1-6 白黒曖昧な胸騒ぎ
「――ふんふふん、ふん、ふーん……☆」
濡れた髪と、湿ったタオル。
浴室でリフレッシュしたレイチェルは、機嫌よくハミングしながらミモザの待つリビングへ向かう。
「ふんふふーん……ん、ふーん?」
ポップなハミングの音色に混じって、きゃいきゃいと鳴く赤子の声。
何の変哲もない何時ものこと。中々寝付いてくれないパンドラちゃんの声だ。
「ミモちゃん、出たよ~」
「あ、もう出てきたの!?ごめんね、ララちゃんがまだ落ち着かなくて……」
ミモちゃんがパンドラちゃんを抱っこして、あやすように優しく揺らしている。
「あーぅ……きゃっきゃっ!」
「ふふっ、パンドラちゃん優先でいいんだよ~?」
ララちゃん、というのはミモちゃんがつけたパンドラのあだ名だ。
なんともプリティーな呼び方で、わたしもいいと思う。
「も~、らぁ~~~らちゃ~~~~ん?レイちゃんが~、困ってるよ~?」
「困ってないよ~」
「ぅ~あ?う、あう~……」
ミモちゃんがやたらとわたしを気にしているのは、お風呂の後はふたりで髪を乾かすと決めているから。
要するに、とくに急ぐことではないのである。まあ、でも……
「一応、ひとりでできるんだけどね……【♢そよ風よ、優しく髪を乾かして♢】」
ソファに座って、片手で髪を掬い上げて、もう片方の手の平をドライヤーに見立てて魔術を使う。
この部屋は暖かいから、これだけでも結構効果があるんです。
(でも、ミモちゃんがいつも不満がるんだよねぇ……)
まあ、こういう日ならさすがのミモちゃんも許すでしょう。
心地よい風が髪を揺らして、少しだけ、心の底から安心感が沸き上がる。
(……「風邪」?「ユニコーンの角」?)
風の音でうまく聞こえないけど、ソファの端でヘンゼルとグレーテルが何かを話している。
……彼女たちの表情を見るに、あまり良い調子のようには見えない。
(大丈夫かな……)
ミモザが言うに、グレーテルが体調を崩しているところは一度しか見たことがないという。
それだけ普段元気な人なら、なおさら心配になるだろう。
しばらくすると、ヘンゼルが戸棚から薬を彼女の下へ持ってきた。ユニコーンの角で作られた粉末剤だ。
「効果があるかは分からないが……飲んでくれ、グレーテル」
彼に差し出された薬とお水を、グレーテルは苦笑いでやんわりと拒否する。
「ぷいっ、私は大丈夫だよ?心配しなくても、すぐによくなるよ」
「確かに、他にこれといった不調は出てないが……魔力炎かもしれないんだ。できるだけ、安静にしてくれ」
「……お願いだ」
そう言う彼の表情は、あの不愛想なヘンゼルとは思えない哀しみを湛えている。
(……ヘンゼル)
いてもたっても居られなくなったレイチェルは、ふたりに詳しい事情を尋ねた。
「ねえヘンゼル、グレーテル、どうしたの?」
「……ああ、レイチェルか。そう言えば、詳しいことは伝えてなかったな」
ヘンゼルは平時を装うように、普段と変わらない表情でレイチェルに答える。
「簡単に言うと、グレーテルは病気のせいで魔術が使えなくなったんだ」
「病気?!」
「いぷぷっ、病気って決まったわけじゃないよ!ちょっとした不調なんだから」
焦るようにそう言うグレーテルに、ヘンゼルは憐れむような横目を配る。
「……魔力炎、という病気がある。体内の魔力経路が炎症を起こす病気だ」
「グレーテルは昨日から、水の魔術が使えなくなった。魔法や魔術が使えなくなるのは、魔力炎の最も特徴的な症状だ」
「不思議なことに、発熱や痛みといった他の一般的な症状こそ出ていないが……楽観視はできない」
わたしはヘンゼルのその言葉を聞いて、彼が傷を放置している事にも納得がいった。
水の魔術は傷を治すことができる魔術。コルカランドの城門が封鎖されている今、彼の身体の傷は自然治療に任せるしかない。
「しゃーろろろ……」
ケセランパサランも心配そうにグレーテルを見つめている。
彼女の病状以上に、何より、空気が重い。
「私としては、レイちゃんたちこそ心配だよ。このまま事態が解決してくれるならいいけど……」
「え、わたし!?」
「そうだよ。【流星の魔女】が狙ってるのは、どう考えてもあなたたち。」
「城下町の外の、人間にしか大きな被害がない事件に対して、きっと王国はすぐには動かない……」
「城門が解放されるにしても、何日、何週間……どれくらいかかるのかな……」
曇っていくグレーテルの表情を見かねて、ヘンゼルが口を挟む。
「……希望的な観測としては、ふたりの為の食料の備蓄はまだ大丈夫だ。」
「献立の質こそ多少我慢してもらう事になるが、全員、無事に生き延びられる保障はある」
「ぷい、そうだよね……。きっと、どうにかなるよね」
流星の魔女が直接的な被害を与えるのは、人間だけ。
それこそが、彼女たちにとって最も頭を悩ませるところだった。
この妖精の世界では、普通、妖精が少女たちの行く末に心を痛めることはない。
彼らにとって少女たちとはあくまで異邦人であり、異種族だ。
少女の数がひとつやふたつ減ろうと、彼らにとってはただの数値の変化でしかない。
(確かに怖いけど……流星の魔女って、そんなに心配するようなことなのかな……?)
レイチェルが思っている以上に、人間と妖精の間にある断絶は根深い。たとえ、その姿形が似通っていたとしても。
そして、彼女の心にじんわりと滲むような不安の影が差したその瞬間、レイチェルの腕を誰かがぎゅっ、と掴む。
「レイちゃんレイちゃん!もうすぐADAMAS Channelが始まるよ!」
不安や悩みなど何一つ抱いていないような、溌剌としたくりっとした目の少女。ミモザだ。
彼女の両手にパンドラの姿はない。どうやらララちゃんは無事、箱の中でぐっすりと眠ったようだ。
「あだますチャンネル……?あだますって何?」
「ダイヤモンドの語源らしいよ!よく知らないけど。てか、それも忘れてたんだ?」
まるで当然の義務だと言わんばかりに、ミモザはレイチェルの腕をぐい、と引っ張る。
あだますって挨拶みたいな言葉だと思ったけど、違うみたい。
「わっ!?えっと、ADAMAS Channelってなに?どこに連れてかれるの?」
「ふふぅん、聞きたい?」
ミモザがこれ以上なくとくいげに、にやっ、と微笑む。
「ADAMAS Channelはね、魔法少女ダイヤちゃんの配信チャンネルなんだ!この世界で唯一の、誰でも観れる生配信!」
「そうなんだ……ダイヤちゃんって、どんな子なの?」
「ダイヤちゃんはね、コルカランドのトップアイドル!お姫様みたいにかわいい子なんだ☆」
「誰にでも優しくて、だけどすごく気高くて……ぜんぶ完璧!まさに理想のアイドルっ!なんだよ~♪」
「詳しいことは見ればわかる!誰だって、絶対っ!スキになっちゃうから!」
「ふふ……ミモちゃん、楽しそう」
「そりゃそうだよ!なんたってダイヤちゃんはボクの推し!だからね!」
そう語るミモザの姿は、これまでのどの瞬間よりも輝いて見えた。
(ミモちゃん、きらきらしてる)
「えへっ、今日もがんばったボクの為に、ダイヤちゃんが歌を唄ってくれるんだ……♡」
(……でも、ちょっと変態っぽい……)
それと同時に、何かが今にも漏れ出しそうな彼女の口端の歪みに、レイチェルは僅かに怖気を抱いた。
ふたりは朝ごはんを食べた時と同じ椅子に並んで座る。
「配信って、どうやって見るの?」
「それはね~~……これっ!」
ミモザは懐からごそごそと、少女の横顔が描かれた銀貨を取り出す。
「……銀貨?」「そう、銀貨!」
ミモザはそれを机のちょうどいい位置に置いて「コネクト!」と唱えると、そこからパソコンのウィンドウのようなホログラムが広がった。
「わ、ハイテク!」
冷静に考えると、ハイテクどころでは済まされない。唯一というくらいだから、きっとこれもそういう魔法だ。
「あぁ~っ、早く聞きたいな、ダイヤちゃんの新曲……!」
ミモちゃんがずっと楽しそうで、わたしもなんだかドキドキしてくる。
期待してるのか、それとも不安なのか。今日は良いことも悪いことも色々ありすぎて、わたしにはもう、どっちなのかは分からない。
「始まるよ!3、2、1――!」
☆妖精図鑑 No.003 ケセランパサラン
ケサランという種族の妖精。ケセランパサランは種族名の表記揺れであり、つまるところ、彼に特に名前はない。
種族としては希少性が高いほうで、悪い野心を持つ妖精に付け狙われることも少なくないという。
魔法のようにいいにおいがするが、さすがにそれが彼の魔法ではない。単に綺麗好きなだけである。




