王家の墓⑤
「な……なに、これ……」
シェミナが私を刺したのは、ただの刃物ではなさそうだった。傷口から血と一緒に、マナがどくどくと流れ出していくような感覚があって、体に力が入らない。
床だったはずの場所はどろどろの瘴気の沼となって、私を引きずりこもうしている。その先は塔の中ではなく──もっとおぞましい場所だろう。
「これはね、王家に伝わるマナの剣よ。宝物庫で厳重に管理されていたの。刺した対象のマナを吸収する事ができるのよ。世界樹の力、姉さんには豚に真珠。だから、私が貰ってあげようと思って」
「な……なんて、こと、を……」
「世界樹を取り込んで、私は名実ともにこの国を支配する。その力で国を救うだなんて、馬鹿げたショボい幻想を持つなんて事はしないわ。……ああ、安心して。姉さんの大事な大事なお仲間は、寂しくないように一緒のところへ沈めてあげるから」
狂気に満ちた言葉に、私は既に、シェミナが人ならざる存在になってしまっていることを理解した。
「あなた、には、この国を守る気持ちがないの……!」
「ないわ」
くすくすと、シェミナの笑い声。必死に抵抗するけれど、もがき続けるうちに少しずつ体が沈んでいく。このままだと、本当に飲み込まれてしまうだろう。
「ねえ、王家の墓の秘密を知っている?」
シェミナは場にそぐわない明るい声をあげた。これ以上体力を消耗することができないと、私がじっと押し黙っていると、シェミナは滑稽だと思ったのか、けらけらと笑いながら、くるりと、まるで優雅にダンスを踊るかのように、ドレスの裾を翻した。
「ここはね、墓所ではないの。本当は封印の間なのよ」
子供時代に聞いた昔話に、そんな内容のものはなかった……何を封印しているのかは、王位を継いだ者がだけが知るのだろう。つまり、その配偶者であったシェミナも当然、内容を知っているのだ。
「この国を興したのは、魔女との戦いに勝利した聖女と勇者の子孫。彼らは両親から脈々と受け継いだ魔力をもって、この地に封じた魔女を監視し続けていた……それは何代、何百年にも渡って。王族は死後も魔力の杭として、この地にとどまり続ける。……まあ、中にはエディアスのような役立たずもいるけれどね?」
シェミナは語る。王家の墓には魔女が封印されている。エディアス様は魔力を持たずに生まれ、その役割を果たすことができないために、王太子になることができなかった。
「シェミナ、あなた、もしかして、その封印を……解こうとしているの?」
「姉さんったら、本当にバカね!」
シェミナは笑いながら私の首に手を回し、その白く細い指に力を入れた。
「まだわからないの? 魔女は既にここに居るの」
「あ、なたが、魔女……?」
──真っ赤な、鮮血のような瞳に宿る狂気。。一体いつから──最初から? いいえ、そんなハズはない。少なくとも、最初は……。
「そうよ。私はシェミナであり、魔女でもあるの。まあ、姉さんにはどうでもいいわね。おやすみなさい、永遠に。お馬鹿なアリア。今までご苦労様」
シェミナの言葉とともに、私に絡みついている瘴気の枝の締め付けが、より一層強くなる。シェミナの高笑いは、まるで勝利を確信しているかのようだ。
私をマナの泉に突き落とした、あの時みたいに。
──許せない。
心の一番奥から、いまだかつてないほどの強い感情が湧き上がる。
彼女は嘘をつき、私どころか全ての人を自分の為に利用し尽くして、笑っている。こんなおぞましい存在に、世界樹の力を渡す訳にはいかない。私が消えて、シェミナに世界樹の力を奪われて、今まで築き上げた大切な全てを、またなくしてしまう。
それだけじゃない。彼女は、私に与した人達を、もっともっと苦しめようとするだろう。──そんな事は、絶対に、許せない。
この怒りを、薄れさせてなるものか。流れ出るマナを、ぐっと力を込めて、体の中にとどめる。
「シェミナ……あなたの好きにはさせない。世界樹の力は、渡さないわ、私が聖女よ」
「……バカね、本当に……何も知らないのねっ! 世界樹の聖女──その力を、人間の自我を保ったままで、操れると?」
「……っ」
言い淀むと、シェミナの紅い唇が醜悪に歪んだ。
「心当たり、あるでしょう?」
食事を必要としなくなる。睡眠を必要としなくなる。無限に力が湧いてくるような感覚がして、力を振るうことに抵抗がなくなる。感情が希薄になっていく──。
「さっきも言ったでしょう。あなたはただ利用されているだけ。姉さんが心から、純粋に愛されることなんてないのよ。全員、聖女の中にあるマナに群がるだけのウジ虫よ。私には分かるわ。みんな分かっているのに、聖女の力を利用し尽くすために、黙っているのよ」
「……っ」
シェミナは私の首にかけた指に、力を込めた。爪の先端がナイフの様に尖っていて、私の肌に食い込み、じわじわと毒のように、瘴気がそこから入り込んでくる。
『だから全ての力を私に委ねて、一緒になりましょう? 姉さんは昔みたいに何も考えなくていいのよ』
シェミナの言葉が、呪いの様に私の中にしみこんでいく。
けれど。
『僕は五十年間、君を待っていたんだ』
他人の気持ちなんて、分かりようもない。皆が私に優しくしてくれるのは、エディアス様の後ろ盾があって、私に力があるから。それが前提かもしれない。けれど彼が私を待っていてくれたのは事実なのだ。
「……っ、それでも……あなたに、任せておくことは……できない」
──聖女の力は、渡さない。
そう強く願った瞬間、辺り一面が眩しい光に包まれた。違う。私が発光しているのだ。
私から発せられた光は、放射状に伸び、周囲にあったどす黒い瘴気を霧散させていく。
「……っ、体が……!っ!」
ちっとシェミナが舌打ちをして、私から手を離し、その場にうずくまった。体が自由になった──体に刺さっていたはずの、マナの剣は跡形もなく消え去っていた。
吸収されていたマナが体中を逆流する。
──熱い。
全身が燃え上がるような熱に包まれて、体中が焼けるように痛む。視界が歪む。息ができない。シェミナを一旦退けることには成功したけれど、私自身もこの力を制御できない。
──でも、この力があれば。
私は何かに操られるように、うずくまっているシェミナに向かって手を伸ばした。白い、細い首が見える。
──私も、人間をやめて、妹を殺さなければいけない。
シェミナの首に手をかけた瞬間、黒い光が弾けて、視界が真っ白になった。
光が収まった時、私は一人きりになっていた。
さっきまでの喧騒が嘘のように静かだ。足元を見ると先程まであったはずの扉や地面は消え失せ、私は薄ぼんやりとした光の中に居た。
──これはマナだ。私はいつの間にか、再びマナの流れの中に取り込まれていた。
ここから、帰る方法が分からない。
けれど、それが重要な問題だろうか?
マナの中は心地よく、ここにいればもう大変な事は何も起きないのだと確信させてくれる。
身をゆだねれば、楽になれる。感情がどんどんと薄ぼんやりとしたものになっていく。
──このまま、ここでずっとこうしていたい。
私は昔のように、心地よいマナの流れに身を任せようとした。
「……ア」
遠くから、声が聞こえる。彼は何を言っているのだろうか?
「アリア」
……ああ、そうだ。アリアと言うのは、私の名前だ。けれど、呼んでいるのは誰だっただろうか?
「アリア……戻ってきてくれ!」
これはエディアス様の声だ。そうぱっと認識した瞬間に、私の意識はぐんっと上に引っ張られ、目を開けていられない程の光の中に吸い込まれていった。




