第271話 和宮降嫁(三)
【臨時暫定政権 閣僚名簿】
初代内閣総理大臣:一橋 慶喜(徳川幕府征夷大将軍)
陸軍卿 兼 労働卿:西郷 吉之助(薩摩藩)
科学技術庁長官:佐久間 象山
民政総督(内相):松平 春嶽(福井藩主)
宮内・法務総管:岩倉 具視(朝廷)
海軍卿:勝 安房守(幕臣)
外務卿(外務大臣):後藤 象二郎(土佐藩)
外務大輔(次官):伊藤 博文(長州藩)
国務大臣(参議):木戸 孝允(長州藩)
久しぶりに江戸へと戻ってきた坂本は、勝から見せられた大政奉還後の臨時政府閣僚名簿を、食い入るように見つめていた。
「勝先生、わしゃあ、このところ大概のことにゃ驚かんようになったが、これを上様が……」
「どうだい、驚いただろう。おいらなんざ、最初に見せられた時は腰を抜かしそうになったぜ」
坂本の驚きに満ちた反応を見て、勝は楽しそうに破顔した。
「まっこと、これが時代の流れちゅうもんかのお」
「全くだ。それでよう、これからがあんたの出番だぜ。おいらはこれから佐久間先生のところへ行ってくる。一橋卿の説得には岩倉卿と松平春嶽殿が引き受けてくれた。あんたは久坂と一緒に、長州、薩摩、それに土佐のほうをまとめてくれねえかい?」
「頼まれんでも、こりゃあわしの仕事ぜよ」
「だがよ、大きな商いを始めたって噂も聞いたぜ。そっちの方は良いのかい?」
「それが……」
途端に、坂本の顔がだらしのない笑みで崩れた。
「ええ女がおるがじゃ……」
「女? おめえ、何をにやついていやがるんだ」
勝は呆れたような視線を向けるが、坂本はどこ吹く風だ。
坂本はビルマ海戦で縦横無尽に駆使した十六隻の蒸気船を、そのまま自らの貿易会社の資産に組み込み、次なる商売の仕込みを始めていた。
そして、この強力な商船隊にいち早く目をつけたのが、大坂の豪商の娘、咲であった。
オリバーが京都から神戸へと逃亡する際、人斬り抜刀斎こと河上彦斎と共に助け舟を出してくれた、あの肝の据わった娘である。
その小股の切れ上がったいい女が、今では坂本と共に働くことになり、万事、商船隊の差配を仕切っているのだという。
坂本の持つ船団、大阪の豪商のもつ資金力、合わせればその力は3倍にも4倍にもなる。
「女に手を出すのは構わねえが、火傷するんじゃねえぜ」
「おう! わかっちょる」
「本当かねえ。ま、よろしく頼むぜ。それとよ……ビルマの件、ご苦労だったな。オリバーは元気だったかい?」
「ああ、元気じゃった。今はマンダレーに行ったと聞いちゅうが」
「それがよ、この間届いた手紙に面白いことが書いてあってな」
「オリバーからがか?」
「おう。イギリス王室のマリー王女殿下が、和宮様の御招待で日本にいらっしゃるらしいぜ。岩倉卿はその受け入れを任されて、今頃えらい目に遭ってることだろうよ」
「マリー王女殿下が、和宮様を……?」
坂本は不思議そうに首を捻った。それもそのはず、本来なら繋がりがあるはずのない二人だったからだ。
「どうやら、ただの遊びにくるわけじゃねえらしい。おいらのところにも、近々朝廷から呼び出しが来る算段になってるようだ」
「ビルマでの海戦でわしらが勝ったことと、何か関係があるんがか?」
「いい勘してるじゃねえか。どうやらオリバーの目論見通り、イギリスで政権交代が起こったらしい。植民地政策の大幅な見直しだ。マリー王女殿下は、ビルマと日本との通商条約の合意を取りに見えられる。そう考えて間違いねえ」
「ほんまかいの!」
「ああ。なぜなら、そのマリー王女殿下の補佐官として、オリバーが一緒にくっついてくるからな。どうだ、面白えだろ?」
勝と坂本。
幕末の二人の英雄は互いを見つめ合い、胸の奥から押し寄せる壮大な高揚感に、声を合わせて笑った。
黒船来航以来、長く続いていた混迷の時代の出口が、ようやく見えてきた瞬間であった。
その頃……江戸城の奥まった一室。
「小太郎よ……」
「はい……」
「言うてしもうたの」
「全くもって、大胆なことで……」
「すぐに皮肉を言うでない。お前の悪い癖じゃ」
家茂は苦笑混じりに、幼馴染でもある小姓頭を睨んだ。
「菊千代、お主、本気で自ら将軍職を降りるつもりか?」
「ああ、そのつもりじゃ」
「前代未聞の話ではないか」
「お前にはすまんことをしたの。小姓頭の職も、これでしまいじゃ」
「それは構わん。わしもこの仕事が長く続くとは思うておらなんだからな」
「なんだ、お前もか。やはり、徳川の世はもう長くないよな」
「全くだ。もはや、戯言では済まされん。お互い、次の身の振り方を考えねばな」
「そうだな……」
「……でお前、あの『春』という娘のところへ行くつもりなのか?」
「いや、それは……」
「だよな。和宮様をもらっておいて、それはないよな」
「そ、そうだな……」
和宮の降嫁がなければ、公武合体から大政奉還への流れは作れない。
慶喜に将軍位を押し付けて、自分だけ逃げ出すわけにはいかないのが現状であった。
「まあ、ゆっくりと考えるがよかろう。時間はまだある」
小太郎はそう慰めるように言ったが、和宮降嫁の日は目前に迫っていた。
なんとも気が滅入る話である。
大義のためとはいえ、別の女性を迎えようとしている一方で、他の娘に心を残している。
そんな風に考える自分は、どれほど不実な男なのだろう。
そう思うと、また一段と気が滅入った。
……と、頭では激しく自責しつつも。
(ああ、春に会いたい……)
彼の心は、どうしてもその一筋の願いへと引き戻されてしまうのだった。




