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第184話 密林

ラングーン(現在のヤンゴン)の港に到着したフェイギンは、レイヴス提督への謁見を許された。

謁見と言うのは語弊があるかもしれない。

だが、既に海軍基地は、接収されたコンバウン朝ミンドン王の居城がそのまま使われていた。

「第13遊撃隊長フェイギン、提督が面会を許された。通れ!」

オリバーはこの様子を幽体となって窺っていたが、『王が謁見を許された』の間違いではないのか、と思ったほどの仰々しさに呆れていた。

提督はもはや、王にでもなったつもりなのだろうか。 

遊撃隊とは、レイヴスがビルマ攻略のために新設した陸戦部隊であった。

一部隊100名、登録されている部隊数は12部隊。

第13遊撃隊の20名は、記録上存在しない「使い捨て」の部隊なのだ。

13などというナンバリングをされていること自体が、既に死兵扱いであることをオリバーはフェイギンに力説したが、説得は難航した。 

サイラスを始め、フェイギンの部隊員は暗殺者としてほぼ全員が一流の技能を持っている。

全力で奇襲をかければ王の斬首は難しくない……彼らはそう信じているに違いない。


だが、まず、奇襲など全く不可能なのだ。

既にフェイギンの部隊の目的も動きも、敵の諜報要員に見張られている。

そして、正面からの戦闘であればフェイギンの部隊は最強であろう。

だが、戦い方とは正面衝突であるとは限らない。 

獣を狩るように、罠をかけ、仕掛け、逃げ、眠らせず、消耗させ……最後にとどめを刺す。 

敵はその戦法で、無傷のままフェイギンの部隊を葬り去ることは間違いなかった。


側近らしい士官が目配せすると、フェイギンは着任の報告をした。 

「本日着任しました。フェイギン以下20名でございます」 

「よい! 久しぶりだなフェイギン。レディの館以外で会うのは初めてか?」 

「さようでございます」 

「よかろう! 早速、任務を遂行せよ。今日は休んでいいぞ。だが、明日にでもマンダレーに向かってもらう。良いな」


その後、フェイギンは物資の支給を受けるために戻ってきた。

与えられた宿舎は簡素なものであったが、清潔に整えられていた。

ビルマ人の娘が部屋の掃除をしていたが、フェイギンたちを見ると怯えたように出て行った。


エドワードたち外交代表団は、ラングーンから北へ500km離れたマンダレーの都に駐在している。そこにミンドン王の居城もあるのだ。 


オリバーは既にへとへとになっていた。

まず、出発前に森に入り、防虫用の樹液を20人分調達ようとした。

ビルマの言葉で掃除の少女に聞き、幾ばくかの金を渡すと、地元の市場でそれが調達できることが分かったのだ。


港に近い市場は、活気に満ちていた。

天幕の下に並ぶ香辛料と乾物は、湿気を帯びた空気の中でその匂い鼻をくすぐった。。

籠の中では赤黒い樹皮、潰した葉、樹脂の塊が無造作に積まれ、売り子たちは低い声で値を呼んでいた。


最初、恐れから顔を伏せたまま逃げるように立ち去ろうとしていた少女は、ビルマ語を自在に話すオリバーに好奇の目を向けた。

「あんた、イギリスの代官様の仲間?」 

「代官?」 

ビルマ語で確かにそんな意味の言葉、要はイギリス王の代理人のような人物を示すようであった。 

「ええ、マンダレーにはビルマの言葉を話すイギリス人が何人かいるのよ」 

(エドワードさんのことか……) 

彼は赴任して既に5年にもなる。

なぜ、それほどまでの長期間になったのかは不明であったが、イギリス大使としてマンダレーの外交代表事務所にいることは確かであった。

薬液の生成には彼女とその仲間が報酬と引き換えに手伝ってくれたが、明け方までかかってしまった。


翌日、オリバーたちは再び海軍の船に乗り、エーヤワディー川を下り、洋上を西へ……そこから再びパテイン川を遡り、パテイン港で下船した。

ビルマ第二のこの港で、マンダレーまでの定期船を待つこと二日間。

そこから蒸気船で約一週間の船旅となる。

定期船はマンダレーまで入港するが、船着き場ではビルマの官吏がイギリス人の上陸を厳しく確認し、許可する。

オリバーたち暗殺部隊——遊撃隊第13部隊は名ばかりで、実態はイギリスとは無関係な個人的雇用の存在だ。

正規ルートではマンダレーへ入ることは不可能だった。

マンダレーから約20マイルの地点で小舟に乗り換え、そこから上陸する。

そこからは陸路で数日間、密林を突破する必要があった。


ルナは一人船内に残り、そこからマンダレーに向かう。

不安そうな目の色を思い出すとオリバーは切なくなる。

イギリスの駐在員の家族に偽装を工作していた。

ビルマ側の下船管理は女性には極めて緩い。

イギリス人女性であれば、荷物の検査で武器や阿片等がなければほぼフリーパスとなる情報だった。


そして、苛烈な敵の攻撃は上陸直後、その夜から始まった。


湧水を煮沸するためのコッヘルと、それを沸かすための灯油はオリバーが担いだ。

夜間の薪は敵の襲撃目標となるからだ。

だが、細心の注意を払ったにもかかわらず、彼らは迷うことなく接近してきた。

敵は夜目が利くのだろうか。


「いいですか? 俺が走った方向に必ず走ってください」 

全員に念を押したが、初日、彼らはあくびをしながらそれを聞いていた。

そして、苛烈な攻撃が始まる。 

敵が接近する前に移動を促したが、部隊の動きは鈍かった。

彼らは『天眼智』などという技能を知らないからだ。 

だが、ヘンリーという仲間の一人が逃げ遅れて矢を肩に受けた。

軽傷であったが、すぐに異変が起こる。

顔が紫色に変わり、血を吐いて倒れたのだ。

オリバーが駆けつけた時には、既に息を引き取っていた。 

「ヘンリーは?」 

駆け寄ってきたサイラスに、オリバーは力なく首を振った。

幸い、その日の襲撃はそれで止んだ。


「フェイギン! 約束したはずだ!俺の進言を遵守すると」 

オリバーは目を血走らせてフェイギンを怒鳴りつけた。 

「一体、どういうことだ。なぜ奴らは……」 

「ここはイギリスじゃない。周囲のすべてがスパイだってことが、なぜわからないんだ!」 

フェイギンは力なく首を振った。

だが、ヘンリーの犠牲は無駄ではなかった。

全員の顔は恐怖と緊張に歪んでいたが、頼れるのはオリバーだけだという認識が共有された。


だが、地獄はまだ、始まったばかりだ。

密林、湿地、照り返す赤土の道が続いた。

昼は灼熱、夜は冷たい湿気。

靴の中で足は爛れ、血を吸った蛭が脛に張り付く。

川を渡れば必ず見張られ、

村に近づけば、誰かの視線が背中に刺さる。


ルナの動向を『天眼智』で確認すると無事にエドワードに保護されたことが分かる。

まずは、一安心だ。


それは過酷な作業であった。 

敵は夜に現れる。

その瞬間に矢の射程範囲に入る前に仲間を叩き起こして、敵のいない方向に音もなく走る。

だが、夜の森を走るのは別の危険を伴う。

時折、仲間が障害物に転び、突然、夜行性の野獣が襲ってくる。

先頭を走るオリバーとサイラスが山刀でそれを叩き伏せる。

眠れない夜が続いた。

もう、3日もわずかしか眠っていない。 

(このままではやられる) 

「オリバー、もう全員限界だ」 

既に3人が激しい下痢の症状を起こしていて消耗が激しい。

持ってきた食料や装備は奪い取られ、森の果実を採取しながらの行軍となっていた。

フェイギンとサイラスの顔にも疲労の色が濃い。


「大丈夫です。俺に考えがあります」 

半分はハッタリであったが、勝算もあった。

『天眼智』でエドワード周辺を探っていたのだ。

何人ものビルマ人が出入りしていることがわかる。その中の一人に、ミンドン王の重臣もいた。

「考えってなんだ!」 

フェイギンが生気を失った目でオリバーを見る。 

「その前に約束してください。エドワードさんの陣営に加わることを」

「ちぇっ!まだそんなこと言ってやがんのかい。……良いぜ。ここで死んだんじゃ元も子もねえからな」 

予測通りの答えであった。

フェイギンを支配しているレディの力は恐怖によるものだ。

その恐怖がより身近な死によって上書きされれば、考えは変わるはずだと……。


「いいですか、今度敵が襲ってきたら、俺は逃げずに前に出ます。皆は隠れていてください」 

「一人で行くつもりか?」 

「一人のほうが都合がいいからです。俺はビルマ語ができます。そして、エドワード大使と懇意にしているミンドン王の側近を知っているのです」 

「おめえ、最初からそのつもりだったのかよ。だいたいよ、おめえは何もんなんだ?」 

「最初からエドワードさんにつかないと死にますって言ったじゃないですか!」 

「親方、ここで争っても仕方がない。俺はオリバーに賭けてみたい」

『生存限界』のようなスキルのない、サイラスは心身ともに疲労の限界に達しているはずだ。

改めて、この男の精神力に感嘆する。

「わかった。オリバー、お前に任せる」

フェイギンのその言葉にオリバーは破顔する。

「大丈夫ですよ。俺の言う通りにすれば、必ず生きてマンダレーに着くことができますよ。マンダレーでうまい酒でも飲みましょう」 

そう言って、オリバーは自信満々の笑顔を作って見せた。


だが、成功率は半々であった。


敵の部隊が接近してきた。

今度は今までにない大部隊だ。

100人近くいた。

敵も焦っているのであろう。

今回でケリをつける気で来たに違いない。 

オリバーはゆっくりと、敵の前に身体を晒す。 

数十本の矢が一斉に飛んできたのを、軽やかな動作で躱して見せる。

『天眼智』で見る敵の顔は驚愕に歪んでいた。


「聞け! 俺たちは敵じゃない!イギリスの代官に会うために来た。ミンドン王の側近ウ・カウン様に、エドワード代官が俺を知っているか聞いてもらってくれ!」 

王の重臣の名前が出たことに、更なる驚きが広がり、やがてそれは動揺と迷いに変わっていった。 

「武器は持ってない。戦うつもりはないんだ!」 

そう言って両手を上げて見せる。しばらく沈黙が続いた。


やがて森の茂みから、三人の戦士が出てきた。 

「お前は誰だ? なぜウ・カウン様の名前を知っている」 

「俺はイギリス代官の配下になるためにここに派遣されていた。頼む、代官の元へ行かせてくれ」 

「他の者たちは?」 

「森の中にいる」 

「出て来させろ」 

「ダメだ!俺たちを代官の元まで行かせろ。話はそれからだ」


【気をつけてください】 

ヨーダが警告する。 

表情筋を読むまでもなく、敵の筋肉が緊張で盛り上がるのがわかった。

次の瞬間、目にも留まらぬ速さで山刀がオリバーに振り下ろされた。 

オリバーはそれを真剣白刃取りで受け止めていた。 

「お、お前……」 

強力な筋力強化で相手を剣ごとねじ伏せる。


真剣白刃取り....

これによってねじ伏せられた相手は圧倒的な実力差を強制的に自覚させられる。

敵が実力のある戦士であれば、それに比例して戦闘意欲をそぐ効果がある。

圧倒的に不利な立場で、敢えてこの技能を使う効果はそこにある。

 

だが、敵の戦意は衰えた様子はなかった。

(万事休すか……) 

そう思って戦闘態勢を取ろうとする。



その時…… 

「もう良い。皆、武器を収めろ」 

よく訓練された集団であった。

全員の緊張が解け、戦闘態勢が解けるのがわかった。 

「どうやら害意はないようだな。お前は誰だ。なんでビルマの言葉を喋るんだ?」 

「俺たちはエドワード代官に会いに来ただけです。代官に聞いてもらえばわかります」 

「良いだろう!行かせてやる。他の奴らはな。だが、お前は別だ。捕虜になってもらうぜ。まだ聞きたいことがある。どうする?」


【完全に戦意は消えてますね】 

(そのようだな) 

「わかった。条件を飲もう」 

「良い度胸だ!」 

男は不敵に笑った。 

「おい! お前……」 

そう言うと、一人の若い男が前に出た。まだ少年と言っていい年頃であった。


『イギリスの皆さん、武器を置いて出てきてください。私がエドワード大使の元までご案内します』 

流暢な英語であった。 

「なにを驚いている。お前らイギリス人が来てから長い時が経った。そういうことだよ」 

にやりと野性的な笑みを浮かべ、男は笑った。


捕虜になればミンドン王と話ができるのであろうか。 

とりあえず一つのミッションを辛くも突破したことに、オリバーは胸をなでおろした。 

彼らは象の上に載せられ、マンダレーへと連行されていった。

象の上から眺める密林の風景からは既に先ほどまでの冷酷な表情は消えていた。

奇妙なことだと思ったが、密林の風はやさしくオリバーを癒してくれた。

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