再会③
この先に魔女がいるとは思えないような軽い音を立てて、玉座の間への扉が開かれた。中はより一層瘴気が充満していて、息を吸うと、ぼんやりと頭に霧がかかったようになる。
「我が魔女シェミナ様、聖女アリアをお連れしました」
「ご苦労さま」
シェミナは色鮮やかなステンドグラスを背景にして、金刺繍が施された豪奢な緋色のドレスを身に纏い、フェンリルのものだろうか──白銀の毛皮を肩にかけ、玉座に足を組んで腰掛けていた。息子である王はまだ存命の筈だが、実質的に長年この国を牛耳っているのはシェミナなのだ。
カイルは私からすっと離れ、恭しく跪き、シェミナの白くたおやかな手に口づけをした。騎士の忠誠。彼は今、身も心も魔女のしもべなのだ。
「姉さん、よく来てくれたわね。紹介するわ。私の騎士であるカイルよ」
あまりにも白々しい言葉に、破裂しそうなほど早鐘を打っていた心臓が落ち着いた。息を軽く吸う。余計な事を話すつもりはない。
「投降して。世界樹の聖女は私。この国は魔女には渡さない」
「……強がりね。一人なのに」
「強がりなんかじゃないわ」
「あら、でも大変な事になっているらしいわよ」
カイルが両の掌を体の前で広げた。いつしかカーレンが見せてくれたような、別の場所の風景を映し出す魔法だ。
その中では、意識を失ったアルフォンスが、瘴気の沼に沈んでいく様子が映っていた。その傍らには、再び毛皮が瘴気で汚染されて真っ黒になってしまったラーミヤが、怒りの咆吼をあげている。
「……っ!」
「私を倒してやると息巻いていたにしては、あっけなかったわね。フェンリルは、新しい毛皮にしてあげるわ。これはもう古びているものね」
シェミナの高笑いとともに、場面は変わる。エディアス様が、兵士達に取り囲まれて、喉元に剣を突きつけられている。ゼアキスが私達を裏切り、王国軍を率いて、義勇軍やフェンリルたちを虐殺している。
──やがて、轟音とともに、王都から魔力砲がラング領に向かって発射された。家が焼け落ち、森は再び黒煙に包まれ、湖が、死の灰で汚染されていく様子を、私はじっと眺めている事しかできない。
カイルが私に見せてくる風景、ひとつひとつが、私に絶望を突きつけてくる。ぎゅっと目をつぶり、目の前の悲劇を見ないようにした。
「これでわかったでしょう? もう終わりよ。聖女アリアには帰る場所も、仲間もない。あの目障りな神官は、あとで使ってあげるわ。雑草みたいに丈夫だから、きっといい人形になるわね。妖精とは違って、心だけ残して体だけ操ってあげる。──エディアスの処刑は、彼にお願いしようかしら? 反逆者の処刑。愚かな民衆には、ぴったりの娯楽だと思うわ」
──ぎゅっと腕をつねって、体に痛みを与える。痛い。まだ大丈夫。私は、惑わされたりしない。
「五十年ごしに私にやり返せると思ったら、全てを奪われて、滑稽なことよね。弱いくせに、しつこいのよね、あの男」
私が無言でいるのを、何も言い返せないのだと判断したのか、シェミナはご機嫌に笑った。
「でも、姉妹のよしみで、姉さんだけは助けてあげる。カイルの様に、私に跪いて許しを請うの。そうすれば、あなただけは庇護してあげる」
──懐柔策には、乗らない。そう決意してから、すっと目を開く。
目の前でもやがかかっていたような感覚がなくなり、目の前がよく見えた。シェミナは相変わらず、余裕たっぷりと言た様子で、玉座にいる。──油断しているようだ。
「私を姉と呼ばないで。もう、あなたは妹じゃない。あなたの言葉に、真実は何一つないわ。──すべて、幻よ」
言葉とともに、さあっと、私を取り囲んでいた悪夢が消えていき、シェミナが不愉快そうに片眉をあげた。
『アリア様、アリア様。こちらは大丈夫です。ご心配なく。まもなく、助けに向かいます』
耳飾りを通して、カーレンの声が聞こえてくる。こちらが真実の世界だ。まだ、皆は倒れていないし、戦ってくれている。
「まだ、こざかしい妖精の生き残りがいたようね。──カイル!」
シェミナの言葉が終わる前に、カイルは一瞬で私との距離を詰めてきた。
剣の切っ先が、私の肌を割いて、ひりつくような痛みを与えてくる。切れたのは薄皮一枚だけれど、首筋から流れた血が、床に血だまりをを作ったのが分かる。
けれど、カイルの剣はそれ以上、私を切り裂こうとはしていない。
──何か、葛藤のようなものがある?
「何をしているの、カイル!」
シェミナが焦れた様子で立ち上がった。けれどカイルは動かない。私の力に気圧されている訳ではない。彼は自分の意思で、動きを止めているのだ。
あとほんの少し、力をこめれば私の命を奪うほどの致命傷を与える事が出来る。けれど、カイルは私を見据えながら、ゆっくりと口を開いた。
「聖女アリア。あなたはやっぱり、美しい」
──カイルは、私をまっすぐに見て、いつものように微笑んでいた。
「何をしているの、この役立たず! 洗脳が弱かったようね。もういいわ」
シェミナが一歩踏み出した、その時。
──今よ!
心の声と同時に、シェミナの背後のステンドグラスが一斉に砕け散り、何かの白い塊が、ひゅっと飛び込んできた。──ラーミヤだ。
「な、何事っ!」
シェミナは狼狽している。──アルフォンスの見立ては、正しかったようだ。
シェミナの手から放たれた火球が、花火のように散らばった。しかし、反応はない。飛び込んで来たところまでは確認できたのだけど──。
目を凝らすと、ラーミヤは何か布のようなものを咥えながら、壁や床を縦横無尽に駆け、シェミナの攻撃を避けている。逃れた先で、何か素晴らしい宝を見つけたようだ。
「おのれ、私の宝物庫に勝手に侵入した、泥棒猫! それを返しなさい!」
シェミナの怒りの声とともに、部屋じゅうに炎が充満して、私の元にも炎がやってきた。
「……っ!」
「やれやれ、聖女がこれでは世界樹も燃えてしまうぞ」
めらめらと燃える火から逃れようとすると、ふわりと私の肩にマントがかかった。……熱くない。けれど私にこのマントを譲ってしまっては、ラーミヤが……。
「フェンリルは猫ではない。ましてや犬でもない。フェンリルは、フェンリルだ。その毛皮、我らが祖先のもの。返していただこう」
炎で身を焦がしながらも、ラーミヤはシェミナに飛びかかり、炎を生み出す腕に鋭い牙を突き立てた。
攻撃が止んだかわりに、シェミナの怪物じみた力でラーミヤは吹き飛ばされ、すさまじい力と共に壁に激突したが、すぐに身を翻してまるで恐れるものなど何もないといった様子で、シェミナに再び向き直る。
「この程度では倒れん! 我が一族の怒りが、幾星霜を経て、お前に食い込むぞ!」
「くっ! これは……フェンリルの呪詛か!忌々しい!」
シェミナが羽織っていた毛皮が、まるで魂を得たかのように彼女に絡みつき、床に押し付けようとしている。その肩口に、ラーミヤが爪を立て、絶対に逃がすものかとしがみつく。
「魔女も、妖精も、我共々……やれ、アリア! お前の仕事だ!」
──私は、自分の為すべき事のために、意識を集中させた。




