エピローグ:卒業式(2年後)
「卒業おめでとう」
約束の日に、再会した。
卒業式の終了間際、卒業生退場合図前の静寂の中、体育館に澄んだテノールが響いた。
生徒は一斉に後ろを振り向いた。
「聖さん…」
「キャー王子様よ!」
呟きは甲高い女子の声に掻き消された。男子の低い声も混じっている。大半は卒業生のもので、訳の分からない在校生や観覧席の保護者は卒業生の騒ぎ振りに呆然としていた。一部の在校生は、訳が分からないながらも聖さんの笑みに騒いでいる。
その大音量の歓声は、遅れて入ってきた三人で一層強まった。在校生や保護者も加わって、収拾がつかない。
入ってきた三人。学人先輩と、透先輩と。
「なんで咲良まで…」
「佐倉七海!? キャー!!」
卒業した有名人に加え、今人気急上昇のアイドルが現れ、体育館は騒然となった。
二年前、卒業式に再会の約束をしたのは聖さんだけ。学人先輩と透先輩は聖さんと一緒に来るかな、とは思ったけど、咲良は予想外だ。
耳に痛い声が渦巻く中、通路に出て聖さんと向かい合った。視線が集中して、嫌な感じがする。それでも,、僕が行かないとこの場はどうにもならない。
「聖さん…」
「うん。校長先生には許可はとってるけど、説明しないとね」
聖さんは通路を進み、壇上へ向かった。歩く姿が綺麗だった。王子様と言われていた、二年前と変わっていない。二年前より大人の顔つきになったけど、雰囲気は前のままだった。王子様と呼ばれるに価する品格が漂っている。
近付いてくる聖さんに、卒業生は芸能人に会ったかのように叫んでいた。
「校長先生の許可を取ってたんですね」
「ああ。『万屋』で卒業生を祝いたいという理由で」
僕の隣で聖さんの後ろ姿を見ていた学人先輩は、口の端を上げた。学人先輩と聖さんが組めば、許可を取るくらい簡単だろう。そのくらい二人は影響力があり、『万屋』は特別だった。
部員だった頃の、学人先輩とのこの遣り取りが、懐かしかった。
「で、咲良は何で来たの」
「親友の卒業式に来たかったから。聖さんに卒業式のことを聞いて、一緒に行きたいって言ったら連れてきてくれた」
帽子やサングラスなどの変装を一切していない咲良はにっこりと笑った。その笑顔は友達の僕だから見せるもので。初めて見た周りの生徒はまたキャーキャーと騒ぎ出した。
咲良が来てくれたのは嬉しい。でも、この状況は気分が悪かった。
「僕だけ帰ろうかな…」
『それじゃ意味がないだろ』
三人の声が重なり、その後にマイクのスイッチが入った音がした。
「静かにしてください」
聖さんの澄んだ声がスピーカーから聞こえた。余韻を残し、歓声は消えた。
命令ではないのに、従いたくなる。それは二年前に見たものと同じだった。文化祭で、人だかりの中に出来た一本の道。それはステージに続いていた。聖さんのために、自然と出来た道。それを二人で走り抜けたのを覚えている。
いつの間にかステージの真ん中にスタンドマイクが置かれ、聖さんはそこに立っていた。
「卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。在校生及び観覧席のみなさん、初めまして。二年前に卒業しました、伊集院聖と申します。この場をお借りして、卒業生をお祝いしたいと思います」
一旦区切り、聖さんは手招きした。それを合図に、学人先輩と透先輩は壇上へ向かい、僕は咲良に背中を押されて後に続いた。
「ここで卒業式の終了としますので、退場される方はご自由にどうぞ。ただ今から『万屋』と佐倉七海によるコンサートを開催します」
聖さんの宣言に、一斉に歓声と拍手が起こった。校長先生は楽しそうに見守り、他の先生は呆れたり苦笑していたりした。そういえば、この場にいる先生は二年前からいる人ばかりだ。つまり、『万屋』を知らない人はいない。
卒業式は終わったにもかかわらず、退場する人はいなかった。体育館の扉は一度も開かなかった。
ステージに全員揃い、聖さんの後ろに学人先輩、透先輩、僕と並び、聖さんの横に咲良が立った。
「佐倉七海についてですが、彼は僕の従兄弟です。『万屋』部員、須賀由宇の中学からの親友でもあるので、この場に呼んでみました」
「こんにちは、佐倉七海です。みなさん、ご卒業おめでとうございます。これから高校を旅立つみなさんへ、『さよならの言葉』を送ります」
文化祭で『万屋』が歌った歌だ。学人先輩は国歌と校歌を演奏するために置かれていたピアノに座り、透先輩はステージ横から渡されたバイオリンを受け取って準備した。
咲良はスタンドからマイクを外し、僕は聖さんからコードレスマイクを渡された。
「由宇は卒業生ですが、歌ってもいいですよね?」
聖さんの確認に、拍手で多くの賛成が得られた。卒業生の一部は嫌な顔をしていたが、それは周りの歓喜の笑みで気にならなかった。僕は『万屋』の一員だ。もう迷わない。在校生と保護者は反対していなかった。
「じゃあ由宇、前と同じように歌って」
「…咲良とは打ち合わせ済みですか」
「俺も由宇の歌が聴きたいから」
聖さんと咲良に挟まれ、なんとも言えない気分になった。親友と、先輩と。この状況は、悪くない。
マイクの電源を落とし、息を吸い込んだ。
「片翼の君が望むモノは翼ではなく、青い空だった」
しんと静まった体育館に、マイクを通さない声が響いた。今自分が出せる、最高の声を、歌を。
「白い羽根が雲に溶けて、どこまでも飛んでいける気がした」
最後の音を伸ばし、フェードアウトしたところに学人先輩のピアノと透先輩のバイオリンの音が重なった。その後、拍手だけが起こった。
二年前の文化祭と似ていた。咲良が加わっただけで、他は同じだった。マイクのスイッチを入れ、聖さんの歌を待った。
「さよならの言葉は終わりじゃなく、始まりだった」
聖さんの歌声も変わっていない。あのときは、ステージへ向かいながら歌っていた。マイクを通しているから、あのときよりもしっかりと聞こえる。
「違う道を進んでも、きっとまた会えるから」
咲良の歌声は、成長していた。デビュー曲と比べると、しっかり声が出ていて安定している。咲良も自覚しているのか、僕を見て苦笑した。
聖さんと咲良は練習したのか、文化祭で聖さんが歌っていたパートを交互に歌い、途中は一緒に歌って上手くハモっていた。
「僕らはみんな片翼で、一人では飛べない」
「だからいつか会えるその日まで、僕は進んでいく」
「本当に欲しいのは翼じゃない。望みはただ一つ」
聖さんと咲良の視線が僕に向いた。
大丈夫。この二人となら、上手く歌える。
「立ち止まらないでいられるように」
綺麗に重なった声は、ピアノとバイオリンとも上手く調和した。
二年のブランクを感じさせない歌は、終わりまで安定していた。『万屋』と咲良。僕にとって,最高の卒業祝いだった。
聖さんと咲良の声に合わせながら、卒業生の席に視線を向けた。クラスの列にいる、高校での親友が笑って見ていた。目が合うと、小さく手を振ってくれて。
泣きそうになるくらい、幸せだった。
高校での親友は、『紅に沈んだ言葉』の小百合、智哉、夏目です。