第5話
身体中の至る所から血に塗れた刃物を生やし、歪な顔面となった化物と対峙する中、ディライトの心中は違和感に覆われていた。
頭があり、腕があり、足がある――人間としての形を保ってはいる。
だが、決して同じ生物ではないと断言できる。
それでも。
頭部を形作る頂――藁のように絡まったその髪型には、酷く見覚えがあった。
「ウサナか……?」
つい数刻前、自身の手で身柄を拘束したウサナ・スティミュレイト。
全く異なる外形ではあるが、どことなく面影があるのをディライトは感じていた。
もし当人であるのならば、一体何が起きたというのか。
だが、それ以上の思索は背後で生じた轟音に遮られた。
「見た目通りの膂力、といったところですかね」
支部長と相対する存在がいる方角。
避けたケインの代わりに、路端にあった木箱が粉砕されたようだ。
痩せ細った顔面とは裏腹に、二倍、三倍にも膨れ上がった肉の鎧から繰り出される一撃は、想像通りの破壊的な質量を伴っている。
飛び退いたケインへ、ディライトは声を投げ掛ける。
その声音には、心配という感情は微塵も籠もっていない。
「代わろうかー?」
「冗談。これでも昔は〈剛力〉と呼ばれていたのです。この程度、相手になりません」
ディライトの茶々を受け流し、今度はケインから怪物へと距離を縮める。
堂々と正面に立つ自身よりも、1回り2回りも小さな存在。
それでも――化物へと変異した男が、嘲りや憤りといった感情を発露することはない。
そういう風に成り果てている。
命令を全うするため、無感情に、容赦なく。ケイン目掛けて、巨腕が振るわれた。
『――!?』
感情はない。
だが、予想とは違う現実に、理解が及ばぬことはある。
砕けるはずの細身が無事で――ましてや、己の拳を片手1つで受け止められているのだから。
「新しいモノが優秀であるという、昨今の魔道具情勢は実に嘆かわしい」
右手で巨腕を止め、左手で眼鏡の接続部を調整しながら、生まれた空白にケインの独白が響く。
「新陳代謝を図ることが、必ず正しいとは限らない。古くから続くモノが良いことだってある――」
我を取り戻した異形の男が、再び巨腕を振り下ろそうとした、その瞬間。
先に、ケインの左腕が閃いた。
鈍い音を立てながら、巨躯へと拳がめり込む。
瞬間、くの字に折れ曲がった怪物が、壁際に放置されていた廃材へと吹き飛ばされた。
「――この【イカした皮手袋】のように。私も、そうありたいですね」
「役職者ってそういう思考なんだ」
「殴りますよ、ディライト君」
「怖」
【イカした皮手袋】と呼ばれる魔道具は、使い込めば使い込むほど、装着者の膂力を底上げするという効果を持つ。
年季の入ったこの革手袋とケインは歩み始めて、既に三十年以上が経過している。
魔道具を装着したその腕力は、小突き1つで建物を破壊できるほどに強大となっていた。
怪物が巨腕であるならば、ケインは剛腕。
繰り出される一撃は、全てを破壊する。
ゆえに、付いた2つ名が〈剛力〉――現役を退いた今でも、その異名は衰えていなかった。
事は終わったと、ケインが一息吐こうとした――その時。
廃材を吹き飛ばし、舞い上がる土煙の中に、怪物の影が浮かび上がった。
腹部に殴打痕は残っている。だが、その健在さに陰りは見えない。
「殴りがいがありますね。では、次は全力で――」
「ケインッ」
背後からの警鐘に、そして高速で迫る鋭い魔力の塊に、ケインは身を屈めざるをえなかった。
何かが頭上を通り過ぎた感覚――直後、ケインへ迫ろうとしていた怪物の上半身が、下半身からずれ落ちた。
刃で切断されたかのような鋭利な断面から、血飛沫が巻き上がる。
怪物は、それきり動かなくなった。
「風の斬撃ッ――魔法ですか!」
魔力という源を利用して作り出される現象――それが魔法だ。
今のは、刃物のごとき鋭さを風に持たせた魔法。
射出された方角へ、ケインは振り向いた。
身体から大小の刃を複数生やし、振りかぶった動作を取っている――もう一体の怪物。
十中八九、斬撃を放った存在であることに間違いはない。
膂力だけを得手とする存在であれば、ディライトの魔術の前では相手にすらならないだろう。だが、魔法という手段を有しているのであれば、話は変わってくる。
一抹の焦りを抱いたケインに対して、それでもディライトは余裕の姿勢を崩さなかった。
先ほどと違う点を1つ挙げるとすれば――魔法を使う相手への警戒心の差異ではない。
右手に、銃器を――闇を具現化したかのように、漆黒に輝く銃器を握っていることだ。
『……おゥ、朝かァ?』
突然、この場に似つかわしくない、野太い声が響いた。
「もう夕方だバカ野郎。さっさと起きろグレッグ」
まるで意思を持ったかのように、銃身から小さな黒い手を生やし、欠伸をする黒き銃砲。
声の発生源は、ディライトが握った銃器――【黒喰ノ銃】という銃器型の魔道具、通称“グレッグ”であった。
『バカ野郎はオメェだ、オレ様の起きた時間が朝なんだってんだよォ!』
「眠りこける魔道具とかありえないからバーカ!」
『バカって言うんじゃねェ! 魔道具にだって人権はあるってんだァ! 差別反対! 魔道具差別はんたーいッ!』
「うるっさいなぁ! さっさと――」
横槍が入ったおかげで、一人と一丁の言い合いがそれ以上加熱することはなかった。
先ほどと同じ動作を、怪物が取ったのだ。
振り抜かれた刃から、あらゆるモノを切り裂く斬撃が放たれる。
触れれば致死となる風の刃が迫る中――避ける素振りも見せずに、ディライトは銃器を構えて出迎えた。
「――今喋ってんでしょーが!」
怒号と共に、グレッグの引き金を引く。
刃を捉えた銃口から銃撃音が響くが、何も射出されない。
だが――歴然たる結果は残る。
ディライトが真っ2つになることはなく、最初から何事もなかったかのように、凶刃が掻き消えた。
予想とは反した事実に、怪物はもう一度、刃の生えた腕を振るう。
それでも結果は同じ。
銃撃音が響いた瞬間、風の魔法は目前から存在を消した。
『朝飯にしちゃ、ちと軽いなァ』
「今が朝なら、銃油は今日塗らなくていいよね」
『もう夕方かァ。っぱ、一日の締めは銃油を塗ってもらうに限るぜェ。おい、ディ! あとで頼むなァ』
魔法を消す異能など、ディライトは持ち合わせていない。
目の前で起きている現象は、グレッグを起因としたものだ。
特異な能力を持ち、ましてや意思が宿る魔道具であっても、持ち主には逆らえない。
金属の表面に皮膜を作り、防錆の役割を果たす銃油の塗布は、グレッグにとって何にも代えがたい癒しであった。
「現金なやつ」
『Garuuaaaッ!!』
魔法による攻撃が無駄とみたのか、刃の怪物はその異様な身体を跳躍させた。
獣のごとき俊敏さでディライトへと接近し、腕の刃を振るう。
「直は、ダメでしょ」
『――Garuッ!?』
今度こそ相手を切り裂くための一撃――だが。
距離を縮め、直接的に手を下せる状況を作ったにも関わらず、ディライトへ刃が届くことはない。
それどころか、斬撃を繰り出した側の身に、鋭い切創が刻まれていた。
跳ね返ったかのような、不可解な現象。
それを作り出したのが、ディライトの魔術であると理解できない怪物は、本能の警鐘に導かれるまま、ディライトから距離を取る。
「離れるのは、もっとダメ」
そして、それは怪物にとって致命的な隙となった。
ディライトから身を離すことに意識を割いた怪物が、銃口から迸った斬撃に気付いたときには、既に目前に迫っていた。
片方の足が宙を舞い、痛みに悶える咆哮が轟く。
無い足を地につけ、もがく怪物へと――ディライトは静かに歩み寄った。
「……ウサナ、だな。俺の経験上、お前みたいになったら、まず助からない。だから――」
殺意というより、諦念に近い。
幾多の冒険を潜り抜けてきた中で、ディライトは似た光景を何度も目にしている。
人間を媒体にして生まれた“何か”――その触媒となった者が、助かったためしはない。
原因は不明。だが、人ならざる肉体となった怪物――ウサナを救える道があるとすれば、ただ一つ。
この異形へと変じた存在から、解き放ってやることだけだ。
ディライトは静かに銃口を持ち上げ、その黒き先端をウサナへと定めた。
「ゆっくり休め」
哀れみと救済の意思を込めて――ディライトは、引き金を引いた。




