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ラーミヤ②

「さて、聖女よ。羽虫どもの事は放っておいて、我が故郷へ案内しよう」

「待って。まず先に、エディアス様に挨拶をしなければ」


「挨拶など不要だ。お前の部下なのだろう?」

「部下じゃないわ」


 昨日出会ったばかりのフェンリルに、エディアス様との関係を語って聞かせるのは恥ずかしい。いや、ラーミヤは昨日の様子を見ていたのだから、やっぱり、私をからかって様子をうかがっているだけなのかもしれない。


 程なくして、エディアス様がティモシーを引き連れてやってきた。


「……昨日の子犬がフェンリルだったと言うのは本当のようだね……」

「おう。小童か。世界樹の力で、ずいぶん大きくなったものだ。我はあの獣の姿の方が振り回しがいがあって良いと思うがな」

「お陰様で。お互い、聖女には恩がある」


ラーミヤは口をぱかりとあけ、白い牙を剥き出しにした。エディアス様はと言うと、言葉が通じるラーミヤの方が無邪気な子犬より怖くないらしい。複雑な人だ。


「ふん。四十年前、我が群れの勇士、ゴードンがみょうちきりんな匂いのする爆薬で鼻を痛めて、とんでもない目にあった件は忘れていないからな」


「昔の事は覚えていないな」


 珍しくエディアス様はとぼけたが、彼が若いころには、田畑や水をめぐって、フェンリルとの戦いがあったと聞いた。当時を知る人はもう少ないだろうけれど──当事者であるエディアス様、そしてフェンリルがお互いにどう思っているのかは、わからない。


「相変わらず、へなちょこのくせに口だけは達者なようだ。こういう雄らしくない奴とは反りが合わん」


「じゃあ帰ればいいじゃん。ここはエディアス様の領地だし、アリア様はエディアス様の伴侶となる方だし」


 と、ティモシーがそっぽを向いたラーミヤに冷たく言い放った。


「ならん。我は長として群れを導く義務がある。ダークフェンリルとしての汚名を濯ぎ、一族の誇りを取り戻すのだ。そのために聖女が必要なのだ」


 ラーミヤは静かに、白く輝くするどい牙を見せた。その気になれば、ここにいる全員を引き裂いて、悠々と森に帰ることもできる──まるで、そう言っているようだ。


「群れを連れてきて、彼らの浄化をして……それから、聖女をどうするんだい」


 エディアス様の問いに、ラーミヤは小首をかしげた。


「これまで通り、普通に生きていくが? 我らは森の覇者である。瘴気などものともしない。魔の森は、まだまだ広がっているからな。聖女をめぐる人間の争いは知らん。我らを害さないなら、勝手にするがよい」


「それでは一族としての誇りを取り戻すことは、できないだろう。ただ元の肉体を取り戻し、森に帰ったのでは、誰もそのことを知らないのだから」


 エディアス様の言葉を聞いて、ラーミヤの全身の毛が怒りで逆立ったのが分かった。


「人間よ。何が言いたい」


「フェンリルの長ラーミヤよ。提案がある。……同盟を、結びたい」


「こんな、強欲な生き物とですか? こいつ、さっき、パンを二百個くれって言ったらしいですよ? 一度食料を渡したら、どうなるか」


 一瞬の沈黙のあと、ティモシーが呆れた声をあげた。


「それだけの嗜好品を求めると言う事は、フェンリルは少なくとも百の単位では生存していることになる」


 ラーミヤは、今度は反対側にそっぽを向いた。戦力がどれぐらいあるか、隠しておきたい気持ちはあるのだろう。けれど、耳は興味深げにエディアス様の方を向いている。


「人間は弱い。ラング領の人間は魔法が使えるわけでもないし、武装しようにも物資が潤沢ではない。人手は多ければ多い方がいい。……人語を解するフェンリル、その身体能力は人間とは比べ物とならない。これからの平和のために、今はこの地域で争っている場合ではない」


「見返りは?」


「森側の水源の不可侵条約と、フェンリルたちの名誉回復。食料はすぐには用意できないが、協力して魔の森の開拓にあたってくれると言うのなら、いずれはフェンリルの好む嗜好品も開発できるだろう」


「今ここにない餌をぶら下げて、人間どもの傘下に入って小間使いをしろと?」


「僕の部下になれとは言わない。一代限りの聖女との契約だ。いつの日か、聖女がこの地を去った時は、残された人間との関係を見て、フェンリル族の行く末を決めればよい」


「ふん」


 ラーミヤはどっかりと腰を下ろし、ぺろぺろと毛づくろいを始めた。そんなラーミヤに対し、エディアス様は懐から包みを取り出して見せた。


「肉か?」


「これは森で獲れた魔猪の肉を、聖女が浄化したものだ、小麦、塩、砂糖は貴重品のため、そう簡単に渡せない。労働力をこちらに提供してくれるならば彼らの分の肉は優先的に渡そう」


「……よいだろう」


 ラーミヤは昨日の夜、夜食のサンドイッチを食べてしまった。その中の干し肉の味が大層お気に召したらしい。


「我らがフェンリルは、聖女の眷属となり、この地に生きる人間達と共存の道を選ぼう」


 こうして、ラング領とフェンリルの同盟が結ばれることになった。


 友好の証として食料を受け取ったラーミヤが森の入り口で一声鳴くと、たちまちに数頭のダークフェンリルが現れて、荷物を運んでいってしまった。……彼らは領地のすぐ近くにいるのに、私達は気配を察知する事ができていない。……エディアス様が同盟を提案しなかったら、どうなっていたか。



「まさか、昨日の子犬がフェンリルだったとはね。忙しすぎて、注意力が散漫になっている」


 ラーミヤが森の中に消えてしまってから、エディアス様はゆっくりとため息をついた。


「仲裁してくださって、ありがとうございます。皆、いい人なのはわかるけど少し好戦的過ぎるところがあるというか……エディアス様がいてくださって、良かったです」

「皆には苦労をさせてしまったからな。僕の責任だ」


 エディアス様は焦げた匂いのする、魔の森の奥をじっと眺めている。


「……まだ、安心はできません、よね」

「ああ。……これから、シェミナとの戦いが始まる。後続の憂いは断っておかなければいけない。彼らは僕たちが望むものを渡せなければ、牙を剝いてくるだろう。あのフェンリルは若い。長である事に疑いはないけれど、群れの中では相当な穏健派だろう。……期待されている内に、成果をださないとね」


「もちろんです」


 ラーミヤはかわいいだけの生き物ではない。……すでに、舐められているような気もするけれど、と言うのは、わざわざ口にしないでおこう。


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