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ラーミヤ①

 朝の空気をつんざくような、メイドの絶叫で目が覚めた。


 部屋に私以外の巨大な獣──白銀に輝くフェンリルがいたからだ。普段は眠りが浅いのに、どうやら熟睡してしまったようだ。不覚。


「だ、だ、だ、誰か! 大きな犬が、聖女さまを……!」


 メイドの悲痛な叫び声に、ラーミヤはのそりと巨体を起こした。


「うるさい人間だ。食べてしまおうか」

「やめて。浄化をすれば、ラング領の人間には手を出さないと言ったでしょう」


「冗談だ」


 ラーミヤはぺろりと舌を出して、メイドが運んできたカートの検分を始めた。


「飲み物は水でよい。この泥水のようなこひーとか言うものは好かぬ。我はこのパンとかいうものを食べたい。塩気があるものと、甘いの、両方だ」

「……いいわよ」


 返事をするか、しないかのうちに、ラーミヤはぺろりと朝食を平らげてしまった。まあ、お腹が空いていないから、別にいいのだけれど。コーヒーだけあれば十分だ。


「うむ、美味である。森にはない」

「人間と仲良くしてくれるなら、また用意してもらうわ」

「相分かった。それでは、200ほど用立ててくれ」


「そんなにあるわけないじゃない、このラング領の状態を長年見ているはずでしょう」


「冗談だ」


 ……思わず強い口調で口走った言葉に、ラーミヤは再びぺろりと舌を出した。私、おちょくられている。脱力して座り込むと、ラーミヤはふんふんと私の匂いを嗅いできた。……汗臭くは、ないと思う。


「聖女と言うからどれほどのものかと思えば、やはり普通の娘だな」

「……ありがとう」

「褒めてはいない。けなしているのだ。訂正しよう。普通より阿呆と見える」


 ラーミヤはフェンリルの長らしく、横柄だ。けれど、かつての家族や王都で受けたような、侮蔑の感情ではない。ラーミヤは人間ではないから、このような歯に衣着せぬ言動をするだけなのだろう。黒曜石のような瞳をじっと見つめると、ラーミヤは頭を下げて、私にすり寄ってきた。撫でてもいい、ということだろうか?


「フェンリルの体がうらやましいか? まあ、お主の体は貧相だからのう」

「貧相って……」


 触ってもいいと言うのなら、遠慮無く。そっと美しい毛並みを手で撫でると、ラーミヤはまんざらでもなさそうに目を細めた──ように見えた。しっとりとした白銀の毛は、長年瘴気の濃い魔の森で過ごしていたとはとても思えない。アーバレスト家の屋敷にだって、こんな上等な毛皮はないだろう。機嫌を損ねないために、絶対に口にはしないけれど。


 しばしもふもふとの戯れに心を奪われていると、突然、ひゅっと風を切る音がして、私とラーミヤの間に『何か』が割り込んだ。早すぎて気が付かなかったけれど──横目で何が起きたのか確認すると、木の枝が壁に突き刺さっているのが視界の端に映った。


「な……」


 古い建物とは言え、木の枝にそれほどの強度があるはずもない。魔法の力によるものだ。扉の方向を見やると、部屋の入口に、カイルが立っていた。──目が笑っていない。


「アリア様。冬に向けて毛皮のコートはいかがでしょう。白い毛皮は、アリア様の御髪によく似合います」


「妖精か。うろついているのを知っていたが、随分と偉そうにして。我に牙を向けた代償は高くつくぞ」


 カイルが人ならざる存在だと理解しているにも関わらず、ラーミヤはまったく動じていない。それどころか、いつでも取って食ってやろう、と言う余裕すら感じる。


「子犬のふりをしてアリア様をたぶらかそうとは、許せぬ。私はその牙でアリア様とおそろいの耳飾りを作るとしよう」


 不穏な言葉とともに、窓からカーレンが入って来た。扉にカイル、窓にカーレン、中央に私。私……は何もするつもりがないけれど。


「挟み撃ちとは、小賢しい妖精が考えそうなことよ」


 二人はじりじりと距離を詰めているが、攻撃をしてくる様子がない……私がラーミヤのすぐそばにいるため、動くに動けないのかもしれない。


「おや、そんなにこの娘が大事か」


 ラーミヤはまるで見せつけるように、私に頬をこすりつけてきた。……ひげがくすぐったい。


「おのれ、許せぬ。俺のアリア様に……」

「私のアリア様だ」


 カイルとカーレンの二人が同時に、剣呑な音を立ててサーベルを抜いた。


「二人とも、危ないからやめて。あなたたちも、ラーミヤにおちょくられているのよ」


「……アリア様がそうおっしゃるなら」

「一時休戦といたしましょう」


 二人がしぶしぶと言った様子で構えを緩めると、ラーミヤは喉の奥でくっくっと笑った。


「敵かどうかも確認せずに、いきなり攻撃を仕掛けるような輩は、護衛として不適格ではないのかね。聖女がとろくさい動きをすれば、本人に命中していたやもしれぬのだから」


「これだからフェンリルは物を知らないと言うのだ、このでくのぼうめが」

「なに?」


「我々はアリア様の騎士。貴女を害することは、決してできないのです」


「どうして?」

「そういうものだからです」


 思わず尋ねると、カイルは白い歯をにっと見せて笑った。


 ──私が暴走して、聖女らしからぬ振る舞いをした時、彼らはどんな行動に出るのだろう。予定はないけれど……なんとなく、そんな事を考えてしまった。

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