表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/4

女神からのお願い

夕暮れの商店街は、一日の終わりを迎えようとしていた。


 仕事帰りの会社員が足早に駅へ向かい、買い物袋を提げた人たちが店先を行き交う。どこからか揚げ物の香ばしい匂いが漂い、空は少しずつ茜色へ染まり始めていた。


 神崎悠斗はスーパーの袋を片手に、のんびりと歩いていた。


「今日は少し安かったな。」


 袋の中には玉ねぎ、にんじん、じゃがいも。それに特売だった豚肉。


 今夜はカレーを作る予定だ。


 一人暮らしを始めて一年。


 最初は外食ばかりだったが、節約のために始めた料理は、いつの間にか趣味になっていた。


「そういえば、この前買ったスパイス、まだ残ってたかな。」


 そんなことを考えながら帰る時間が、悠斗は好きだった。


 大学へ通い、アルバイトをして帰宅する。


 派手な毎日ではない。


 けれど、不満もない。


 休日になればホームセンターへ行き、工具や木材を眺める。用事がなくても一時間くらい歩き回ってしまう。


 動画サイトではDIYや家庭菜園の動画ばかり見ていた。


「この棚、自分でも作れそうだな。」


「庭付きの家なら、野菜も育てられるのに。」


 そんな独り言をこぼすたび、友人には笑われた。


「お前、二十歳なのに趣味がおじいちゃんなんだよ。」


「そうか?」


「もっと遊べって。」


 そう言われても、悠斗には今の暮らしがちょうどよかった。


 静かな毎日。


 誰かと競うこともなく、自分のペースで暮らす。


 そんな人生が好きだった。


「将来は田舎でのんびり暮らすのも悪くないな。」


 信号待ちをしながら、ぼんやりと空を見上げる。


 その時だった。


 小さな悲鳴が聞こえた。


「あっ!」


 振り向くと、小さな女の子が転んでいた。


 買い物袋からリンゴが転がり、歩道へ散らばっている。


 悠斗はすぐに駆け寄った。


「大丈夫?」


「う、うん……。」


 膝を擦りむいたのか、今にも泣きそうな顔をしている。


 悠斗はリンゴを拾い集め、一つずつ袋へ戻していった。


「はい。」


「ありがとう、お兄ちゃん!」


 ぱっと笑顔になる。


 その笑顔を見て、悠斗も自然と笑みを浮かべた。


「気を付けて帰るんだよ。」


「うん!」


 元気よく頷いた、その瞬間だった。


 キキィィィィッ!!


 耳をつんざくブレーキ音が交差点へ響く。


 反射的に顔を上げる。


 一台の大型トラックが信号を無視し、大きく蛇行しながら突っ込んできていた。


「……っ!」


 女の子が道路の真ん中で固まっている。


 考えるより先に身体が動いた。


(間に合え。)


 それだけだった。


「危ない!」


 女の子を抱き寄せ、歩道へ押し出す。


 直後。


 激しい衝撃が身体を貫いた。


 世界がぐるりと回る。


(あぁ……。)


(痛いな。)


 遠くで誰かが叫んでいる。


 最後に見えたのは、泣きながらこちらへ手を伸ばす女の子だった。


(助かってくれたなら、それでいい。)


     ◇


「ようこそ。」


 優しい女性の声が聞こえた。


 悠斗はゆっくりと目を開ける。


 一面が白かった。


 空も。


 地面も。


 どこまで見渡しても白しかない、不思議な世界だった。


「ここは……。」


 身体を起こす。


 痛みはない。


 服も汚れていない。


 夢の中のような、不思議な感覚だった。


「初めまして。」


 声の方を見る。


 そこには、一人の女性が立っていた。


 腰まで届く金色の髪。


 純白の翼。


 穏やかな笑みを浮かべた、美しい女性。


 その姿を見た瞬間、悠斗は何となく察した。


「……女神様、ですか?」


 女性は嬉しそうに微笑んだ。


「はい。私は女神ルミナです。」


「あなたをここへ迎えました。」


 やっぱりか。


 驚きは、不思議なくらい少なかった。


 それよりも先に、気になることがある。


「さっきの女の子は。」


 ルミナは静かに頷く。


「無事です。」


「あなたのおかげで助かりました。」


 その一言を聞いた瞬間、肩の力が抜けた。


「それなら、よかった。」


 ルミナは、その笑顔を見つめて優しく目を細めた。


「あなたなら、そう言うと思っていました。」


「神崎悠斗さん。」


「お願いがあります。」


「お願い?」


「別の世界で、もう一度人生を歩んでいただけませんか。」


「異世界、ですか。」


「はい。」


 悠斗は少し考え、照れくさそうに笑う。


「俺、勇者とかには向いてませんよ。」


「剣も使えませんし。」


「勇者ではありません。」


「魔王討伐でもありません。」


「世界を救うことでもありません。」


「じゃあ、何をするんです?」


 ルミナは柔らかく微笑んだ。


「幸せに暮らしてください。」


「……それだけ?」


「はい。」


 拍子抜けしてしまう。


 けれど、その言葉は妙に悠斗らしいとも思えた。


「もちろん、生活に困らないよう力も授けます。」


「生活魔法です。」


「生活魔法?」


「掃除、料理、洗濯、修理、栽培。暮らしを支えるための魔法です。」


 戦うためではない。


 生きるための魔法。


 悠斗は思わず笑った。


「その方が、俺には向いてそうですね。」


「私もそう思います。」


 二人は顔を見合わせて笑う。


 穏やかな空気が流れた。


 しかし、ルミナは少しだけ困ったような表情になる。


「あの……。」


「もう一つ、大切なお話があります。」


「なんですか?」


「あなたが向かう世界には、男性が存在しません。」


「……え?」


「住人は全員女性です。」


「全員?」


「はい。」


 悠斗は思わず聞き返す。


「それって……。」


「しかも。」


 ルミナは苦笑しながら続けた。


「全員、サキュバスです。」


「…………。」


 思考が止まる。


「サキュバス?」


「ですが、あなたが想像するような恐ろしい種族ではありません。」


「穏やかで家族思いの、優しい方たちです。」


「ただ、少しだけ愛情表現が豊かです。」


「その『少しだけ』が、一番気になるんですけど……。」


 悠斗が苦笑すると、ルミナは思わず吹き出した。


「ふふっ。」


「きっと皆さん、あなたを歓迎してくれます。」


「歓迎、ですか……。」


 嫌な予感しかしない。


 するとルミナは、とどめを刺すように言った。


「ちなみに。」


「あなたは、その世界で唯一の男性になります。」


「…………。」


 悠斗は数秒間、何も言えなかった。


「…………え?」


「はい。」


「俺だけ?」


「はい。」


 悠斗はゆっくりと白い空を見上げ、小さくため息をつく。


「……静かに暮らせる気がしない。」


 その呟きに、ルミナはくすりと笑った。


「大丈夫です。」


「きっと。」


「『きっと』なんですね……。」


 二人の笑い声が白い世界へ溶けていく。


 次の瞬間、眩い光が悠斗の身体を包み込んだ。


「それでは、いってらっしゃい。」


「ちょっ、待ってください!」


「まだ心の準備が!」


「ルミナさぁぁぁぁぁん!」


 光はさらに強くなり、悠斗の姿は白い世界から消えていった。


 こうして神崎悠斗は、サキュバスしかいない異世界へ旅立つ。


 ただ静かに暮らしたい。


 その、ささやかな願いを胸に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ