世界樹③
「ねえ、カーレン」
「はい」
「この花、水につけておいた方が長持ちすると思う?」
「いいえ」
意味があるのかないのか分からない会話をしながら、私は慎重に屋敷の中を進む。今、この国の命運を左右しかねない世界樹の花を──いくら権力や財があっても手に入れる事のできないものを、私がポケットにいれている。
「こんなときに相談できるのは、やっぱり……」
エディアス様の扱いに揉めているのに、エディアス様に相談したいと思ってしまう私は一番彼に依存しているのかもしれない。
「カイルがエディアス・ラングの魂を見つけさえすれば、その世界樹の花で復活させることはたやすいと思うのですが」
「ちょ、ちょっとカーレン。声を抑えて」
どこでアルフォンスやティモシーが聞きつけるか分かったものじゃない。深いため息をつきながら、廊下を進む。世界樹の花をどうするか? 時間がない。そもそもエディアス様だって見つかっていないのに……。
『アリア……』
エディアス様の執務室の前を通りかかった時、ふいにエディアス様の声がした。
「エディアス様!?」
突然の声に振り向くとふよふよと、タンポポの綿毛のような光が浮いていた。けれど、これがエディアス様ご本人だと、私にははっきりと理解できた。
「こんなところにいらっしゃったのですね……」
手を差し伸べると、エディアス様らしき光はふわりと私の手の平の上に降りて来た。どうやら、ある程度は自分の意思で移動できるようだ。
「今まで黄色い光がある、暖かいところにいたんだ。そこがマナの中だったのかな……」
「ええ、きっとそうです」
「急に一か所、外の風景が見えて。君が見えたからついてきた」
「おやエディアス・ラング。どこにも居ないと思ったら、世界樹に取り込まれていたのですね」
カーレンが私達の謎を解いてくれた。エディアス様は世界樹の内部に取り込まれていたが、世界樹の花とともに脱出してきたようだ。
「アリアは、ずっとあそこにいたんだね。つらかっただろう」
「いえ……私の事は、どうでもいいんです。ああ、ひとまずエディアス様が見つかってよかった……」
なんだか、この状態のエディアス様が見つかった事を他の人に知られるとまた騒ぎになりそうなので、私は一旦、エディアス様を手の平で包み、執務室に入った。
中ではセバスチャンがエディアス様の代わりに仕事をしていたが、私とカーレンを見て軽く会釈をし、視線を書類に移した。私達の行動はいったん見なかったことにしてくれるようだ。
「カーレン、ここにいてセバスチャンのお手伝いをしてあげて」
「よ、妖精は書類仕事なんてできません」
珍しく狼狽したカーレンを置き去りにして、隠し通路を降りて、エディアス様の肉体が納められている棺の元へ向かう。
「エディアス様……」
解放すると、彼は再び、ふよふよと空中に浮き始めた。
「しばらく屋敷の中を見ていたけれど……皆、落ち着いているみたいだね」
「ええ、まあ……」
「達成感で緊張の糸がぷつりと切れて、そのまま魂と体が分離してしまい、一体どうしたものかと思っていたけれど……こうして、皆が僕がいなくなった後もきちんと動けているのが分かってよかった」
表情をうかがい知れる要素なんて一つもないのに、エディアス様がふわりと微笑んだ気がした。
エディアス様は、再び私の手元にゆっくりと降りて来た。
「元々、無理があったんだ……術者が寿命でなくなってしまったあと、ここまで持ったのは奇跡だよ。いくら優秀な子供たちでも、魔法の適正というものがあるからね……」
「……はい」
「屋敷の中ではアルフォンスを見かけなかったけれど、彼は今、なんとかして僕を戻そうとしているんだろうな」
「……わかります?」
「そりゃあね。長い付き合いだもの」
長い付き合い、という言葉に私が居なかった時間の重みを感じて、きゅっと胸が痛んだ。
「ごめんね、そういう意味じゃないよ」
エディアス様は私の手の平の上で、まるで私をあやすみたいにころころと転がってみせた。
「君は暖かいね」
「そうでしょうか? 自分としては、あまり体温が高い方ではないと思うのですが……」
「こうして触れていると、アリアがここにいるという事が実感できる。だから、しばらくこのままでいさせてくれ」
「はい……」
そのまま時がゆったりと流れていくのを感じていると、エディアス様がぽつりぽつりと語りはじめた。
「この五十年、必死に君の事を忘れないように生きてきたけれど、どんどん記憶が薄れて──時々、本当に『アリア』は存在したのだろうか? と不安になる時もあった」
「……っ」
「だから、一緒に過ごす仲間が欲しかった。子供達は皆僕の話を聞いてくれて、一緒にここで聖女の目覚めを待つと言ってくれた。嬉しかったよ。皆には感謝している。でも、今は、僕の願望が果たされたあと、彼らを残して行くのが心苦しい。けれど、もう、手を離さなくてはいけない時が来たのかもしれない……」
「エディアス様……」
彼は自分の天命が尽きかけているのを静かに受け入れつつも、残された家族が苦境に陥る事を心配している。どこまでも、優しい人なのだ。どうして世界は、この人に、王になる資格を与えてくれなかったのだろう。エディアス様が王位継承権を持っていれば、今のような苦しみはなかったかもしれないのに……。
「君には世界樹があり、そして妖精騎士もいる。ここの領民たちは皆君を敬愛している。時には君に頼り、もたれかかろうとするかもしれないが、根底にあるのは思慕だ。それだけは信じてほしい」
「はい」
「一緒にラング領に来てほしい、と言ったのに、短い間しか約束を果たせなくてすまないね」
「……っ」
時間は、作ることができます。そう、喉元まで出かかった。私は世界樹の花を持っている。その力を使えば、エディアス様を元気にすることはできるだろう。けれど、それはエディアス様に、もう一度困難な人生を──それこそ、今度はもっと大変かもしれない──を、やりなおせと言っているのと同じだ。
けれど、彼の息子達と同じように──いや、それ以上に、私はこの人を失いたくないと思っている。
「エディアス様。もし……もしですよ。世界樹の力で、元の肉体を取り戻し、呪いをとき、元通りの、私と一緒に居た頃の体に戻れるとしたら……どうします?」
「はは。もしそのような事が可能だとしたら……僕はそうとう、王家に恨まれるだろうね?」
エディアス様は、その様子を想像したのか、少しおかしそうに、笑った。
「私が……それをできると言ったら……どうしますか?」
私は卑怯だ。今一人にされたくないと、自分勝手な事を考えている。
「そうなったら……大変……だろうね。今までよりも何倍も働いて、王家に睨まれて、毎日胃が痛くなりそうだ」
「……そう……ですよね」
次に紡がれたのは、意外な言葉だった。
「……でも……めちゃくちゃに暴れてみたい気持ちもある」




