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貞操の、危機?

 

 コンッと、窓を叩く音で目が覚める。いつのまにか部屋の照明は落とされており、このまま再び眠りに落ちてしまいたいと、顔を枕に埋める。


 コンコンコン。


 再び窓を叩く音が、私を眠りから引きずり出す。何故だか、その音を無視してはいけないと、私の中にある何かが訴えかけてくる。


 ……正確な位置は把握していないけれど、ここは確か城の上層階だったはず。鳥が巣でも作っているのだろうか。ゆっくりと体を起こし、立ち上がる。ふらつきはあるけれど、眠る前よりは大分ましだった。


 カーテンを開けると、手を触れてもいないのに窓がすっと開き、夜風が熱を持った体を冷やす。


 月が奇麗な夜だ。城に沿うように大木が生え、枝をこちらに伸ばして──次の瞬間、目に映った光景に、私はまだ自分が夢の中にいるのではないかと思った。


 太い木の枝の上に見知らぬ男性がいて、私に手を差し伸べているのだ。


 夜でも明るい金髪に、純粋そうに澄み渡った青い瞳。月明かりに照らされて、彼は薄く微笑んでいる。


 ──一目覚めてから、見かけたことのない男性。恐ろしいほどの美貌は、人ならざるものではないのかとすら思わせる。


 けれど、彼は紺地を基調とした騎士服を身につけていて、それがほんの少しだけ、不審さを緩和させていた。


「お迎えにあがりました、アリア様」


 彼は見た目どおりの涼やかな声で私の名前を呼んだ。目覚めてからこのかた、状況についていけない事ばかりだけれど、ああ、彼は私を迎えに来てくれたのだ──と、すとんと受け入れてしまう。


「そうなの……ところで、あなたは誰?」

「あなたの、騎士です」


 男は恭しく頭を下げると、体重なんてないような身軽さでぴょんとバルコニーに飛び乗って、私の手を優しく取った。そして、そのまま、手の甲に口づけを落とす。


 さすがに予測していない出来事に、心臓が跳ね上がる。


「きゃっ……」


「失礼。あまりに感激しすぎて、はしゃいでしまいました。……私の事はカイルとお呼びください」

「カイル」


 やはり、聞き覚えのない名前だった。家名を教えて──そう口にしようとした瞬間、背後で──扉の向こうに、誰かが近づいてくる気配がした。誰かが様子見にやって来たのだろうか?


「なんと言うんだったかな、そうそう、たしかこれは『貞操の危機』だったかな」

「え?」


 カイルはそれだけ言うと、私を抱きかかえた……と思いきや、その瞬間に手すりを乗り越えて地面へと飛び降りた。


「ぎゃーっ!」


 聖女らしからぬ叫び越えをあげてしまったのは許してほしい。


 しかし、そこはさすがと騎士の身体能力というべきか、地面は思ったよりも柔らかかったらしく、着地の衝撃はほとんどなかった。


 そのままカイルは私を抱きかかえて、軽やかな動きで走っていく。


「ど、どこに行くつもり!? 降ろして!」


 友好的な態度に油断してしまったけれど、彼はやはり危険人物に違いなかった。


「いえいえ。私にはお構いなく。アリア様は『翅のように』軽いので」

「そういう意味じゃないわ!」


 結局カイルは私を開放することもなく、悠々と森へとたどり着いた。離宮からも見えていた、城の裏手の森だろう。木々が鬱蒼と生い茂り、夜にやってくる人間はそうそういないだろう。


 森の中に入ると、カイルは立ち止まり、柔らかなコケの上に私を降ろした。


 ようやく解放された事にほっとしたのも束の間。カイルはひざまずき、私の両手を握った。見上げてくる視線の強さに、思わず息を呑む。


 カイルは一体何者なのか? なぜ、ここに私を運んだのか? 「貞操の危機」とは何を指すのか? 疑問は尽きない。まずはお礼を言うべきだろうか。いや、それよりも先に、確認すべきことがあるはずだ。


「一体、何事?」

「お助けに上がりました!」


 カイルは花がほころんだような笑顔を私に向けた。何を考えているのかさっぱりだけれど、私に敵意を持っていないことだけは信じていいのかもしれない。この感覚には、覚えがある。そう、アルフォンスと一緒だ。そう思うと、なんだか落ち着いてきた。


「そうなの、助けてくれたのね。ありがとう。何から」

「アリア様に魔の手を伸ばす全てからです」

「……?」


「カイル、おまえは言葉が足りなさすぎる」


 私が口を開こうとすると、それを遮るように、鈴を転がすような女性の声が響いた。


 あたりを見渡すと、いつの間にか、赤い騎士服に身を包んだ金髪の女性が私の背後に立っていた。……まったく気配や足音を感じなかった。まるで最初からそこにいたように。


「あらためまして。俺はカイルと言います。あなたの守護者であり、僕です。ちなみに今邪魔をしたのはカーレン。妹です」

「お前が弟だ」


 カーレン、と呼ばれた女性は勢いよくカイルの後頭部をひっぱたいた。前言撤回。やっぱり私、この状況についていけない。


「アリア様。私はカーレン。カイルの姉です。私たちは、あなたを守護するために生まれた騎士です」


 カーレンがくるりと振り向いて私に笑いかけた。その笑顔はカイルと瓜二つだ。二人は双子なのだろう。カイルはともかく、なぜかそっくりさんのはずのカーレンとは初めて会った気がしない。


「守護するために……生まれた?」


「おい、お前たち、無駄話をやめろ。アリア様がお困りだ」


 さらに奥の木の陰から出てきたのはアルフォンスだ。彼が一緒にいると言うのは、安心してよい……のかもしれない。少なくとも、彼はカイルとカーレンよりは説明が上手だから。


「それはこちらの台詞だ。神官風情が偉そうな口をきくな。我々はアリア様のために馳せ参じたのだからな。お前の指示に従う必要はない」

「……まあ、そうだが」


 カイルの言葉にアルフォンスは肩をすくめた。……どうやら、彼らは元々の知り合いという訳ではないらしい。……大丈夫なのかしら……?


「私の護衛騎士……とは言っても、あなたたちを見かけたのは初めての気がするわ」


 目が覚めた時も、部屋の周りにいた時も、双子の姿を見かけたことはない。


「そうですね。俺達は普段は別の場所におりましたので」

「……そう……」


 私が目覚めたのは数日前なのだから、そう言われてしまえばそうなのかもしれない。少なくとも、アルフォンスの知り合いではあるのだから、私の味方であることは疑わなくてよいのだろう。


「……ところで、アリア様。少し失礼しますね」


 カーレンはそう言うと、私の額に手を当てる。そしてそのまま顔を近づけ、どうするのだろうと思っていると額をぴったり合わせる形になる。


「……え、あの……っ!?」


 初対面の女性にそんなことをされてどぎまぎしてしまうのだが、男性陣が止めてくれるわけでもない。そのまま硬直していると、額越しに温かいマナの流れが伝わってきて、体の中によどんでいたものが浄化されていくような感覚がした。


 しばらくして顔が離れると、彼女は微笑んで言った。


「もう大丈夫ですよ。アリア様に盛られていた毒は浄化しました。まだ完全には聖女として覚醒していないようですから、私がお手伝いいたしました」


 カーレンはなんでもない事の様ににっこりと笑ったが、その言葉は私の心に棘のように突き刺さった。

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