再会①
「……アリア様?」
不安げなアルフォンスの言葉に、はっと顔を上げる。
「ごめんなさい、少し考え事をしていて……」
どうやら白昼夢を見ていた。国の現在の状況をアルフォンスが説明してくれていたはずなのに、私の心は、いつの間にか過去の事を思い起こしていたのだった。
私たちはアルフォンスがひそかに用意した荷馬車に乗り、夜のうちにひっそりと王都を出た。
王都の城門を超えると、外の世界は想像よりずっと活力がなかった。王都から離れるにつれ、打ち捨てられた集落の跡が目につくようになる。
私が眠っていた五十年の間に、国はすっかり衰退してしまっていた。
「今国内に残存しているマナはほぼすべて王家が管理しており、平民のいる地域には行き届いていません。……尤も、王都内にあるマナも尽きかけているのですがね」
マナがなければ、植物の生育に悪影響が出るし、何より瘴気を浄化することができなくて、水や土が汚染され──人間の体に蓄積し、命をむしばむ。国力とはつまり、人間の数そのものだ。働き手をないがしろにしては、国は先細るばかりだ。
「私が封印される前、王都のマナはあと八十年ほどの備蓄はあったはずだけれど」
私の疑問に、アルフォンスはしかめ面をした。
「王太后は自分の才と、王家の権力を駆使して、王国のマナを自分の美貌を保つために使っています」
「そんな……」
私一人を聖女としてマナの泉に落とした後、シェミナは王太子妃の座についた。国を救う聖女としての触れ込みで、だ。私の存在は抹消され、世界樹を発芽させるために身を挺して国に尽くす美しく、才能に溢れた王妃──それがシェミナに対する世間の印象だと言う。
確かに彼女には人並み外れた魔術の才があった。しかし彼女はそれを国のために使う事はせず、王都に集約されたマナを自分勝手に使い続けていると言うのだ。
「公にはされていませんが、彼女は魅了の魔力を持っています。それはマナの力を得たことによって、更に上位の「支配」の域に到達しました。並の人間では逆らう事は出来ないでしょう。王は母親……つまりシェミナ王太后の傀儡です」
背筋に薄ら寒いものが走る。城内は完全に服従しているか、反骨心を抱きながらも、自分勝手にも聖女の力を我が物にせんとする人間の集まりだった。もう、まともに国をよくしよう、と言う貴族はこの国にいないのかもしれない。
「王太后シェミナは世界樹の力を使い、不老不死の研究を進めたいと考えているようですね」
「そんな」
不老不死。妹は、そこまで夢見がちなことを考えているのだろうか──?
「自分は大臣から引き抜きの提案を受けましたから、あながち法螺でもないかと」
「でも、世界樹が成長すれば……多少、その力を多めに享受する人が居たとしても、国は栄えるのではないかしら……?」
順調にマナを吸い上げるようになれば、不足分はなく、国民全てに行き渡る様になるだろう。しかしアルフォンスは同意見ではないらしい。
「……我らが父であるラング公爵は、王家とは距離を置いています」
「国政には全く関わっていないと言うの?」
確かに、城内ではまるでラング公爵の影響力はないように思われた。アルフォンスが城内で神官としての立ち位置を得られたのは、ひとえに彼の才能のたまもので、そこに家柄に関する忖度はないように思われて仕方がなかった。
「はい」
アルフォンスは一旦言葉を切った。言うべきかどうか、葛藤がある──彼と知り合って数日だけれど、それははっきりとわかる。
「ラング公爵領は、今どうなっているの?」
言い淀んだアルフォンスの態度で、あまり芳しくない状況だと言うのが手に取るように分かった。もともと肥沃な土地ではなかった。当然のことだろう。
「私も聞いた話でしかありませんが、アリア様が眠りについたあと、父上は国家に反逆したとして王位継承権と、個人的な財産のほとんどを奪われました」
「えっ……」
にわかには信じがたい事だった。エディアス様が、率先して悪事を働くはずがないのだから。
「城の人間達の私への態度を見たでしょう。ラング公爵の後ろ盾があると分かっていても、あの状態です」
「……」
「シェミナ王太后はアリア様が自分を陥れようとした結果、自業自得としてマナの泉に落ちた──だから聖女とは言えない、と言い放ちました。それに異を唱えたエディアス・ラングは恋に狂った愚かな出来損ないとして、最果ての地に放逐されました。……すべてを、奪われて」
胸が苦しい。目覚めてからのことを加えると、シェミナはまだ私のことを利用しつくそうとしているのは間違いがなかった。けれど、私を庇ったせいでエディアス様までも、全てを失ったなんて……。
「……世界樹の力を使うためには聖女が必要。しかし、権力は自分のものとしたい。エディアス様は王家に連なる人物ですが国に対する影響力を失っており、アリア様には寄る辺がない。ですから、大人しく自分の言うことを聞くだろうと判断したのでしょう」
「……さすがに、そこまでおめでたい頭じゃないわ」
どうして公爵たるエディアス様のお姿が城内にないのか、息子であるアルフォンスが軽んじられたままなのか、これで理由が分かった。──エディアス様に会いに行って、心の整理をつけて。それから──それから、私は、どうするのだろう? エディアス様の名誉を回復させるのは、あの調子だとかなり困難をきわめるだろう。
「もちろん、私は過去のすべてを知っているわけではありません。苦労を話さない人ですから。けれど……そのような仕打ちをして、身を粉にして領民を救おうとするエディアス様に手を差し伸べることもせず、後始末を押しつけている。そのような奴らが世界樹の力でこの国を豊かにする気などあるはずがありません……だから、私は……」
「アルフォンス?」
「いいえ、何でもありません」
アルフォンスはにっこりと笑ったけれど、そのまま沈黙してしまった。会話がなくなってしまったので静かに馬車に揺られていると、馬を操っていたカイルが前方に何かを見つけたらしい。
「アリア様。ロバですよ」
「そうなの……」
いきなり言われても、なんと反応して良いのか困る。妖精からするとロバは珍しい生き物なのかもしれないけれど、彼の事をどう扱うべきか、まだ考えあぐねている。
「ロバがこちらに手を振っていますよ」
「おい、何言ってる。四足歩行の動物がそんなことをするはずがないだろう……あれは、ティモシーじゃないか!」
アルフォンスが身を乗り出したと思ったら、いきなり大声を上げた。その名前には聞き覚えがある。
「ティモシーって、あなたの弟の?」
「はい」
一緒に神官をしていて、一足早く報告のためにラング領に戻った弟。ちょうど彼が戻ってくる時に合流できたのだ。
「アリア様!」
合流したティモシーは、名乗る前から私が誰なのか分かったようで、ひとなつこい笑顔で駆け寄ってきた。焦げ茶の巻き毛がもこもことして、まるで羊みたいだ。……アルフォンスにはもちろん、エディアス様にもまったく似ていない。……もしかして、奥方が複数いたりするのだろうか……いや、エディアス様に限ってそのようなことは……。
「ああ、アリア様! 本当にお目覚めになったのですね」
「ええ。ティモシー、これからよろしくね」
私の存在は歴史から抹消されているはずなのに、よく一目で分かるものだと思う。隣に座っているカーレンの方が、黙っていればずっと神秘的で美しく、威厳があるのだ。「聖女様はこちらです」と言えばたいていの人間は信じるだろう。
「何かあったのか。危険だから戻ってこなくていいと言っていただろう」
「いや。ボクも早くアリア様にお会いしたかったのもあるし、兄さんって立ち回りが下手だから、そもそも失敗するんじゃないかと思っていて……」
「お前、相変わらず口が悪いな」
「そうかな? こんなぼろい馬車でこっそり逃げてくるあたり、何か事件を起こしたんだろうなって容易に想像できるよ。妖精を二人も呼び出してさ……」
「事件を起こしたのは人間たちであって、俺達ではない」
「そうだ。私達はアリア様のお役にしか立っていないからな」
「うわ、妖精のわりに随分言動がはっきりしているなぁ……」
ティモシーのやや呆れたような言動に、カイルとカーレンはふふんと胸を張った。妖精と言う存在については彼らの事しか知らないのだけれど、普通より力が強いと言うのは間違いが無いらしい。
「さて。ボクが来たのはただの熱烈歓迎のお出迎え、だけではなく。アリア様。エディアス様より、書簡を預かっております」
ティモシーが向き直り、私にうやうやしく封筒を差し出してきた。受け取った封筒は随分古ぼけていて、最近書かれたものとは思えなかった。震える手で、封を切る。中には便せんが一枚。
「ラング領にて、君を待ちます」
その言葉だけで、十分すぎるほど伝わった。
エディアス様は、私達の人生が交わらなくなってしまったあとでも、かつての約束を果たそうとしてくれているのだ。




