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招かれざる客③

 

「くっ……」


 声は出なかった。


 フェンリルは、先程までの子犬とは似ても似つかない禍々しいオーラを放っている。


 鋭い爪がぎりぎり肌には食い込まないが、あとほんの少し力を入れれば、私の体はずたずたになってしまうだろう。フェンリルは理性的に力をコントロールし、恐怖によって私を支配下に置こうとしているのだ。


「今日一日、人間どもの話を聞いていたが、どうやらお前が我らの住み処が焼かれた原因のようだな」


 私たちが直接的に森を焼いた訳ではないが、原因である事は否定しようがない。


「人間たちの戦いに巻き込んでごめんなさい。けれど、一方的に向こうが攻撃をしかけて……」

「ふん。我々にとって、人間の小競り合いなど関係ない」


 フェンリルの長い尾が、ふぁさりと私の頬を撫でた。


「問題は、我々の生活が脅かされた。ただそれだけの問題だ」


 フェンリルは鼻を鳴らすと、威嚇するように牙を見せて唸った。


「もとより我らフェンリルは人間どもにマナを独り占めされ、魔の森に追いやられた。それも不名誉な魔女のしもべと言う冤罪つきで、だ。長年の生活で美しかった毛並みはすっかりと瘴気に汚染され、黒くなってしまった。呪いのように子孫にも遺伝する──我慢がならん!」


 怒りに満ちた声だった。安住の地を失って、今まで押さえてきたものが溢れ出してしまったのだろう。フェンリルはなおも言葉を続ける。


「ここ何十年かは、人間どもの頭目となった雄が我らの生活を脅かすことなかったため、均衡状態を保っていた。忌々しい妖精騎士が我が物顔でうろついていても、魔猪の数を勝手に減らしているから利があると、許していた。その甘やかしが、このザマだ!」


「あなた達の生活を脅かしたのは、確かに私たち人間の……私が、ここにいるせい。それは申し訳なく思っています。この償いはいつか必ず……」


「人間の言うことなど、信じられるか!」


 フェンリルは大きく吠えた。これだけ騒ぎになっているのに、誰一人この部屋に様子を見にやってこないと言うことは、なにか仕掛けがあるのかもしれない。


 ──怒りをおさめるために、なんとか説得しなくてはいけない。


「本当よ。……世界樹に、誓うわ」

「ふん。世界樹に誓うとは、まるで聖女のような事を言う」


「……だって、私が聖女だもの」


 フェンリルが鼻息を荒くしながら、私を小馬鹿にしたような目で見下ろしてきた。


「確かに、世界樹が目覚めた事は我々も知っている。しかし聖女が本当にいるのなら、魔女の攻撃など意に介すはずもない」


「そうかもしれないけれど……そうだ、湖が復活したことは知っているでしょう?」


「むっ」


 フェンリルは私の上にどっかりと乗せていた足をよけた。あの時は良く見えなかったしそもそも知らなかったのだけれど、思い返せば確かに湖畔で水を飲んでいたのはフェンリルの群れだった。


「……では、本当にお前が聖女だと言うのか?」

「……そうね。あとは、エディアス様……あなたが人間どもの頭目と呼んでいた男性。彼が人間の姿に戻ったことに気が付かなかった? あれも世界樹の力よ」

「むう。確かに……いや、しかし。あの雄はにおいが変わったから別個体だと思っていた」


 フェンリルは床に座り、ぺろぺろと毛づくろいを始めた。……今すぐ私を牙や爪で引き裂こうという気持ちは消えたのかもしれない。


「世界樹の聖女がこちらに居を構えるということは、魔の森も浄化するつもりか?」

「そこまではまだ何も考えていないけれど……」


 正直に言うと、フェンリルの毛がぶわっと膨らんだ。機嫌を損ねると、何が起きるかわからない。言葉は慎重に選ばなくては。


「いえ、もしそこにいる生き物がそれを求めるなら、いずれは協力するわ。ほら、水辺だって、私たちは共有しているわけだし」

「ふうむ。今は人間同士の小競り合いで手いっぱいだから我々のことは後回しだと?」

「そう言われてしまうと何も言えなくなってしまうわ……」


「ふ。聖女と言えど、所詮人間。無責任なことだ」

「本当に、申し訳なく思っているわ」

「本当か?」

「本当よ」


「それでは、もしお前が真に聖女だと言うのならば、この体を浄化してみせろ」


 フェンリルは鼻をひくひくとさせて、私を頭のてっぺんからつま先まで眺め回した後、ぐっと伸びをしてから、尊大に告げてきた。


「──元々フェンリルは白銀に輝く、世界樹の使いであった。あるとき、フェンリルの長が魔女に傅き、世界樹に反旗を翻した──その罰として、フェンリルは黒い瘴気にまみれた体になり、豊穣の大地を追われた」


 ──私が昔話で聞いた通りだ。


「そんな訳があるものか! 我々は薄汚い人間どもに濡れ衣を着せられ、追いやられたのだ!」


 フェンリルは自分で説明をしておいて、激昂し始めた。なにやら一族の不遇に相当想うところがあるようだ。それが、今回住処を破壊された事で我慢の限界がきてしまったのだろう。


「伝承はうそっぱちだったと、私も皆に話しておくわ」

「そうしてくれ」


 気位は高いけれど、フェンリルは一族の不名誉や安全を脅かされた事に憤っているにすぎない。真剣に向き合えば、話が通じるような気がしてきた。それに、彼? 彼女?の話を聞いていると、夜が明けてしまいそうだった。


「……ひとまず、あなたの体を浄化する事ができれば、私の事を聖女だと信じてくれる?」

「ああ」

「ラング領を襲わないでいてくれる?」

「前向きに検討しよう」


 フェンリルは立ち上がり、ぶるりと身震いをした。


「さて、我を清めてみせよ。それができないようであれば、我がお前を食ろうてくれようぞ」


 ……これは覚悟を決めないといけない。私は目を閉じ、胸の前で両手を組んだ。


 ゆっくりと深呼吸をし、自分の中のマナの流れに集中する。手を伸ばし、体内から湧き出るマナを、フェンリルの体にがっちりと食い込んでいる瘴気にぶつけるように、一気に押し込む。


「……!」


 フェンリルの体が一瞬びくりと震えると、黒い霧のようなものが吹き出した。その様子はまるで煙幕のようにフェンリルの回りを覆っていき、あっという間に部屋中に充満したかと思うと、一瞬のうちにぱっと消えた。


 部屋に残されたのは、私と──神々しいばかりに白銀に輝く、一頭のフェンリルだけだった。


「これで、どうかしら」

「おお……」


 フェンリルは頭を左右に振り、自分の前足や尾を眺めた後、とことこと壁際にかかっている鏡を覗き込み、満足げにうなずいた。


「見事だ。まさに聖女の奇跡……感謝する。我の名はラーミヤだ」

「ラーミヤ……」

「あした、皆のものを連れてくる。皆の浄化も頼むぞ」


 ラーミヤはご機嫌に、豊かな毛並みの尾を振った。窓から差し込む月明かりを受け、より一層輝きを増した体は、神獣と呼ぶにふさわしい存在だと思えた。


「え、えっ……?」

「この姿をみて、皆うらやましがるだろうからな。我は一人だけ利益を貪る下等種族ではないのだ」


 ラーミヤはそれだけ言うと、用事は済んだとばかりに私から視線を逸らし、今度はテーブルの上の夜食に目を付けた。上手に鼻先を使って布と蓋をずらし、夜食をすっかり平らげてしまった。


「うむ、うまい。なるほど瘴気を浄化する聖女のそばにいれば食い物が増える……」

「あの……」

「お代わりはいらんぞ」

「そういう事ではなくて……」


 やはり、人ならざる者の相手は私には荷が重い時がある。けれど、フェンリルの長であるラーミヤの怒りが収まったことで、私が食い殺される可能性は大幅に下がったという事だろうか?


「さて。我は満足だ。収穫としては上々と言えよう」


 ラーミヤは満足げに、白いシーツの上に寝そべった。独り寝には大きすぎる寝台は、まるで誂えたようにラーミヤにぴったりだ。


「あの」

「ん? なんだ、苦しゅうない、近うよれ。お前は小さいから、腹のあたりでも十分に眠れよう」


「帰らないのね……」

「何か言ったか?」

「いいえ」


 ……とにかく、ラーミヤにはもう、敵意はないようだ。瘴気を浄化したせいか、はたまた緊張のせいなのか、私は久し振りの、心地よい眠りに引きずりこまれていった。

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