王家の墓④
彼女は昔と変わらず、美しいままだった。自らに与えられた天賦の才と備蓄されているマナを使い、少女の頃の若さを保っている──それは真実のようだ。亜麻色の巻き毛を風に靡かせ、夏だと言うのに毛皮のコートを肩に羽織って私をじっと見つめている。
姿形は記憶のままだが、実質的にこの国を治める女王だという事を思い出せば、彼女がただの可憐な少女ではないことは容易に想像がつく。
シェミナをじっと見つめ返していると、真っ赤な紅で縁取られた唇がゆっくりと開かれた。
「お久しぶりね、姉さん」
押し黙っていると、シェミナはくすっと、まるで悪戯に成功した子供のような無邪気さで笑った。
「……シェミナ!」
人を小馬鹿にしたような言動は、どんなに時が経っても変わらない。咎める様に声を荒げると、シェミナは形のよい唇をとがらせた。
「そんなに怖がらないで頂戴。別に取って食おうとしているわけではないのだから。私はただ、姉さんとお話がしたいだけ」
「怖がってなんて……」
シェミナがゆっくりと私の方に歩み寄ってきて、思わず後ずさった。彼女の口から吐き出される吐息はどす黒い色をしている──そんな気さえした。
「そんなに怯えないで欲しいわ。私たち家族でしょう?」
「嘘……つき」
シェミナがそんな事を思っていないのは、私が一番よく知っている。震える声ではっきりとそう告げると、彼女は眉根を寄せ、少しだけ不機嫌そうな顔をした。
拒絶の言葉を受けながらも、シェミナの歩みは止まらない。相手がどのような感情を持っているかなんて、彼女には何の意味もないのだ。
ゆっくりと伸ばされた手に対し、私はとっさに防御の姿勢をとる。
「やめて! それ以上近づいてこないで。手短に用件を言ってちょうだい」
シェミナの目が大きく見開かれ、すぐに悲しげな表情になった。ころころと変わる表情は、記憶の中とまったく変わらない。彼女をじっと見ていると、昔の言いなりになっていた頃の自分に引き戻されてしまいそうだ。
「姉さんは変わったわ。聖女の力を得て、随分と気が大きくなったのね。良くない傾向よ」
「……あなた、自分が何をしたのか忘れた訳じゃないのでしょう?」
シェミナは目を伏せ、小さく首を振った。
「勿論、覚えているわ。でもね、ああするしかなかったの……だって、私には子供がいたのだもの。姉さんも会ったでしょう? 私ひとりの体ではないのだから、仕方がなかったの」
「あの時みたいに、また私を利用するつもりでしょう? マナの力を吸い取るために」
「利用だなんて……」
シェミナは困ったように眉尻を下げた。その様子からは、私の反抗なんて織り込み済みだとでも言わんばかりだ。
遠く、地上から、ラーミヤの苛立った遠吠えが聞こえてきて、シェミナは眉をひそめた。
「いやあね、野蛮な狼よ。私達にはふさわしくないわ。時間がないみたいだから単刀直入に言わせてもらうわ。姉さん、私と一緒に来て。一緒に国を治めましょう?」
「嫌よ」
「どうしてよ。世界樹を奪って、王国の民を見捨てるつもりなの?」
「私は、私を大切にしてくれる人達と過ごす。あなたと、あなたに従う王家の人間は信用できない」
「誤解よ。私は無為に争いを起こそうとは思っていないの。姉さんが目覚めてからの事だって、それはアーバレスト公爵が勝手にやったことだもの。彼にはキツい処罰を与えておいたわ」
「白々しい。全部、あなたの指示だと分かっているのよ。ラング領を無差別に攻撃したでしょう?」
「きちんと外したじゃない」
シェミナはころころと鈴の音が鳴るような声で笑った。彼女には、悪気なんてまるでないのだ。ぞっとする。
「姉さんには分からないと思うけれど、国を治めるのって大変なのよ。王族としての責務を果たさずに、権利ばかり主張する人達を懲らしめてあげないといけないんだから」
「……彼らはそんな人たちではないわ!」
「変わらないわ。彼らはただ、私に対抗する剣として姉さんに取り入り、優しくして、聖女の力を──マナの恵みを享受しようとしているだけ」
「……私と、ラング領の奴ら。姉さんにとって、何が違うの?」
シェミナはもう一歩、私に向かって踏み出した。それを手を伸ばして遮る。彼女に近づいて欲しくないと、肌が粟立った。
「違う。あなたのやってることは間違っているわ。私が眠っている間、エディアス様を追いやって、悪政を敷いて……今だって、どんどんと救いを求める人達がラング領に押し寄せているのよ。それはあなたが間違っていた証拠でしょう?」
「仕方がないのよ。皆、自分のことしか考えていないの。誰かが導いてあげるしかないのよ。そして、その役目を果たせるのは私しかいない。だからお願い。姉さん、協力して頂戴?」
「姉さんと呼ばないで。私はあなたの事を、もう妹だと思わない」
シェミナがさらに一歩踏み出した瞬間、私の髪の毛の影に小さくなって潜んでいたカイルが姿を現して、私とシェミナのあいだに立ち塞がるように立った。
「アリア様、戻りましょう。こいつは──」
「妖精ごときが、私の邪魔をしないでくれる?」
シェミナが右手を振るうと、突然音を立てて、カイルの姿が、じゅっと蒸発したように──消え失せてしまった。
「カイル──っ」
『いくら妖精騎士といえど、シェミナの魔力で焼かれてはひとたまりもないだろう』
アルフォンスの言葉がよみがえる。
「分かったでしょう? 姉さんに付き従っている妖精なんて、この程度よ」
呆然と立ち尽くす私に、シェミナが笑いながら手をさしのべてくる。
「さあ、姉さん。私と一緒に行きましょ? 大丈夫。悪いようにはならないわ。私がマナの力を使えば、もっとすごい事ができるの」
「アリア様、ここは魔術で部屋に見せかけた屋上です。飛び降りてください! 私が支えます」
同じく私の髪の毛の中で様子をじっと様子を窺っていたカーレンが囁く。地上にいるラーミヤと合流して、一旦退けと言うのだ。
「……あら。まだ羽虫が飛び回っているようね?」
逃げだそうと足を動かした瞬間に、床から瘴気が吹き出してきた。それは確かな意志を持って私の足首にツタのように絡みつき、逃がすまいと体を押さえつけてくる。
「……嫌っ!」
「逃がすわけないじゃない?」
シェミナが指を鳴らすと、今度は足元の地面が盛り上がってきて、あっという間に土の壁ができあがる。まるで、生きながらにして棺桶に閉じ込められてしまったようだ。
壁の向こう側から、くすくすと楽しげなシェミナの笑い声が聞こえて、ぞわりと鳥肌が立った。壁をするりと抜けて伸びてきたシェミナの手が私の顎に触れ、無理矢理上を向かせた。
「へぇ……。まだ意識がある。流石聖女は違うのね」
「……!」
振り払おうと身を捩るが、まるで石になったように体が動かない。
「……触ら、ないで」
「こんな状況になっても、まだ分からないの? 私は聖女である姉さんよりずっと強い力を持っている。聖女なんてただのお飾り。あんたはただの道具よ。私に利用されるためだけに存在している、ね」
「……」
シェミナの瞳は冷たく光っていて、そこには私に対する侮蔑の色がありありと浮かんでいる。
「世界樹にとって姉さんは、使い終わった植木鉢のようなもの。それなのに、聖女としてあがめられるなんておかしいでしょ? 国民も混乱してしまうわ」
シェミナの唇が弧を描き、真珠のような白い歯がチラリと覗いた。
『アリア様、お気を確かに。世界樹の力を──』
カーレンの囁きに耳を傾けようとしたその時、腹部に激痛が走った。そろりそろりと下を見ると、私の体に見慣れない豪奢な短剣が突き刺さっていた。




