アプローチ
渡り廊下の窓から黄昏を眺める睦月熾朗に藍宮陽介が声をかけた。
「どういうことだよ、熾朗」
怒気を押し殺した口調。いつも大らかで人望のある藍宮には珍しい様子だった。
「どーもこーもねえさ。決めたんだ。俺はサッカー部を辞める」
顔を半分だけ振り返らせて睦月が答える。西日が逆光になって表情がわからない。
「だから、どうして辞めるのかって聞いてるんだ」
「何言ってんだよ藍宮。入部するときにちゃんと言ったはずだぜ。『俺にゃ今やりたいことがねー。だから取りあえずおまえの誘いを受けてサッカーをやる』ってな。んで、やりたいことができたから辞める。そんだけだ」
「そのやりたいことが陸上なのかよ」
「ああ、そうだ」
「ふざけるな! 関東大会まであと二週間もないんだぞ? こんな大事なときに何考えてんだよ!」
藍宮はサッカー部の部長で、司令塔もこなしつつゴールにも絡んでいくトップ下。
睦月は小柄だが俊足のエースストライカー。先日の都大会では得点王に輝き、チームを初優勝に導いた。
ちょうど十一人のチーム。去年までの弱小校をそこまで強化したのは二人の連携が抜きん出ているためであり、また他のチームメイトがその連携を成立させるために努力を重ねてきたからだった。
関東で勝ち残れば全国大会に行ける。部員でなくても緊張と興奮を禁じ得ない状況。どうやら睦月はそこに水を差したらしい。
「あと少しなんだ。中学最後の夏なんだぞ? その後じゃ駄目なのか?」
「駄目だ。陸上にだって全中はあるんだぜ。サッカーの試合に出たら疲れてまともに走れやしねえよ」
「……そんなに陸上がいいのか?」
「そうだな。一人でやるってのが俺の性格に合ってるみてーだよ」
「チームプレイが嫌なのか?」
「そうじゃねえって。十一人で力を合わせて相手に勝つのはすっげー気持ち良いよ。たまんねーくらいにな。でもよ、そうじゃねえんだ」
「何がだ?」
「俺が勝ちてえのは相手じゃ――別の誰かじゃねーんだよ」
「…………」
藍宮は言葉を失う。説得は無駄だと悟ったのだろう。しかしその顔はまだ強張っている。納得できていないのだ。いや、納得したくないのだろう。
それを察したのか、睦月が言う。
「俺なんかにこだわってねーでよ。とっとと頭切り替えて新しいフォーメーションでも考えた方がいいぜ。今のあいつらなら十分戦える。おまえなら力を引き出してやれるよ」
「……人が、足りない」
「都大会優勝で入部希望が殺到してんだろ? 期待できそうな二年がいるっつってたじゃねーか」
「……それじゃあ駄目だ」
「三年がいいってか? じゃあよ、あいつはどうだ。うちのクラスの陣内。あいつ帰宅部の癖に意外とフィジカル高いんだぜ。タッパもあるし――」
「駄目だ! それじゃ駄目なんだよ!」
藍宮はわなわなと肩を震わせる。けれどそれ以上の言葉は発さず、睦月を強く睨むとその場から立ち去ってしまった。
「どうしてわかってくれないんだ。おまえじゃなきゃ駄目なのに」
そう呟く藍宮陽介の泣き出しそうな横顔は、きっと誰も見たことのないものだったろう。
「悪いな、藍宮」
ぼそりと言い、睦月熾朗は再び窓の外を見る。
夕陽はくすみつつあった。




