1-5 ガルガルしないで!
「ウウ゛……アアア゛ッ!」
「ひいっ……!」
レイチェルは心底怯えた形相になり、その場から転がり落ちるように飛び降りる。
「ウウ゛ーッ……ア゛ーッ゛!」
雪の塊のような何かがぶんぶん、と身体を振り回し、積雪を払う。
そこから現れた、この魔物の正体は――
「まさか……雪男!?」
ケセランパサランがそのまま大男の形を取ったような、不気味な巨躯。
鈍重ながらも怒りに震え、顔があるべき部位は、虚としてえぐれている。
その太い腕が、胸板が、大きな手指が、今にも小さな生物を抱え込んで潰しそうだ。
それは爪や牙よりも、剣や銃器よりももっと身近で、だからこそ、想像できてしまう。
「や、やだっ……来ないで、来ないで……!」
積雪の上で身を竦めるレイチェル。逃げ隠れればいいのに、それができない。
こういうものに捕まえられた記憶……心理的外傷から来る恐怖が、それを許さない。
「【ヘンゼル、ヘンゼル!?】そんな、応答がない……!」
「遠すぎると届かないよ、レイちゃん……!」
「ア゛ウ゛ウッ……ウ゛ルルゥ……」
雪男は紫色の電撃のような、異様な瘴気を纏ってレイチェルに近づく。
御伽噺の怪物にはとても似つかわしくない、拒絶的な刺々しさ。
(――間違いない。これこそが、森の異変の根源だ)
(立たなくちゃ、立って、戦わなくちゃ……!)
煮え滾る使命感とは裏腹に、脚は竦み、腕は震え、動かない。彼女の意志が届くのは、指先のみ。
雪男は彼女に掴みかかるように、その腕を伸ばすが――
「ダメええぇぇっ!!!」
横から、押し込むような衝撃がレイチェルを襲い……代わりに、ミモザがその手に掴まれた。
「あっ、あ、ああ――いや、レイちゃん、助けて――!!」
衝動のまま咄嗟にレイチェルを庇った彼女は、この雪男に対して抵抗する手段を何も持たない。
レイチェルと違って戦い方すらまともに知らない彼女は、熱の魔術を戦闘に転用することも困難だ。
「ウ゛ウ゛ッッ、ア゛ーーーッ!!!」
雪男はミモザを軽く握り込み、腕をしならせるように後ろへ引く。
沈み込むように痛む心の傷跡と、身体を突き刺すような彼女の叫び。その極限のせめぎ合いの中で、彼女は――
「――【♢その手を離して♢】!」
懐から虹のステッキを振り上げ、風の刃で雪男の腕を攻撃した。
このタクトは他ならないわたしの武器だ。箱の妖精に奪われた程度で、手放そうだなんて思わない。
「ヴッ!?ア゛、ウ゛アアッ!」
雪男はその一撃でバランスを崩し、ミモザの身体を積雪の上へ落とす。
彼らの身体には傷一つ付いていない。しかしその呪文は、確かに雪男の下へ届いた。
彼は確かに、自ら手を離したのだ。
(……上手くいって、よかった)
(魔獣みたいになってるけど……あの雪男は、妖精だ)
彼の怒りは、レイチェルにとってあまりにも人間的だった。
人間的だったから、怖かった。
トラウマを刺激されるような恐怖のお陰で、大事なことに気づけた――
(この子も、苦しんでる)
きっと、あの電撃のような瘴気にやられたのだろう。確証はないけど、確信がある。
動きが鈍かったのは重いからじゃなくて、耐えているから。迷っているから。
雪男としての身体も……たぶん、防寒具のようなもの。
「【♢わたしの声を聞いて♢】!」
この子の心に刻むように、風を裂いて呪文を唱える。
「【♢あなたを苛むものに、負けないで♢】!」
身に纏う瘴気を払うように、地面から風を巻き起こす。
「お願い――【♢あなたの声を、聞かせて♢】」
……最後はただ、風に唄を乗せるように、タクトを振って。
「ヴ……ヴヴッ……ア゛、あ、あ――」
電撃のような瘴気が消えていく。
雪男と呼ばれたものはずしん、と倒れ、その顔の虚から――
「あ――あ、あの、私……」
――怯えた表情の少女が、ひょっこりと顔を覗かせた。シマエナガのような顔をした、100cmにも満たない小人だ。
不思議な造形の帽子を被り、藁笠のようなケープを身に纏うその様子は、雪女というより雪童子そのものである。
「大丈夫、怖くないよ。……あなたのことを、責めたりもしない」
「こうして出てきてくれたことが、一番嬉しい」
レイチェルは彼女の心情を汲み、優しい声色でそう伝えた。
「……うん。ボクだって、全然怒ってないよ」
「気持ちが激しくなって、大変になっちゃうことなんて、誰にでもあるんだもん」
積雪の上から身体を起こしたミモザも、レイチェルの隣に立って、そう言った。
……。
……しばらくすると、雪童子の少女はちま、ちま、と一歩ずつ、ふたりに近寄っていく。
それに合わせて、ふたりも彼女と目線を合わせた。
「えっと、あなた……あなたの名前は?」
「私?私はえっと、その……」
妖精の少女は一頻りもじもじ、とすると、
「わっわわ、私……『イエティーナ』っていいます!」
「え、エティって呼んでください!」
手指にぐっ!と力を込めて、そう答えた。
「エティちゃん!かわいい名前だね~☆」「うんうん。エティちゃん、かわいいよ」
「う、えへへ……かわいいですか……?」
レイチェルとミモザに褒められて、によによした顔でエティが笑った。
「うんうん、かわいいよ~☆食べちゃいたくなるくらい☆」
ミモザがエティの頭をよしよし、と撫でる。
「えへへ、食べちゃいたいくらいですか……へ、食べられちゃうんですか!?」
急激に警戒心が高まったエティは、まるで小動物のように雪男の虚の中にぴゃっ、と隠れる。
「ああっ、ごめんごめん!!取って食べたりなんてしないよ!」
「わわわ……やっぱり人間って、私たちの敵なんだぁ……!」
ぶるぶる、と震えるエティ。さっきまで取って食べる側だった者の言動とは思えない。
そんな彼女を見かねて、レイチェルがおいでおいで、とジェスチャーをする。
「エティちゃん、怖くない、こわくないよ~……おうちに帰ったら、お菓子もあげるよ~……」
「ひいっ!あ、飴で釣るつもりです……!」
犯罪者の手口にも賢いエティは、ぴゅいっと雪男の中に隠れてしまった。
「ああっ、消えちゃった」
「仕方ない……少しだけ、構ってあげよ」
「ふふっ、そうだね」
それから暫く立って、今度はのそのそと、懐いた猫のような速度でエティが近づいてきて、お礼をした。
「あの……マフラーのお姉さんも、ポンチョのお姉さんも、ありがとうございます!」
90度、とてもきっちりしたお礼だ。
「……お姉さん。お姉さん、かぁ」
その言葉を聞いて、ミモザはにやっ、とほくそ笑む。
「ねえ、エティ。もしボクがお姉さんじゃなくて、お兄さんだったとしたら……?」
ミモザは彼女の目線までかがんで、そう囁く。
からかっているようで……少しだけ、真剣な目付きで。
「へ?お姉さんが、お兄さん……ですか?」
一瞬の沈黙。今のイエティーナは、きっと頭まで真っ白だ。
「え、ええと……か、かわいいですね、お兄さん!」
エティはうわずった声で、恥ずかしがりながらそう答えた。
困ってるって言うより……むしろ、ドキドキしてる?
「あははっ、冗談だよじょーだん!ボクはボク、ミモザお姉さんだよ♪」
そんな彼女の様子を見たミモザは、くるっ、と回って「かわいいポーズ」をした。
「あはは、冗談でしたか……もう、びっくりさせないでくださいよ~」
肩の力が抜けたように、エティがくすくす、と笑う。
「そういえば、帰りは大丈夫?ここ、結構森の奥だけど……」
「ああ、それなら大丈夫ですよ!私……こう見えても、腕っぷしは結構強いんです」
イエティーナは力こぶをぐっ、と見せつけるポーズを取った。
先程の様子とは打って変わって、やけに自信満々である。
(確かに、説得力があるね……。)
雪男の時の力の強さを思い出して、ふたりは苦笑いする。
「ですから、一人で帰れます!もうこれ以上、お姉さんたちに心配はかけませんっ!」
「困った時は呼んでください!また会いましょう、お姉さ~ん!」
そう言うと、イエティーナは力強く手を振って、森の横道へと去っていった。
「またね、エティちゃん!」「今度は一緒に遊ぼうね~!」
☆
エティと別れの挨拶を済ませたふたりは、ヘンゼルが作業していた場所へとそそくさと戻っていった。
「ヘンゼル、遅れちゃってごめん……!」
「……用事は終わったか」
そこには膨らんだリュックを背負い、すっかり帰り支度を整えたヘンゼルが、樹木に背中を預けて待っていた。
「ヘンゼル、待っててくれたんだ!」
「当然だろ。楽しくお話してるところを邪魔するほど、僕も野暮じゃない」
「……本当に、無事で良かった。今回の事は、僕に責任が――」
そう言いかけたヘンゼルを、ミモザがぎゅっ、と抱きしめる。
「ううん……ボクたちこそ、ヘンゼルを心配させちゃったよね……」
「ごめん、ヘンゼル……!ボクたち、今度からもっと……ううん、ボクたちもっと、強くなるから……!」
涙の粒が、ジャンパーの肩にぽつり、と落ちる。
「……心配性なのはお前の方だ。慰めるのは得意じゃないが……気が済むまで、胸を貸してやる」
「ううっ……怖かった、ボク、怖かったんだよ……!」
ヘンゼルが、ミモザの背中をそっと撫でた。
「ミモちゃん……」
少し複雑な立場のレイチェルは、所在なさげに彼女を思い遣る。
「レイチェルも……よく頑張った。お前が居てくれて、助かったよ」
「ヘンゼル……」
彼の言葉に勇気付けられたレイチェルも、寄り添うように、そっと二人を抱擁した。
☆
それから四半刻のあと。
獣道を抜けた三人は、踏み石をこつ、こつ、と鳴らしながら、お菓子の家へ帰っていく。
「イエティーナちゃん、すごく丁寧な子だったね」
ミモザがそう言った。
「うん。でも、あれ……本当によかったの?」
「あれって?」
レイチェルは少し目線を逸らすと、すぐに彼女の方に向き直って、
「……だって、冗談じゃないでしょ?」
くすくす、と笑いながらそう言った。
「まあ……一応ね?でも、間違いでもないと思うよ☆」
それにつられて、ミモザも楽しそうに笑った。
一方。ひとりでも帰れると意気込んだイエティーナは、オトギの森の中で途方に暮れていた。
「……はっ!私、道に迷ってしまいました!どうしましょうどうしましょう……!!」
「うう、ジャックちゃん助けて~~~~~!!!私、また暴走しちゃうよ~~~!!!」
結局、彼女は一晩かけて家まで帰る羽目になったそうな。
☆妖精図鑑 No.002 イエティーナ
臆病で気弱な性格の雪童子の妖精。ぼっち気質で友達が少なく、「ジャックちゃん」しか遊び相手がいない。ちょっとかわいそう。
基本的に自分に自信もないが、こと腕っぷしに関しては妙な自信を持っており、攻めるときはぐいと攻める。
あの氷竜が住処とする迷宮、「凍土ノ霊峰」に居を構えているのは伊達ではないのだ。編み物がすき。




