1-1 妖精の世界
オーロラを抱く星空、純銀の凍土。まるで「雪の女王」の世界のような、空想で彩られた星の中。
「……ひひひっ、まだ残ってる子がいるんだろう……?」
凶事を告げるカラスのように、黒衣の魔女が空を駆ける。
それはさながら、ブラックサンタの言い伝えそのもののような――悪魔じみた風貌をしていた。
「ちゃぁんと良い子にしてないと、『流星の魔女』が攫いにくるよぉ……?」
☆
――暗闇の中から、意識が覚醒する。
「ううっ……ぅあ、あ、れ……?」
何か……とても、怖い夢を見ていた気がする。
魔女の罠に掛かって、どす黒い何かに追われるような、そんな――
(……ああ、また悪夢を見たんだ)
安堵の感情に伴って、か細い吐息がこぼれる。
身体の感覚が取り戻されていくと共に、両手に感じる人肌の熱。
――誰かが、ぎゅっと手を握ってくれている。
「……起きたかな?」
声のする方を向いて、ゆっくりと目を開くと、その誰かと目が合った。
クラシカルなメイド服を着た少女が、優しいような、心配そうな顔でわたしを見つめている。
「大丈夫?すっごくうなされてたけど……怖くなかった?」
「……うん、大丈夫。おはよう、ミモザ」
彼女の名前はミモザ。わたしがこの凍土を訪れて、初めてできた友人……ううん、ともだち。
「しゃーろろ?」
頭の上から聞こえる鳴き声。
間違いなく、この頭上のふわふわの毛玉が鳴いていた。
「あ、パサちゃん……ごめんね、わたしは大丈夫だよ」
「ろろ~……」
彼の名前はケセランパサラン。そういう妖精である。
そして、そのようにしか説明できない。何せ、どうしてここに棲み付いているのかも分からないのだから。
わたしは彼のくるんとした毛並みを一撫ですると、勢いよくすくっ、と起き上がった。
「おはよう、レイちゃん」
部屋に満ちる温かい光で、少しずつ視界が明瞭になる。
クッキーで出来た壁に、飴細工の窓。パン生地のソファにチョコの隔壁。暖炉がオーブンみたいに家じゅうを焼いていて、どこからともなく甘い香りが漂ってくる。
――そう。ここは、お菓子の家。
「ミモちゃん、今日もすっごくかわいいね」
そして彼女もまた、この非現実的な空間に自然と溶け込んでしまうような、可愛らしい容姿の少女だ。
実はアイドルなんだ、と言われても違和感がないかもしれない。いたずらっぽい猫目がアクセントになって、ぎゅっと視線を惹きつけられる。
それでいて中性的な、少年らしさと少女らしさが入り混じった幼くも溌剌とした印象が、親しみやすい雰囲気を醸し出している。
「ふふん、そうでしょそうでしょ?」
彼女は得意気にそう言って、指をほっぺたに当てる「かわいいポーズ」をしながらウィンクした。
薄紫のピッグテールが跳ねるように揺れる。
「わあ~っ!」
ミモザのアイドルのような振る舞いに、レイは無邪気に喜ぶ。
しばらくその様子を楽しんでいたレイチェルだったが、ふと気がつくと、向こう側の部屋からバチッ、プツッ、という異音が聞こえてくる。
「ねえミモザ、これって何の音?」
「えっ、あ――あああ!!!ヤバっ!飴が焦げちゃう!」
「ごめんレイちゃん、ボク、キッチンの面倒見てくるね!」
一瞬で顔が真っ青に染まったミモザは、ぴゅうと風のようにキッチンへ帰っていった。
「行っちゃった……」
「きゅい~……」
お菓子の家に静寂が戻る。今、この家にはわたしたちとケセランしか居ないようだ。
(……わたし、まだ夢の中にいるのかな)
家の中を見回しながら、壁や窓のお菓子が焼けていく音に心を浸していく。
床も、仕切りも、ぜんぶがお菓子。体験型のアトラクションでも、こんなにリアルな事ってない。
(もしかして、本当に食べれちゃう……?)
おそるおそる、壁についていたクリームに手を伸ばしてみる。
はむ、と口にしてみると、口の中に甘い香りが広がった。
(わ、ほんとにクリームだ……)
もう一か月くらいここで暮らしているはずなのに、未だに慣れない。
自分たちが住む建物なのに、これを食べていいって事にも。
――窓の外には、しんしんと雪が降っている。
綿のように柔らかい雪が地面を覆う、針葉樹の森の雪景色。
草木が蛍のように淡い光を放ち、薄いオーロラがヴェールのように木々に被さる。
そんな自然現象が生み出すイルミネーションが、優しくも鮮やかに、森に棲む生き物たちを照らし出す。
「きれい……」
ふと、そんなことを呟いてしまうほどに、幻想的な光景だった。
きっとこれこそが、この森に生きるものたちの「きらめき」だと、そう思った。
「きゅい~、きゅ?」
ケセランの鳴き声が気になって振り返ると、そこにはやたらと華美な装飾の宝箱がある。
華美、っていうか……ゆめかわカラー、みたいな……?
「しゃーろろろ!」
「開けてほしいの?」
「ろろ、ろ!」
ケセランが頷くような動作をとる。
「開けていいのかな……まあいっか!」
そうして、何気なく持ち手を取ろうとした、その瞬間。
(ごとっ、ごとごと……)
箱が震えている。
(何かいる……!)
ただ事ではない。おそらく非常に強大な力を持つ妖精――あるいは恐るべき厄災の魔女が、この宝箱に封印されている。
ゆめかわな外装に似つかわしくない強烈なオーラに身を震えながらも、おそるおそる、箱を開く。
すると――
「んむむ……うー、あ!」
妖精みたいに可愛い赤ちゃんが、レイテンシータクトの羽先を頬張っていた。
「……え」
なんで?
色んな意味で想像を絶するその光景を前に、レイチェルの思考が強制停止する。
「うあ?」
あ、こっち見た。
「うー、あうっ!」
ばたんっ!
彼女が呆気に取られているうちに、中にいる赤ちゃんの手によって内側から閉じられてしまった。
「ま、待って、開けてよ!」
もう一度力を込めて蓋を開けようとしても、箱はびくとも動かない。
「返して!わたしのタクト、かえしてー!」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
(わたしの力って、もしかして赤子以下――?)
滝のように涙が零れそうな悲しみを、ぐっとこらえる。
「ろろろ!ろろろ!」
「いいから取り戻せってこと?うーん、でも……いきなり取り上げちゃうのもなあ……」
「ろーろろ!しゃろろ!」
(なんでだろ、いくじなしって言われてる気がする……!)
心なしかケセランが怒っているような気がする。滝のように涙が零れた。
……そんな事をしていると、遠くから玄関が開く音がした。
間違いない。この家の主、ヘンゼルとグレーテルが帰ってきたのだ。
「ぷいっ、ぷぷぷ」
「ぷーいっ、ぷいっ~」
彼らは獣人の妖精で、ウサギみたいな耳が生えていて、もふもふしている。
でも、あれ……ふたりとも、わたしたちみたいにちゃんと喋れた気がするんだけど……?
「あ、ふたりとも!おかえり~!ボク、補修用の飴を作っておいたよ!」
「ぷいぷぷ」
「ぷ~ぷいぷ~!」
ミモザが勢いよく階段を駆け下りて、彼らを出迎える。
レイチェルもその音を聞いて、「わたしも行かなきゃ!」と逸るように彼らのもとへ急いだ。
「おかえりっ、ふたりとも!」
「ぷぷいぷ!」
「ぷぷ……いぷぷぷ」
厚手のジャンパーに身を包んだロップイヤーの男の子がヘンゼルで、北欧の民族衣装のような温かそうな恰好をした三つ編みの女の子がグレーテル。
小学生くらいの子供みたいに小さいけど、これでもわたしたちよりずっと大人らしい。
「ねえミモちゃん、ふたりともなんて言ってるの?」
レイチェルは何気なく、当然の疑問としてミモザにそう言った。
しかし彼女の反応は、思いもよらぬモノだった。
「え――レイちゃん?」
「?」
ミモザの訝しむような表情に、レイチェルはきょとん、とした顔をする。
「冗談……じゃ、ないよね。レイちゃんだもん」
「……念のために聞くね。コレ、付け忘れてない?」
彼女はそう言って、耳元から伸びているインカムをつんつん、と指差す。
……暫しの沈黙。途端に、重苦しい空気が場を満たす。
わかってる。これは、わたしがいけないんだ。わたしが……何か、大切なことを忘れてる。
「……ねえ、ミモちゃん。たぶん、わたし――」
「――記憶喪失になっちゃったんだと思う」
(次回からここに作中に出てきた魔物やアイテムの図鑑をつけるよ)




