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アリアとシェミナ②


「嫌……っ!」


 何とか、穴の縁にしがみつき、這い上がろうとする。シェミナはぞっとするほど冷たい目で私を見下ろし、ゆっくりと口を開いた。


「他の人達が教えてくれたわ。別に大がかりな儀式なんて行わなくても、今すぐに姉さんが飛び込めばいいのよ」

「な、なに、を……」


「封印されて、目がさめた時にはおばさん。冗談じゃない」


「そんなの、姉さんがやるべきだわ!」


 シェミナの履いていた宝石を縫い止めた靴が私の手を踏みつけ、明確な悪意を──痛みを与えてきた。シェミナは聖女の務めから逃げて、私一人をマナの泉に突き落とそうとしているのだ。


「い……いやっ!」

「だって、エディアス様は待つって言ったんでしょ? ならいいじゃないい。私は姉さんとは違うわ。国にはまだマナがある。姉さんが五十年かかったとしても、王都で暮らす分には十分だって聞いたの。私は魔法が使えるから、姉さんよりもっと有意義な事が出来るわ」

「そ……そんなことをしたら、貴女だって、今までみたいにごまかせないわ……!」

「大丈夫よ」


 シェミナはにっこりと、優雅に、笑った。


「だって、私、お腹の中に子供がいるの」

「え……」

「だから、私のために聖女になって」


 ぐりっと、思いっきり踏みつけられて、ついに私はマナの泉に落ちてしまった。


「いやああああっ!」


 全身を取り巻く、肌が泡立つ感触に抗って瞼を開くと、うすく黄色に輝く透明な膜が私の全身を包み込んでいた。「それ」は皮膚から私の体の中に入り込み、肉体を作り替えようとする。もがいてももがいても、それは泥沼の中で足掻いているのと同じことだった。


「……いやっ!」


「ごめんなさい。でも、仕方がない事だったのよね」

「……っ、シェミナっ!」


シェミナは薄く笑った。その表情には、罪悪感のかけらもなかった。


「じゃあ、さよなら」


 どんどん体は沈んでゆき、やがて私の体は完全にマナの泉に取り込まれた。最後に見たのは、勝ち誇ったように顔を歪めている妹の顔だった。


 けれど、意識はまだあった。浮上することはできないけれど、私は母親の胎内に居る赤子のように、マナの泉の中で生命を繋いでいた。


 遠くで、誰かの話し声が聞こえる。


「お……お姉様が、私を突き落とそうとして……必死に逃れようとしたら、こんな事に」

「あの女は自分だけが封印されたくないと、シェミナを犠牲にしようとしたんだ」


「……アリアはそんな人間ではない! ホアキン、お前……お前は本当に、一方だけの発言を信じているのか!?」


「兄上。どのみち聖女は選ばれた。世界樹はもう眠りについている。発芽まで時間はかかるかもしれないが……これでよかったんだ。シェミナは聖女かもしれないが、彼女の中には新しい命がある。アリア一人と、無垢な命を──未来の王位継承者を抱えるシェミナ。もう、彼女一人の体ではない以上、最初から聖女として眠りにつくことはできない。彼女はきっと、そうなる運命だったんだ」


 会話はそこで途切れた。現実のものなのか、それとも私が見ている夢なのか、それはもう、わからなかった。


 次に聞こえてきたのはシェミナの声だった。


「姉さん、ご機嫌いかがかしら? あなたのおかげで王妃になって世継ぎを産むことが出来たし、姉さんが世界樹の苗床となって、私のもとにマナをもたらしてくれる。これでこの国は救われる。私は幸せよ」


「アリア姉さん。──私の為に生まれてきてくれてありがとう」


  シェミナの笑い声が頭上から降ってきたその瞬間、私の心の中で何かが壊れる音が聞こえた気がした。


 自分はこんなにも恐ろしい所に落とされたというのに、シェミナの声は、確かに笑っていたからだ。シェミナの声もまた、次第に遠くなってゆき、やがて聞こえなくなった。


 私の意識はマナの泉に徐々に溶けてゆき、起きているのか、眠っているのか、生きているのか、死んでいるのか──それさえわからなくなる。……いつの間にか、恐怖は消え、私の中から怒りや悲しみ、恨みのようなものが徐々に薄れて、器として作り替えられていくのがわかる。


「アリア……アリア」


 泣きながら私の名前を呼ぶエディアス様の声が聞こえてくる。彼の涙をぬぐってあげたかった。でも、それすらもできなくなってしまった。


 こうして、私は世界樹の聖女となった。

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