第214話 山崎の決戦
和宮の声も、表情の作り方も、春にそっくりであった。
もっとも、今は顔の半分が包帯で覆われており、その相貌をつぶさに窺い知ることはできない。
「オリバー先生……」
だが、その言葉から発せられる雰囲気は、春とは大きく異なっていた。
両者をよく知る者ならば、一言聞いただけでその違いを即座に悟るだろう。
春の身代わりという設定は、朝廷と幕府による「出来レース」なのかもしれない。
「はい、何でございましょう?」
「英国というところは、どないなところですか?」
「英国でございますか……?」
オリバーは一瞬、言葉に詰まった。
「そうです。英国は女王様の治める国やと聞いております」
「ヴィクトリア女王陛下のことでございますね。はい、よくご存じですね。ですが、英国の政治は些か複雑です。ご興味がおありですか?」
「はい、とても……」
「簡単に申し上げますと、英国は『立憲君主制』という政体をとっております。君主、すなわちヴィクトリア女王陛下は『君臨すれども統治せず』という立場なのです」
「では、イギリスにも幕府のような存在があるのでしょうか?」
「幕府とは少し異なりますね。行政は内閣が行い、政策の制定は貴族院・庶民院の二つの議会が担います」
「ローマ帝国のようなものなのでしょうか?」
「親王殿下、歴史にお詳しいのですね」
「はい、歴史は大好きです」
(おっ!)
オリバーは思わず声を出しそうになった。
前世での唯一の趣味であった歴史シミュレーションゲーム。
そのマニアと同じ「匂い」がする。
和宮と話していると、マリー王女のことが重なった。
好奇心旺盛な姫君……歴史上で語られている和宮とは異なる、彼女の真の性格が垣間見える。
急に親近感が湧き上がった。
時間があれば、じっくりと互いの趣味を披露し合いたい。
そんな「仲間意識」すら感じてしまった。
「姫様……」
側近の奥女中が、厳しい顔でオリバーを睨みつけた。
「これ以上は御身に障ります。お控えください」
「姫様。もし英国に興味がおありでしたら、マリー王女様にお手紙をお書きください。私の大切な友人です。きっと、力になってくださいますよ。」
現実になるとは思えぬ話であったが、真摯な表情の和宮につい口が滑った。
二人は年頃も近い。
もし出会うことがあれば、きっと良き友となるだろう。
そんな予感がした
「うれしい……」
「姫様、なりませぬ!」
奥女中が厳しく首を振る。
そしてオリバーには、早く出て行けと言わんばかりの視線を投げた。
貴重な時間を失ったとは思わなかった。
厳しい寒さのなか、小春日和のような温もりのひとときであった。
今後、彼女の運命が安穏であるはずはない。
だが彼女自身が切り開いていくのではないか......そんな予感があった。
(よし、走るか)
だが、現実は非情だ。
ぬるま湯に浸っている場合ではない。
【街道には『抜刀斎』が待ち受けています。迂回路を行けば回避可能ですが、刻限に間に合わない恐れがあります】
『天眼智』で河上彦斎の居場所を探る。
彼は既に山崎に達していた。
神戸に向かうなら必ず通過せねばならぬ地点だ。
天王山と淀川に挟まれた、逃げ場のない要衝。
しかし、待ち受けているのは彦斎だけではなかった。
長州の攘夷志士たちが合流している。
(あの藪医者、抜け目だけはないな……!)
和宮と面談していた僅かな時間に、「神戸へ向かう不遜な英国人がいる」という噂が京都中の志士に広まっていたのだ。
(回避できないのか?)
【淀川を下る船があれば可能です。しかし、現時刻での調達は不可能です】
オリバーは己が窮地に追い込まれたことを悟った。
何としても強行突破し、坂本たちと合流しなければならない。
オリバーの戦術は『天眼智』による情報なしには成立しないのだ。
坂本艦隊の蒸気船は、英国艦隊から見れば木っ端同然。
しかも相手は熟練の海軍兵士だ。
幸い、京の町は深い闇に沈んでいた。
京都を出るまでは『天眼智』で敵意を察知し、それを避けながらひたすら疾走した。
だが、闇の中から三人の志士が躍り出、行く手を阻む。
「そこな男、詮議がある。止ま……」
最後まで言わせなかった。
オリバーは無言のまま襲いかかり、数秒で三人を気絶させる。
そのうち一人の衣服を剥ぎ取って着替え、再び夜の街道へ駆け出した。
京の町を抜けると、志士の気配は一時途絶えた。
だが、問題は山崎だ。
既にそこには三十人を超す志士が集結しており、その中心に河上彦斎がいた。
彼らは関所を完全に占拠している。
(天王山を抜けるか?)
オリバーには高精度なGPSマップをリアルタイムで見るのと同等の能力がある。
暗黒の山中であっても迷うことはない。
【危険です。山中には予想外の障害物があり、通行困難な箇所が存在します】
安全を優先して時間を失えば、ミッションは失敗に終わる。
(強行突破は無理か……?)
【河上彦斎がいる限り、容易ではありません。周囲には三十人以上の敵がいます】
無策のまま、刻一刻と山崎の関所が近づく。
(どうなってるんだよ!)
内心で激しく呻いた。
志士の数は、既に五十人近くまで膨れ上がっている。
もはや、軍隊に単身で突撃するようなものだ。
たとえ彦斎がいなくとも、突破など絶望的であった。
【諦めましょう。山に入ってやり過ごすのが適切です。神戸で別の船を探すべきです】
(だが、それで船が見つかる保証はない……!)
横浜と違い、神戸にそれほど多くの外国商船がいるとは思えない。
(最善策を言ってくれ、何でもいい!)
【……真正面からスキル『威圧』をレベルMAXで発動。同時に、筋力を限界まで引き上げ、時速六十キロまで加速します。地面すれすれまで上体を伏せ、彦斎の足元を走り抜けてください。……筋肉への深刻なダメージを覚悟してください】
(成功率は?)
【十八%です】
(ちょっと待てよ、ビルマの運命がかかってるんだぞ!)
【それが現実です】
自分の身より、坂本たちの身が案じられた。
オリバーの到着を待っていてくれれば良いが、艦隊の中には久坂配下の血気盛んな長州藩士がいる。
もし無謀な突撃を敢行すれば、木っ端微塵にされるだろう。
油断だった。
走りながら思考に沈んだ一瞬、周囲への警戒が疎かになった。
街道脇に潜んでいた志士の一人が、疾走するオリバーを見咎めた。
「怪しい奴じゃ!」
叫び声と同時に、鋭い呼子笛の音が鳴り響く。
いつの間にか、周囲は敵の気配で満ちていた。
【成功率、十%に低下】
(クソっ……!)
ここに来て、敵の準備が整いすぎていることに気づいた。
あの御典医は、即興で襲撃を企てたわけではなかったのだ。
オリバーが招聘された時点で、既に網は張られていた。
だが、ここで弱気になるわけにはいかない。低確率の「ガチャ」に賭けるしかないのだ。
覚悟を決める。
正面に、ゆったりと構える彦斎の姿を捉えた。
『威圧』――最大レベル、発動!
同時に、オリバーは猛獣のごとき咆哮を上げた。
周囲に膨大な「気」の圧力が放射される。
烈風に晒されたように、志士たちの顔が恐怖に歪み硬直する。
だが、それは一瞬の空白に過ぎなかった。
敵の数が多すぎる。スキルの効果が分散し、決定打に欠けるのだ。
我に返った志士たちが、次々と白刃を抜き放つ。
【今です!】
ヨーダの声が響く。
オリバーは筋力を極限まで強化し、爆発的に加速した。
彦斎が、ゆったりとした抜刀の構えをとるのが見えた。
驚愕に固まる志士たちの間を、風となってすり抜ける。
上体を地上すれすれまで沈め、一気に彦斎の懐へ肉薄した。
牽制に拾った石を投げつける。
彦斎は構えを崩さぬまま、僅かな身のこなしでそれをかわした。
刹那――。
白刃が煌めいた。
「うおぉぉぉぉぉ!」
全身の気を高め、力任せに横をすり抜けようとする。
鋭い剣閃がオリバーの髪を切り裂き、頭上を通り過ぎた。
(抜けた……!)
賭けに勝ったと確信した、その瞬間。
オリバーの腹部に、重い衝撃が走った。
彦斎の蹴りだった。
抜刀は陽動……真の狙いはこの一撃か!
崩れ落ちそうになるオリバーの襟元を、彦斎が掴む。
オリバーもまた、無意識に彦斎の袖口を掴み返していた。
二人はもつれ合うように街道脇の斜面を転げ落ちる。
――ドォォン!
激しい水しぶきを上げ、二人の身体は淀川の深い濁流の中へと沈んでいった。




