第171話 判決保留
オリバーは凍りついたように身動き一つせず、牢獄のベッドに腰掛けていた。
フェイギンの元を態度を保留したまま、戻ってきてしまったのだ。
だが、一つだけ確かなことがある。
このままではルナはビルマへ連れていかれる。
そして、また……あの『太母』が現れる。
大量殺人を犯した段階で、今度は彼女自身が悪霊の類として狩られることになる。そのことは想像に難くない。
数日間、飲まず食わずで戦い続ければ、『太母』の戦闘力がいくら高くても、ルナの身体はボロボロになり、やがて生命は限界を迎えるだろう。
必死に打開策を探す。
だが、良い考えが浮かばない。
【あの……】
ヨーダの声が、脳内に響く。
(なんだよ!ルナを取り戻すいい方法を思いついたのかよ?)
【いえ。それは不可能である、という結論が出ています。】
(なら、なんだよ)
【一つ、提案がありますが……】
(なんか思いついた?は、早く教えてくれよ)
【あなたもビルマへ行く、というのはどうでしょうか?】
(はっ?俺が……?)
オリバーは、その言葉を慎重に噛み砕く。
【理由を説明します。あなたがフェイギンの部隊に参加した時点で、彼らは全滅を回避できます。様々なシミュレーションの結果、条件付きで可能です。】
(条件って?)
【部隊の指揮権をフェイギンから奪うことが最も有効です。あるいは、参謀として戦術を提案できる立場になることでも、同様の効果があります】
つまり『天眼智』は、情報戦では最強のスキルになる。
確かに、その通りだった。
【次に、ミンドン王と密約を結びます。】
(なんだと!つまり裏切れってことか?)
【必ずしもそうではありません。大英帝国の中には現在、海軍中心の覇権主義を主張する一派と、その逆に内政重視を主張する流れがあります。内政側はビルマの統治を望んでいません。彼らの考えは、南部に一箇所、貿易拠点を確保する。それが最もコスパの高い外交政策である、というものです】
(だけどよ。内政派って言ったって、具体的にそんな派閥があるのかよ?)
【現状では明確な派閥としては存在していません。ですが、このところ動きが活発化しています。あなたもよくご存じの人物を中心に】
(エドウィンさんか……?)
【その通りです。】
(だけど、ビルマだぞ。エドウィンさんが国内で派閥工作をしたからって、ビルマに何の影響もないだろ?それに、あのレイヴス提督が大艦隊を率いて向かったんだぞ)
レイヴス提督の艦隊は、鉄鋼船六隻を中核に構成される大艦隊だった。
実質、この時代の無敵艦隊と言って差し支えはない。
【エドウィン氏との連携も必要ですが、この場合、内政側の主役になる可能性がある人物がいます。】
(だれだ……?……えっ、まさか)
【その通りです。アシュベルン伯爵エドワード氏です】
エドワードがビルマに赴任してから、早三年が経つ。
ナンシーの死を知れば、どれほど悲しむだろう。胸が痛んだ。
オリバーは『天眼智』で彼の状況を探る。
エドワードは外交官のトップ、大使として赴任をしていた。
様々なパイプを構築し、ミンドン王との交渉を試みていることが分かってきた。
武力による侵攻を快く思っていない。
経済合理性に合わない植民地支配にも、反対の立場を取っている。
だが、彼の外交政策は現状では成功した案件はなかった。
実権を海軍に握られた状態でその権限は大きく制限されていたからだ。
そして、本国との連絡も海軍に依存した状態であれば、その意向にそわない政策は全て握りつぶされる。
だが……どうやって絞首刑を、ビルマ流刑へ変更させる?
【それは二つのラインから働きかけます。一つはフェイギン経由でレディ・モントローズ。もう一つはトーマス氏経由でビクトリア女王です】
(トーマスさんは分かるんだけど……フェイギンが俺に協力するか?)
【必ず協力します。フェイギンは今、どうすれば生き残れるか必死に考えているはずです。自分一人の問題ではありません。あなたのチームへの参加は、強力な戦力増になります。それに……】
(それに、なんだよ?)
【フェイギンはあなたを恐れていますが、気に入ってもいるようです。表情筋の反応から、シンパシー要素が多く見られました】
(マジかよ!おっさんに好かれても嬉しかねぇよ……で、女王は?)
【マリー王女を救ったことを思い出してください。女王は公人としては冷徹な判断を下しますが、私人としては、娘を救ってくれたあなたの絞首刑を望んでいません。現在、あなたの再審を求める世論は確実に高まりつつあります。しかも、実質的には状況証拠のみでの判決であり、あなた自身の自白も取れていません。その点は、後日、世論の動き次第で大きな問題として浮上する可能性を含んでいます】
(本当に……うまくいくのか?)
【必ず、内務省はあなたの提案を受け入れます】
オリバーの刑の執行が保留されているのは、王室の面子と法の厳正な執行、その狭間での議論が、いまだ決着を見ていないからだった。
(確かに……内務省にしてみれば、渡りに船ってことか?)
【その通りです。刑の執行そのものは必須でしょう。しかし同時に、王室の面子を傷つけないことも不可欠です。ビルマへの流刑は、事実上、死刑の執行に匹敵します。そして判決は内務省の預かりとなり、政治的配慮を理由として、刑は執行したが詳細の発表は控える……そうすることで、慈悲と法の正義の両立を図ろうとするでしょう。世論は、それを評価します】
果たして、ヨーダのこの予測は本当に当たるのか……。
…….下手な考え休むに似たり。
そんなことわざもある。
ここは、行動あるのみだ。
オリバーは、唯一面会が許されている人物……トーマスを、看守に頼んで呼んでもらった。
冷たい石壁の向こうで、時間が確実に削れていく気配がした。
兎にも角にも、願えば叶う。
今は、それを信じるだけであった。




