいる。
「開けられる?」
技術班が確認する。
「外部操作は可能ですが、内部位置と出口が一致する保証がありません」
「つまり?」
「開放しても、彼らの近くにつながるとは限りません」
零奈は舌打ちする。
「東雲はどうやって使ってたの」
「不明です」
零奈は考えた。
そのとき。
壁の監視カメラ。
見ている。
なら。
零奈はカメラの真正面へ立った。
隊員が驚く。
「隊長?」
零奈は監視カメラへ向かって言った。
「聞いてるんでしょう」
静か。
「東雲重工」
返事はない。
「新人三人が中で迷ってる」
監視室。
職員たちが動きを止める。
零奈は続けた。
「試験だか何だか知らないけど」
女性社員の表情が固くなる。
「死なせるつもりはないんでしょう?」
男性社員は無言。
「だったら出口を開けて」
管理室では誰も話さない。
零奈はカメラを睨む。
「それとも」
少し間を置いた。
「新人が死ぬところまで評価する会社なの?」
女性社員が男性社員を見る。
「どうします?」
男性社員は数秒黙った。
そして。
「第二出口を接続」
「試験への介入になります」
「安全管理です」
「了解」
職員が操作する。
拡張倉庫。
悠真たちの近くで。
突然。
警告灯が点いた。
三人が立ち上がる。
正面の壁。
そこに、さっきまで存在しなかったシャッターが現れる。
「……あった?」
琴音が呟く。
「なかった」
悠真は断言した。
シャッターがゆっくり開く。
白い通路。
普通の施設内。
「出口だ」
戸塚がケースを持つ。
三人は走った。
シャッターを抜ける。
その向こうには。
MDE隊員たちがいた。
そして。
中央に。
紅林零奈。
三人とも止まった。
零奈も新人たちを見る。
数秒。
誰も動かない。
琴音が小さく言った。
「……これ、捕まった?」
戸塚がケースを握り直す。
悠真は零奈を見る。
零奈は銃を構えていなかった。
他の隊員たちにも手で下げるよう合図する。
「三人とも怪我は?」
零奈が聞く。
悠真は戸惑いながら答える。
「ありません」
「名前は?」
「三枝悠真」
「宮前琴音です」
「戸塚修平」
零奈は三人を見る。
新人。
本当に新人だ。
戦闘員には見えない。
「あなたたち」
零奈が言う。
「東雲が何してるか知ってる?」
三人は顔を見合わせた。
悠真が答える。
「ある程度は」
「今日のことも?」
「今日?」
零奈の目が細くなる。
「MDEが来ること」
三人とも黙った。
琴音が一番早く答えた。
「知らないです」
「試験だってことは?」
「さっき知らされました」
零奈の表情が変わった。
「……試験?」
戸塚が余計なことを言ったという顔をする。
しかし、もう遅い。
悠真は諦めて続けた。
「逃げ切って集合地点まで行く試験です」
零奈は完全に黙った。
隣のMDE隊員も黙る。
「誰から逃げる?」
零奈がゆっくり尋ねる。
誰も答えたくない。
だが。
琴音が小さく言った。
「……MDEから」
沈黙。
零奈は数秒、何も言わなかった。
やがて。
深く息を吸う。
「なるほど」
声は落ち着いている。
逆に怖かった。
「やっぱりそういうこと」
悠真が恐る恐る聞く。
「もしかして、知らなかったんですか?」
零奈が悠真を見る。
「知るわけないでしょう」
「ですよね」
琴音が頷く。
戸塚が小声で呟く。
「外部協力機関って感じじゃないな」
零奈の眉が動く。
「何?」
「何でもないです」
「今何て言った?」
「何でも」
零奈は三人を見る。
そのあと。
監視カメラを見る。
完全に理解した。
情報提供。
入社式。
新人。
逃走経路。
監視。
MDE。
全部。
「……人を試験官代わりに使ってるのね」
管理室。
男性社員が小さくため息をついた。
「完全に把握されましたね」
女性社員が苦笑する。
「どうします?」
「予定通りです」
「まだ?」
「まだです」
「紅林隊長、かなり怒ってますよ」
男性社員は零奈の表情を見る。
「でしょうね」
「新人三人、確保扱いにしますか?」
男性社員はモニターを見る。
零奈。
悠真。
琴音。
戸塚。
「まだ分かりません」
現場。
零奈は三人へ言った。
「あなたたちを保護します」
悠真の顔が引きつる。
「それって」
「MDE管理下へ移動してもらいます」
戸塚がため息をつく。
「捕まるってことですよね」
「言い方は選んでる」
「意味同じですよね?」
「だいたい同じ」
琴音が悠真を見る。
「どうする?」
零奈は聞き逃さなかった。
「逃げる気?」
三人とも黙る。
零奈は少し呆れた。
「今助けたんだけど」
「それは本当にありがとうございます」
悠真は頭を下げた。
「じゃあ来て」
「でも」
「でも?」
悠真はケースを見る。
そのあと。
通路を見る。
第二集合地点。
試験。
正式採用。
そして。
目の前のMDE。
悠真は正直に言った。
「……まだ試験中なんです」
零奈の顔が固まった。
琴音が口元を押さえる。
戸塚は天井を見た。
数秒後。
零奈が静かに言った。
「本気?」
悠真は困った顔で答えた。
「たぶん」
「また多分」
琴音が小声で言う。
その瞬間。
施設内の照明が一度落ちた。
非常灯へ切り替わる。
零奈が振り返る。
「何?」
無線が入る。
『隊長、複数区画で隔壁作動!』
『新人集団が南側へ移動!』
『監視システム、一部経路変更を確認!』
零奈が監視カメラを見る。
「やったわね」
東雲が動いた。
悠真たちも気づく。
廊下の奥で扉が開く。
逃げ道。
まるで。
どうぞ、と言っているように。
零奈と悠真の視線がぶつかった。
零奈は一瞬だけ目を閉じた。
それから。
「逃げたら追うから」
悠真は思わず笑った。
「ですよね」
「当たり前でしょう」
戸塚が琴音を見る。
「行くか?」
「行くしかないでしょ」
三人が走り出す。
「待ちなさい!」
零奈の声。
悠真たちは新しく開いた通路へ飛び込んだ。
MDE隊員が追おうとする。
零奈が手を上げた。
「待って」
「隊長?」
「少しだけ距離を取る」
「なぜです?」
零奈は通路の先を見る。
「東雲が何をさせたいのか、見る」
そして。
監視カメラを見上げた。
「その代わり」
小さく呟く。
「こっちも試験を利用させてもらう」
管理室。
その声を聞いた東雲職員たちは黙った。
女性社員がゆっくり言う。
「……予定外ですね」
男性社員はモニターを見たまま答えた。
「ええ」
「試験中止します?」
「いいえ」
「では?」
男性社員は。
ほんの少しだけ。
笑った。
「続けましょう」
「ここからが」
彼は言った。
「実地評価です」
次回予告
第四章 予定外
9月21日21時投稿予定




