世界樹②
アルフォンスは静かに私を見つめている。
「……それで……?」
その深刻な様子に、私はあえて、わかっていないふりをして疑問で返した。付き合いは短いけれど、彼が何を言いたいのか──ずっと私に何を求めていたのかが、今やっとわかり始めてきていた。
「このまま今の王家に世界樹を任せたところで、同じ事が起きるだけです。この国は良くならない」
「いいえ。安定したマナの供給が始まって、この国は良くなるはずだわ」
「なりません」
「それは、あなたの……」
「女王シェミナは永遠の命を得ようとしています」
……シェミナは確かに自分勝手な性格と言えるだろう。けれど私は、あのような仕打ちを受けてもまだ、それほどまでに……と血の繋がった妹の非情を信じたくない気持ちがほんの少しだけある。
「世界樹が発芽したところで、別に悪人が改心するわけではありません。現に、アリア様を監禁したり、領民が困るのを知っていて水を止めたりしていたでしょう?」
「それは、そう……だけれど……」
「私達は、王家に対して不信感を持っています。あの国は腐っている。だから、世界樹は……あいつらに渡す事はできないのです」
「その結果、この土地に何が起きるのか、分かって言っているのよね?」
「私個人の決定ではありません。エディアス様に育まれた子供達は皆、同じ気持ちです。シェミナが世界樹の力によって若さを得られるのならば──その力を、エディアス様に使えば──」
この領地は貧しいけれど、強い結束力がある。それは王国中枢に対する反骨心と、ひとえにエディアス様の人望のたまものだろう。けれど。
「あなたはエディアス様を王にしたい。それを、エディアス様は了承しているの?」
「……」
彼に権力を手にしたいと言う願望がない、と言うのは私が一番良く知っている。彼はただひたすら、自分を頼ってくる人を救いたい──それだけの気持ちで、走り続けてきたのだ。そうして今、おそらくは、肉体も精神も、その役目を終えようとしている。
「彼は、弱っているのよ」
エディアス様の命の灯火は消えかけている。それは自然の摂理でもあるし、私と──皆が、彼に負担をかけ続けてきた結果でもある。再会できたことは嬉しい。まだ一緒にいてほしいと思う。けれど、聖女の力を使って、彼に、私たちにお別れを言う以上の時間を再び与える。
それはエディアス様の人生を、更なる困難に導くということだ。
「しかし、戦わなければ……私たちに未来はありません」
「……私に、その手伝いをしてほしくて、優しくしてくれたの?」
「……それだけではありません。あなたは、私と……皆の母です。もちろん、平穏に暮らして欲しい気持ちはあります。けれど、私は……大人になれなかった皆の分まで、たとえこの手が汚れようとも……長男として……皆のために……」
絞り出すようなアルフォンスの声に、私は彼がアルフォンス・ラングになる前──エディアス様に出会う前は、そうとうな苦難と、憎悪にまみれて生きてきたのだろうと思った。彼にとっては、この国は滅ぼすべき敵なのだ。
「……少し、考えさせて。気持ちの整理がつかないの」
アルフォンスの言うことは所々納得できたし、できない事もあった。
エディアス様は静かに眠っており、領地の開拓は代理によって粛々と進んでいる。
エディアス様は、自分がいつかいなくなることを理解しているからこそ、後進を育て、それはある程度の成功をおさめている。
けれど、王都は世界樹がいなくなったことに、すぐ気が付くだろう。確実に報復はある。私が意図せずとも、世界樹をこちらに移動させてしまった事は事実なのだから。
そうなった時、私は一人でどう立ち回ればいいのだろうか──。
答えは出なかった。私たちはまずはエディアス様の魂を探して彼の意志を確認することが先なのに、それすらできないでいる。
そんな中途半端な気持ちのまま、私はカーレンと共に、日課となった世界樹の元を訪れている。
世界樹は人間の悲喜こもごもなど我関せずと言った風で、すくすくと成長し、艶やかな葉を伸ばしている。
「こうして見ると、本当にただの若木にしか見えないわね」
「アリア様の想像に世界樹が引きずられているのですよ」
「そんなものかしら」
世界樹の種は発芽を待つ間、私の肉体から情報を得ていた。だから私が「世界樹はきっとこんな風だ」と思う姿をしているのだと言う。
葉をかき分けると、ふっくらとした蕾がついていた。じっと見つめていると、ゆっくりと、目を覚ますように、蕾が開き始める。
「世界樹の、花……」
一度だけ聞いた事があった。世界樹の花。一本の世界樹につき、ただ一度しか咲かない花がある。
──煎じて飲めば老人がたちどころに若返り、不治の病が治る。
それが、これだと言うの? おとぎ話でしかないと思っていたけれど、目の前にある若木は世界樹に間違いがない。
つまり、私の目の前にはその伝承の花があるのだ。
「世界樹には、聖女以外触れる事が出来ません」
カーレンは静かに告げた。それが本当ならば王家が私を取り込み、あそこにとどめようとしていたのが理解できる。
──これがあれば、エディアス様は元気になる?
心の底から自然にわき上がってきた希望のような感情に、小さくため息をつく。自分が何をしたいのか分からなくなっていたからだ。
ただ漠然と人々の役に立ちたいと思っていたけど、それにエディアス様を巻き込むかどうかは別問題だ。
今まで苦労してきたエディアス様が、肉体を取り戻し、聖女の後ろ盾を得たとしたら──領民たちは、エディアス様に頼りつづけるだろう。私だってそうだ。
それは彼にとって幸せな事なのだろうか? 私の来訪によって、彼の人生を再び引っかき回してしまうのではないか。
現に、今もそうなっている。
けれど──。
「アリア様?」
声をかけられて顔を上げると、カーレンが心配そうに私を見下ろしていた。
「どうかしましたか?」
「いえ……。何でもないわ」
立ち上がろうとすると、その拍子に花がぽろり、と落下してしまった。
「あっ……!」
「もう完全に、開花したようですね」
とんでもないことをしてしまったと思ったが、白い花は枯れた訳ではないらしい。
「花を、このままにしていたらどうなるの?」
緑の芝生にまるで作り物のように転がった花を、私はこわごわと眺めた。
「枯れます。そうして役目が見つからなかった花は、マナとなって再び地中に還るでしょうね」
見なかったことには、できなかった。私は世界樹の花をハンカチにくるみ、籠に入れて持ち帰ることにした。
──シェミナはこれを求めている?
王太后は魔術の才能と王都に集約したマナを使い、美貌を保ち、自身の子や孫すら駒のように使っている。自分の意にそぐわない者は遠くに追いやり、王都からあぶれた国民を押しつけ、それなのに生命の源である水をせき止めてしまう。そんな事を平気でする人が、再び若さを──人智を超えた力と、人生をもう一度やり直せる寿命を得てしまったら?
私はシェミナを恐れている。それは今も昔も変わらない。
アルフォンスの言う通り、本当に立ち向かわないとといけないのだとしたら。私一人では、きっと戦えないのは、本当なのだ。




